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第3章 まゆみさん、この子は面白い!

〜好奇心だけじゃない、聞き上手な少年〜


「それで?」


まゆみは、林の顔をじっと見つめていた。


「……何が?」


「健治君のことよ」


「ああ……」


「工場を見学したいんでしょ?」


「そうなんだけどな」


林は、目の前のコーヒーに手を伸ばした。


冬の夕方。


二人は駅前の小さな喫茶店にいた。


店内には、静かな音楽が流れている。


窓の外では、仕事帰りの人たちが足早に歩いていた。


林は、まだ19歳。


高校を卒業して社会人になったばかりである。


仕事を覚えることに精いっぱいの日々だった。


一方、向かいに座る山田まゆみは18歳。


昔から人の話を聞くのがうまく、相手の表情の変化によく気づく女性だった。


もっとも、林に対しては少々遠慮がない。


「ねえ、林さん」


「何だよ」


「もしかして、健治君が工場に行くことになったら、自分が面倒を見なきゃいけないと思ってる?」


林の手が止まった。


「……まあ、そうだな」


「どうして?」


「どうしてって……俺が相談されたんだから」


「それだけ?」


「いや、ほかに何があるんだよ」


まゆみは、少し笑った。


「林さんって、昔からそういうところあるよね」


「どういうところだよ」


「頼まれると、最後まで面倒を見ようとするところ」


「……別に、そんなことは」


「あるでしょ?」


林は黙った。


まゆみは、楽しそうにコーヒーカップを持ち上げた。


「でも、健治君はもう15歳よ」


「ああ」


「何でも林さんが決めてあげる必要はないんじゃない?」


林は、しばらく考えた。


確かに。


健治が小学生だった頃なら、まだ分かる。


自転車に乗るときも、虫取りに行くときも、危ないことをしないように見てやる必要があった。


しかし、今は中学3年生。


自分の考えを持ち、進路についても少しずつ調べている。


林は、静かにうなずいた。


「……そうだな」


「でしょ?」


まゆみは、にっこり笑った。


「林さんが全部背負うんじゃなくて、健治君自身にも考えてもらえばいいのよ」


「なるほどな」


「それに、会社のことは会社の人に相談しないと分からないんだし」


「まあな」


「学校のことは先生に聞けばいいし」


「ああ」


「健治君、そういうの得意じゃない?」


林は顔を上げた。


「……何が?」


「人に聞くこと」


林は、思わず笑った。


「ああ。それは得意だな」


「でしょう?」


「得意すぎて困るくらいだ」


まゆみは声を立てて笑った。


*


「でもね」


まゆみは、少し真面目な顔になった。


「健治君って、ただ質問が多い子じゃないと思うの」


林は、コーヒーカップを置いた。


「……どういうことだ?」


「この前、うちの近くで会ったときのことなんだけど」


まゆみは、少し前の出来事を話し始めた。


その日、まゆみは買い物帰りだった。


手には、スーパーの袋。


中には夕食の材料が入っていた。


ちょうどそのとき、健治と出会った。


「まゆみさん!」


「あら、健治君」


「買い物ですか?」


「そうよ」


「重そうですね。持ちますか?」


まゆみは、少し驚いた。


袋は確かに重かった。


けれども、持てないほどではない。


「ありがとう。でも大丈夫よ」


「そうですか」


健治は、あっさりうなずいた。


そして、袋の中に見える野菜へ目を向けた。


「今日は何を作るんですか?」


「肉じゃがよ」


「へえ!」


健治の目が輝いた。


「肉じゃがって、どうやって作るんですか?」


まゆみは、少し笑った。


「興味あるの?」


「はい!」


「じゃあ、簡単に説明するね」


まゆみは歩きながら、材料や調理の順番を説明した。


野菜を切る。


肉を炒める。


煮汁を加える。


味を調えて、煮込む。


健治は、途中で口を挟まずに聞いていた。


説明が終わると、少し考えた。


「なるほど……」


「分かった?」


「はい。だいたい分かりました」


「だいたい?」


「でも、一つだけ聞いてもいいですか?」


「何?」


「じゃがいもって、どうして最後まで形が残ってるんですか?」


まゆみは、目を瞬いた。


「……え?」


「煮込んだら、全部崩れちゃいそうなのに」


まゆみは少し考えた。


「切り方とか、火加減とか、煮込む時間にもよるわね」


「なるほど!」


健治はうなずいた。


そして、笑った。


「料理って、面白いですね!」


まゆみは、そのとき思った。


