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第5章 白木技術部長、変わった中学生と出会う

〜40代の部長が、少年の目に興味を持った日〜


「……中学生?」


白木技術部長は、手元の資料から顔を上げた。


「はい」


林修一は、少し緊張しながら答えた。


「知り合いの中学生が、工場の仕事を見学したいと言ってまして……」


白木部長は、しばらく林の顔を見ていた。


そして、ゆっくり椅子の背もたれに体を預けた。


「……なるほど」


技術部長、白木。


40代前半。


若くして部長職を任された、技術部門の責任者だった。


仕事では、工程設計や設備の改善、技術的な問題への対応など、幅広い判断を求められる。


現場の作業者や技術者からの相談も多い。


人材育成にも関心があり、若手社員が何を理解し、どこでつまずいているのかをよく見ていた。


ただし。


今回の相談は、少々珍しかった。


「林」


「はい」


「その子は、工業高校へ進学したいのか?」


「いえ、通信制高校を考えているそうです」


白木部長は、少し眉を上げた。


「通信制?」


「はい。勉強を続けながら、働くことについても知りたいらしくて」


「……ほう」


白木部長は、机の上の資料を閉じた。


「ずいぶん変わった考え方をする子だな」


「……そうですね」


林は、苦笑した。


白木部長は、少し考えた。


「で、何を見たいんだ?」


「それが……」


林は、言葉に詰まった。


「……何でも見たいみたいなんです」


「何でも?」


「機械とか、作業者の仕事とか、どうやって仕事を覚えるのかとか……」


白木部長は、しばらく黙った。


そして。


「ははは!」


声を立てて笑った。


林は、思わず顔を上げた。


「……部長?」


「いや、すまん」


白木部長は笑いながら言った。


「面白い子じゃないか」


林は、心の中でつぶやいた。


(……まただ)


どうして皆、面白がるのだろう。


こちらは、結構真剣に悩んでいるというのに。


*


白木部長は、やがて真面目な顔に戻った。


「ただし、工場見学となると簡単な話ではないぞ」


「はい」


「危険な設備もあるし、安全管理の問題もある」


「はい」


「学校や保護者の確認も必要だろう」


「はい」


「会社として受け入れられるかどうか、正式に判断しなきゃならん」


林は、深くうなずいた。


「分かっています」


白木部長は、少し考えた。


そして、尋ねた。


「……林」


「はい?」


「その子、一度会ってみてもいいか?」


林は、目を瞬いた。


「……本人に、ですか?」


「ああ」


白木部長は、少し笑った。


「どんなことを考えているのか、直接聞いてみたい」


林は、嫌な予感がした。


非常に、嫌な予感がした。


なにしろ。


健治は、人の話を聞くのが好きだ。


そして、技術の話となれば、さらに興味を持つ。


しかも相手は、技術部長。


工場の設備や工程について、豊富な知識と経験を持っている人物だ。


二人を会わせたら、どうなるか。


林には、何となく想像がついた。


「……部長」


「何だ?」


「時間は、少し余裕を見ておいた方がいいかもしれません」


白木部長は、眉を上げた。


「そんなに話すのか?」


「はい……」


白木部長は、少し笑った。


「ますます面白そうだな」


林は、静かに天井を見上げた。


(……もう駄目だ)


