仲の悪いあなたと
リリーは首を振った。
「いいのよ。好きでやったわけじゃないんでしょう」
「ごめんなさい…断れなくて」
うつむきながら細い肩を震わせる彼女を責める気にはとてもなれなかった。
「気にしないで。ものを返してくれれば、それでいいから」
「昼食の間に、みなさんのお部屋に返しておきます。本当に…ごめんなさい。あの…私がやったことは…」
彼女を安心させるように、リリーはうなずいた。
「誰にも言わないわ」
とうとう彼女の目から涙があふれた。
「図々しくてごめんなさい。でも…でも…私も…私もハニーたちと同じように、あなたを応援しています。頑張ってください、リリーさん」
「リリーでいいのよ。クラスメイトじゃない。それはそうと…キーラは大丈夫なの?」
「え?」
「嫌なことを無理やりやらされるなんて、何かあの子たちに脅されたり、ひどい目にあったりしてるんじゃないかと思って」
キーラは濡れた目を瞬かせた。が、そのあとうつむいた。
「そんな。私のことなんて…気にしないで」
「言いたくないのなら無理強いはしないけど…。何か困ったら言っていいと思うわ。私でも、ハニーでも、先生にでも」
彼女は薄く笑った。すべてをあきらめたような笑みだった。
「ありがとう…優しいんですね、リリー」
ちょうどその時他の生徒も入ってきて、キーラはすっとそばから離れた。
(困ったら言うといい…なんて)
自分でも白々しい発言だと思った。言いたくたって、自分に非がなくたって、我慢して耐えるしかない状況はいくらでもあるのだ。きっとキーラにも事情があるに違いない。
(…何とかしてあげられないかな)
無意識のうちに、リリーは以前の自分と彼女を重ね合わせてそう思ったのだった。
テストの結果発表は次の日だった。掲示板に大きな紙が張り出されるのを、皆今か今かと待っていた。配役も演目も、この時まで生徒たちには知らされないのだ。まことしやかに噂がささやかれる。
「去年の六年次はジゼル、その前の年はシルフィードだったから、今年も妖精ものかしら」
「そうとは限らないわよ、先輩が…」
「あっ、来たわ!」
張り出された紙に、皆一斉に詰めかけ目を凝らした。私もその字を読み取ろうと後ろから目を細めた。
「演目は『天使と悪魔』!? 型破りだわ!」
アリーナが興奮気味にささやいた。
「そうなの?」
「ええ。この作品はダブル主役なのよ。タイトルの通り、天使と悪魔が恋に落ちるって筋書きなんだけど、天使も悪魔も女の子が踊る役なのよ…」
ハニーがリリーの肩をぎゅっとつかんだ。
「リリー見た? あなた悪魔役よ!!」
わっと5年次の生徒の中から歓声が沸いた。
「やった! やったわ! 2人とも主役だなんて、先生たちも考えたものね!」
「そ、そうなの?」
「普通の演目の姫と王子となると、どうしてもリリーが王子になってしまうもの。そんなの準主役みたいでいやだわ」
「これ、前代未聞かもしれないわ! きっと見に来る人達も私たちの学年に注目するはず」
クラスメイトたちの興奮したささやきを聞きながら、リリーは天使役に決まったマーガレットを目で探した。が、すでに彼女らはいなかった。
(仲の悪い相手と、パートナー…か)
果たして彼女と、息のあったダンスができるだろうか。だが、主役をもらう事ができたのだ。絶対にこのチャンスを無駄にしたくない。たとえ彼女が嫌がっても、協力していかなければ。リリーはそう決心した。
日いちにちと、風が冷たくなってきていた。金色やチョコレート色、薔薇色の落ち葉の舞う中、年度末の公演に向けた練習がスタートした。卒業生の将来、ひいては学校の評判にもつながるこの公演に学校は相当力を入れていて、生活はほぼ練習一色となった。
「8年次のアンナ先輩には、もう申し込みが殺到してるらしいわよ」
休憩時間、ハニーがそういった。
「すごいわ。入団試験なしで一流のところへ行けるのね」
「私たちもぼやぼやしてられないわ。5年次は今年初めての公演…デビュー戦みたいなものよ。どの劇団も、まだ誰もしらない光る原石を探してる。だからチャンスなのよ。とくにリリー、あなたに」
汗をふきながらアリーナがうなずいた。
「きっと先生方も、マーガレットよりリリーに肩入れしてるんじゃないかしら。この演目ってことは…」
2人は目配せしあってうなずいた。そこにはリリーの入り込めない、何かの秘密の気配があった。
「サイクラス! もっと体の端を意識して!」
ミス・レガートの叱責が飛ぶ。激しいジャンプの後に、リリーははっとして手先、足先の位置を直した。
「動きが荒い!もっとなめらかに」
リリーは息切れするのを抑えながらうなずいた。皆をあっと驚かせる力強い旋回や跳躍だけでは駄目だ。体の隅々まで動きを制御できるようになれとミス・レガートは言っているのだ。
(きつい動きに精一杯になると、細かい所作がおろそかになるのが私の弱点だ…)
「キング、足の位置!」
ミス・レガートはマーガレットにも同じく厳しい。が、今日の彼女は生徒の誰が見ても精彩を欠いていた。
「何? あのアラベスク。足がぜんぜん上がってない」
「あれじゃ犬のおしっこみたい。みっともないわ」
ひそひそ声がここまで聞こえてきた。マーガレットは唇をかみしめている。その顔は心配になるほど白い。ミス・レガートもそう思ったのか、しばし彼女をじっと見たが、彼女に言葉をかけることはなかった。
「今日は、ここまで」
三々五々、生徒たちはロッカールームへ入っていった。リリーは最後まで残って一人自主練をしてから向かった。まぶしい照明に照らされた練習場とは裏腹に、ロッカールームは暗かった。練習に夢中で、日が暮れているのに気が付かなったのだ。
リリーは自分のロッカーに向かったが、ふと人の気配を感じて立ちすくんだ。
「誰…?」
マーガレットだった。彼女はロッカーの前の床に座っていて、じろりとリリーを見上げた。
「そこ、私のロッカーなんだけど」
リリーが言うと、彼女は苦虫をかみつぶしたような顔になった。
「…あなた、私のロッカーに細工したでしょ」
「は? なんで?」
「とぼけないでよ! あかないのよ! あなたがカギをいじったんでしょう!」
リリーは肩をすくめた。
「私じゃないけど。本当にあかないの?」
彼女はぐいと取っ手をひっぱった。たしかにあかなかった。リリーはあきれた。
「それであなた、ずっとここにいたの? 先生なり友達なりに助けを求めればいいのに」
リリーは彼女のロッカーの取っ手をひっぱった。異様なほどの重さだった。たてつけやひっかかりの問題ではなさそうだ。が、すごく頑張ればなんとかなりそうな手ごたえを感じた。
「開けられるかも。でも危ないから離れてて」