この子は、ただ何でも聞いているわけじゃない。


説明を聞いて、その中で気になったことを考えている。


分からないことがあれば、素直に聞く。


そして、答えを聞くと、心からうれしそうな顔をする。


まゆみは、健治の横顔を見ながら、少し笑った。


「健治君」


「はい?」


「今度、自分でも作ってみたら?」


健治は、しばらく考えた。


「……包丁、ちょっと怖いです」


「ふふっ。そうね。最初はお母さんに教えてもらいなさい」


「はい!」


そう言って、健治は頭を下げた。


「ありがとうございました!」


そして、元気よく帰っていった。


*


「……ということがあったの」


まゆみは、コーヒーを一口飲んだ。


林は、腕を組んだ。


「健治らしいな」


「でしょう?」


「でも、あいつ料理なんてできないぞ」


「知ってるわよ」


まゆみは笑った。


「だから面白いんじゃない」


「……そうか?」


「だって、知らないことを恥ずかしがらないんだもの」


林は黙った。


まゆみは続けた。


「それにね。教えている人の話をちゃんと聞くのよ」


「ああ」


「分からないときも、いきなり『分からない』って投げ出すんじゃなくて、どこが分からないのか考えてる」


林は、少し考えた。


確かにそうだった。


健治は、何かを教わるとき、いつも真剣な顔になる。


教えている途中で勝手に動き出すことも、ほとんどない。


むしろ、説明が終わるまで待っている。


そして、教わったことを試してみる。


できるようになると、何度でも報告してくる。


「……そう言われると、そうだな」


「でしょう?」


まゆみは、少し笑った。


「きっと、工場の人たちも教えたくなると思うわ」


林は、ゆっくり顔を上げた。


「……それが怖いんだよ」


「え?」


「健治に一人教え始めるだろ?」


「うん」


「そしたら、あいつ、ほかの人にも聞きに行くぞ」


「いいじゃない」


「で、みんなが教えてくれるようになったら……」


林は、少し遠い目をした。


「……毎日行きたいとか言い出しそうだ」


まゆみは、しばらく林を見つめた。


そして。


「あははは!」


声を立てて笑った。


「それ、ありそう!」


「笑い事じゃないんだよ!」


「だって、面白いじゃない!」


林は、深いため息をついた。


しかし。


その顔には、どこか楽しそうな表情が浮かんでいた。


*


帰り道。


二人は駅前の通りを歩いていた。


まゆみが、ふと思い出したように言った。


「ねえ、林さん」


「何だ?」


「佐藤さんにも相談してみたら?」


林は、顔を上げた。


「佐藤さん?」


「うん。林さん、いつも仕事の相談してるでしょ?」


「ああ……」


佐藤巧。


27歳。


仕事の進め方が上手く、落ち着いた考え方をする先輩だった。


林は、佐藤をとても尊敬していた。


困ったことがあると、よく相談する。


佐藤は、すぐに答えを教えるわけではない。


まず、何が問題なのかを聞く。


そして、どうすればよいのか、一緒に考えてくれる。


「……確かに、佐藤さんなら」


林は、うなずいた。


まゆみは、にっこり笑った。


「でしょう?」


「でも、こんな相談していいのかな」


「聞いてみればいいじゃない」


「……そうだな」


林は、少し笑った。


分からないことは、分かる人に聞けばいい。


考えてみれば、健治がいつもやっていることだった。


まゆみは、そんな林を横目で見た。


そして、小さくつぶやいた。


「……似てきたわね」


「何が?」


「何でもない」


「おい、気になるだろ」


「ふふっ」


まゆみは笑ったまま、答えなかった。


林は、少しだけ不満そうな顔をした。


けれども。


これから相談する相手が決まったことで、肩の荷が少し軽くなった気がしていた。


*


その夜。


林は、佐藤へメッセージを送った。


『佐藤さん、ちょっと相談したいことがあるんですが』


しばらくして、返事が届いた。


『いいよ。どうした?』


林は、少し考えた。


そして。


『知り合いの中学生が、工場で働いてみたいと言ってまして……』


送信。


数分後。


返事が来た。


『それは面白い相談だね』


林は、画面を見つめた。


「…………」


まただ。


また一人。


面白がる人が増えてしまった。


林は、ゆっくり天井を見上げた。


「……何でみんな、楽しそうなんだよ」


もちろん。


林自身も、少しだけ楽しみになっていたことは。


誰にも言わなかった。


――第3章・完

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