こうして。


田中健治と白木技術部長の面談が、会社の正式な受け入れ手続きとは別に、まずは進路相談のための面談として検討されることになった。


*


数日後。


田中は、林と一緒に会社を訪れていた。


もちろん、勝手に工場へ入ったわけではない。


事前に訪問の目的を伝え、会社側の許可を得た上で、指定された応接室へ案内されていた。


田中は、少し緊張していた。


手には、いつものノート。


表紙には、


『工場で聞いてみたいこと』


と書かれている。


林は、そのノートを見て言った。


「……健治」


「はい?」


「今日は、全部聞く必要ないからな」


「はい」


「まずは部長の話を聞けよ」


「分かってます!」


林は、少し安心した。


ところが。


健治は、続けて言った。


「分からなかったところだけ聞きます!」


「……そうか」


林は、ゆっくりうなずいた。


まあ、それならいいだろう。


少なくとも、いきなり質問攻めにするつもりではないらしい。


そのとき。


扉が開いた。


「待たせたな」


白木部長が入ってきた。


林は、すぐに立ち上がった。


「お疲れさまです!」


田中も慌てて立ち上がった。


「初めまして! 田中健治です!」


白木部長は、穏やかに笑った。


「白木です。よろしく」


「よろしくお願いします!」


三人は席に着いた。


白木部長は、田中の顔を見た。


まだ幼さの残る少年だった。


けれども、目には強い好奇心が宿っていた。


「田中君」


「はい」


「林から話は聞いているよ」


「ありがとうございます!」


「工場の仕事に興味があるそうだね」


「はい!」


「どうしてだい?」


田中は、少し考えた。


そして、ゆっくり答えた。


「……働いている人たちが、何をしているのか知りたいんです」


白木部長は、うなずいた。


「なるほど」


「テレビとかで工場を見ることはあるんですけど」


「ああ」


「機械が動いているところとか、作業している人たちとか、すごいなって思うんです」


「そうか」


「でも、どうやって仕事を覚えたのかが分からなくて」


白木部長は、少しだけ目を細めた。


「……仕事の覚え方?」


「はい」


田中は、うなずいた。


「最初は、皆さんできなかったんですよね?」


「まあ、そうだな」


「それが、どうしてできるようになるんだろうって」


白木部長は、しばらく田中の顔を見つめた。


そして、少し笑った。


「……面白いところに興味を持つんだな」


田中は、きょとんとした。


「そうですか?」


「ああ。機械そのものより、仕事を覚える人の方が気になるのか」


田中は、少し考えた。


「機械も気になります!」


「ははは!」


白木部長は笑った。


林は、横で頭を抱えた。


「……健治、お前なあ」


「でも、どっちも知りたいです」


田中は、真面目な顔だった。


白木部長は、うなずいた。


「なるほど。そういうことか」


*


白木部長は、少し考えてから話し始めた。


「田中君。工場には、いろいろな仕事がある」


「はい」


「機械を動かす人もいれば、材料を準備する人もいる」


「はい」


「できた製品を検査する人もいるし、機械が故障したときに修理する人もいる」


田中は、真剣な顔で聞いていた。


「それぞれ、覚えることが違うんですね」


「そうだ」


「なるほど……」


白木部長は、続けた。


「しかも、自分の仕事だけできればいいというわけじゃない」


「……そうなんですか?」


「ああ。前の工程から何を受け取り、次の工程へ何を渡すのか。それも考える必要がある」


田中は、しばらく考えた。


そして、ゆっくりうなずいた。


「……つながってるんですね」


白木部長は、少し驚いた。


「ん?」


「仕事って、一人ずつ別々にやってるんじゃなくて、つながってるんですね」


白木部長は、田中を見つめた。


それから、静かに笑った。


「……そういうことだ」


林は、横で二人のやり取りを見ていた。


いつもの健治だった。


説明を聞く。


考える。


自分なりの言葉で確認する。


そして、分からないことを質問する。


ただし。


今日の相手は、技術部長である。


いつもより話が深くなっている気がする。


林は、少しだけ不安になった。


(……このまま、どこまで話が進むんだろう)


*


白木部長は、ふと尋ねた。


「田中君」


「はい」


「工場で働く人にとって、一番大切なことは何だと思う?」


田中は、少し考えた。


すぐには答えなかった。


林も、黙っていた。


やがて。


「……ちゃんと仕事を覚えること、ですか?」


白木部長は、うなずいた。


「それも大切だな」


田中は、続けた。


「あと……間違えないこと?」


「そうだね」


白木部長は、少し笑った。


「でも、最初から間違えない人はいないだろう?」


田中は、うなずいた。


「はい」


「じゃあ、間違えたときはどうする?」


田中は、少し考えた。


そして答えた。


「……教えてもらいます」


白木部長は、少し驚いた。


「教えてもらう?」


「はい。何が間違ってたのか分からないと、直せないと思うので」


白木部長は、しばらく黙った。


そして、ゆっくりうなずいた。


「……そうだね」


田中は、続けた。


「あと、同じ間違いをしないように、覚えておきたいです」


白木部長は、微笑んだ。


「いい考えだ」


林は、その様子を見ていた。


白木部長の表情が、少し変わった気がした。


最初は、変わった中学生を面白がっていただけだった。


しかし今は、田中の話を真剣に聞いている。


まるで、若手社員と仕事の話をしているときのようだった。


*


面談は、予定より少し長くなった。


田中は、途中で何度かノートを開いた。


けれども、書いてきた質問を片っ端から読み上げることはしなかった。


白木部長の説明を聞き、気になった部分だけを確認した。


白木部長も、それに丁寧に答えた。


やがて。


「さて、田中君」


白木部長は、時計を見た。


「今日はこのくらいにしようか」


「はい!」


田中は、少し名残惜しそうだった。


白木部長は、笑った。


「まだ聞きたいことがありそうだね」


「はい。でも、今日はいろいろ教えていただいたので」


「そうか」


「ありがとうございました!」


田中は、深く頭を下げた。


白木部長は、静かにうなずいた。


「こちらこそ、面白い話ができたよ」


林も頭を下げた。


「部長、お時間をいただいてありがとうございました」


「いや、いいよ」


白木部長は、少し考えてから言った。


「林」


「はい」


「工場見学の件、会社として受け入れられるか確認してみよう」


林は、顔を上げた。


「……本当ですか?」


「ああ。もちろん、学校や保護者との調整も必要だし、安全面の確認もある」


「はい」


「すぐに決められる話ではないが、検討する価値はあると思う」


田中は、目を輝かせた。


「ありがとうございます!」


白木部長は、笑った。


「まだ決まったわけじゃないぞ」


「はい! 分かってます!」


林は、横で少し安心した。


どうやら。


一歩前へ進めそうだった。


*


二人が帰ったあと。


白木部長は、しばらく応接室に残っていた。


机の上には、田中が持ってきたノートの内容を、自分なりに書き留めたメモがあった。


『仕事をどう覚えるのか』


『工程のつながり』


『間違えたときにどうするか』


白木部長は、その文字を眺めた。


「……面白いやつだな」


小さくつぶやいた。


技術のことを知っているわけではない。


工場の経験があるわけでもない。


当然、専門用語など知らない。


けれども。


知らないことを恥ずかしがらない。


話をよく聞く。


分からない部分を確認する。


そして、自分の言葉で理解しようとする。


白木部長は、少し笑った。


「……教えがいがありそうだ」


そのとき。


スマートフォンが鳴った。


画面には、同期の黒田営業部長からのメッセージが表示されていた。


『白木、例の件どうなった?』


白木部長は、少し眉を上げた。


例の件。


今日は、いろいろな仕事があった。


黒田が何の話をしているのか、すぐには分からなかった。


続けて、もう一件。


『今度の会議資料、確認したか?』


「ああ、そっちか」


白木部長は、苦笑した。


返信を打つ。


『確認した。明日話そう』


そして、少し考えた。


もう一文、付け加えた。


『それと、今日ちょっと面白い中学生に会った』


送信。


数秒後。


返事が来た。


『何だそれ?』


白木部長は、少し笑った。


『今度話す』


しばらくして。


『おい、気になるだろ!』


白木部長は、声を立てて笑った。


同期というのは、気楽なものだ。


仕事では意見がぶつかることもある。


けれども、昔から知っている相手だからこそ、遠慮なく話せる。


白木部長は、スマートフォンを机に置いた。


そして、もう一度メモを見た。


田中健治。


15歳。


少し変わった中学生。


だが。


なかなか、面白い。


「……さて」


白木部長は、立ち上がった。


「どうなることやら」


その顔には、どこか楽しそうな笑みが浮かんでいた。


*


一方。


帰り道の林は、田中に尋ねていた。


「健治」


「はい?」


「今日、どうだった?」


「すごく面白かったです!」


「そうか」


「白木部長、いろいろ教えてくれましたね!」


「ああ」


「仕事って、一人だけでやってるんじゃないんですね」


「そうだな」


「前の工程とか、次の工程とか、つながってるんですね」


林は、少し驚いた。


「……よく覚えてるな」


「はい!」


田中は、うれしそうに笑った。


そして。


「林さん」


「何だ?」


「僕、もっと見てみたくなりました!」


林は、足を止めた。


「…………」


やっぱり。


やっぱり、こうなるのか。


「……健治」


「はい?」


「お前、今日の話で少しは満足したんじゃないのか?」


田中は、少し考えた。


「満足しました!」


「なら、いいじゃないか」


「でも、聞いたらもっと知りたくなりました!」


林は、ゆっくり天井を見上げた。


いや。


ここは屋外だった。


見上げたのは、冬の夕空である。


「……そうかい」


田中は、にこにこしていた。


林は、深いため息をついた。


どうやら。


この少年の好奇心は、今日の面談で収まるどころか、さらに大きくなってしまったらしい。


そして。


技術部長の白木まで、その好奇心を面白がり始めている。


林は、心の中でつぶやいた。


(……まずいな)


何がまずいのか。


自分でも、まだよく分からない。


ただ。


これから、いろいろなことが起こりそうな気がした。


その予感だけは、妙にはっきりしていた。


――第5章・完

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