↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
10/13

第9章 あの田中君? 工場の人気者になる

〜本人だけが、自分の評判を知らない〜


「おい、山崎」


製造部の休憩室。


一人の男性が、山崎班長に声をかけた。


「何だ?」


「最近、変わった子が来てるんだって?」


山崎は、顔を上げた。


「……変わった子?」


「ああ。中学生の頃から工場を見に来てたっていう」


山崎は、少し笑った。


「ああ、田中君か」


男性は、うなずいた。


「そうそう。その田中君」


山崎は、缶コーヒーを持ち上げた。


「何で知ってるんだ?」


「村上さんが話してたぞ」


「……村上が?」


「ああ。珍しいこともあるもんだな」


男性は、笑った。


「あの村上さんが、若い子の話を楽しそうにしてるんだから」


山崎も、思わず笑った。


「ははは! そうなんだよ」


男性は、少し興味深そうに尋ねた。


「どんな子なんだ?」


山崎は、少し考えた。


そして、答えた。


「……まあ、一言で言えば」


少し間を置く。


「教えがいのある子だな」


*


それからしばらくして。


田中健治の職場体験は、少しずつ内容が広がり始めていた。


もちろん、何でも自由にできるわけではない。


学校の予定。


会社の受け入れ条件。


安全教育。


見学できる場所。


体験できる内容。


その都度、決められた手続きを踏んでいる。


田中は、通信制高校の学習を続けながら、時折、工場を訪れていた。


そして、毎回。


新しい人に出会っていた。


*


その日、田中が案内されたのは、品質検査の仕事を紹介する教育スペースだった。


担当者は、品質課の女性社員。


眼鏡をかけた、落ち着いた雰囲気の人だった。


「初めまして。品質課の高橋です」


「田中健治です! よろしくお願いします!」


田中は、深く頭を下げた。


高橋は、少し笑った。


「山崎さんから聞いてるわよ」


「……え?」


「工場の仕事に興味があるんですってね」


「はい!」


「それなら、今日は検査の仕事を見てもらいましょうか」


田中は、目を輝かせた。


「ありがとうございます!」


高橋は、用意していた練習用の部品を机に並べた。


「まず、これを見て」


「はい」


そこには、同じような形の部品が三つ並んでいた。


一見すると、どれも同じに見える。


高橋は、尋ねた。


「違いが分かる?」


田中は、しばらく見つめた。


「……うーん」


顔を近づける。


少し角度を変えて見る。


そして。


「……一つ、表面が少し違う気がします」


高橋は、うなずいた。


「そうね」


田中は、少し驚いた。


「合ってますか?」


「ええ。でも、見た目だけでは判断できないこともあるの」


「……そうなんですか?」


「そう。だから、決められた検査方法で確認するのよ」


高橋は、検査の基本を説明した。


測定する場所。


確認する順番。


合否を決める基準。


そして、結果を記録すること。


田中は、最後まで聞いていた。


説明が終わると、少し考えた。


「高橋さん」


「何?」


「見た目がきれいでも、駄目な場合があるんですか?」


高橋は、うなずいた。


「あるわよ」


「へえ……」


「逆に、見た目に少し違いがあっても、規格上は問題ない場合もあるの」


田中は、しばらく黙った。


そして、ゆっくりうなずいた。


「……なるほど」


高橋は、少し笑った。


「どうしたの?」


「見ただけじゃ分からないこともあるんですね」


「そうね」


「だから、確認するんですね」


高橋は、うなずいた。


「その通りよ」


田中は、にっこり笑った。


「面白いですね!」


高橋は、少し驚いた。


そして、笑った。


「ふふっ。検査が面白いって言う子、珍しいわね」


「そうですか?」


「ええ。でも、うれしいわ」


田中は、首をかしげた。


「……うれしい?」


高橋は、微笑んだ。


「だって、興味を持って聞いてくれるんだもの」


田中は、少し照れたように笑った。


「ありがとうございます!」


*


次に案内されたのは、保全課の仕事を紹介する場所だった。


そこには、白髪交じりの男性が立っていた。


保全課の主任、藤原。


五十代。


設備の調子が悪くなったときに原因を調べ、修理や点検を行う仕事を長く担当していた。


「君が田中君か」


「はい!」


藤原は、少し笑った。


「山崎から話は聞いてるよ」


田中は、少し驚いた。


「……そうなんですか?」


「ああ。機械に興味があるんだって?」


「はい!」


藤原は、教育用の設備模型を指さした。


「じゃあ、今日はこれを見てもらおうか」


「ありがとうございます!」


模型には、小さなモーターと回転軸が取り付けられていた。


藤原は、装置の仕組みを説明した。


モーターが回る。


回転が軸へ伝わる。


部品が動く。


田中は、真剣な顔で聞いていた。


藤原は、続けた。


「ただし、機械はいつも同じ状態とは限らない」


「はい」


「使っているうちに、少しずつ状態が変わることもある」


「……そうなんですか?」


「ああ。だから、点検するんだ」


田中は、うなずいた。


「なるほど……」


そして、少し考えた。


「藤原さん」


「何だ?」


「壊れる前に、何か分かることってあるんですか?」


藤原は、少し目を細めた。


「……ほう」


田中は、続けた。


「急に壊れることもあると思うんですけど、何か前触れとか」


藤原は、少し笑った。


「ある場合もあるな」


「へえ!」


「音が変わったり、振動が増えたり、温度が上がったりな」


田中は、真剣に聞いていた。


「でも、それだけで原因が決まるわけじゃない」


「はい」


「いろいろ確認して、何が起きているのか判断するんだ」


田中は、うなずいた。


「……なるほど」


藤原は、少し考えた。


そして、尋ねた。


「田中君」


「はい?」


「機械の音なんて、気にしたことあるか?」


田中は、少し考えた。


「自転車ならあります」


「自転車?」


「はい。チェーンの音が変わったことがあって」


藤原は、少し笑った。


「ほう」


「林さんに聞いたら、ちゃんと点検した方がいいって」


「そうか」


「だから、音って何か関係あるのかなって思いました」


藤原は、ゆっくりうなずいた。


「……なるほどな」


そして、少し笑った。


「面白いところに気づく子だ」


田中は、きょとんとした。


「そうですか?」


「ああ」


藤原は、教育用模型を指さした。


「じゃあ、今日は正常なときと、異常を再現したときの違いを聞き比べてみようか」


田中の目が輝いた。


「いいんですか!」


「もちろん、安全な教育用の装置だからな」


「はい!」


藤原は、笑った。


どうやら。


この少年に教えるのは、なかなか楽しそうだった。


*


夕方。


品質課の高橋が、保全課の藤原と廊下で顔を合わせた。


「あら、藤原さん」


「おう、高橋さん」


「今日、田中君が来てたでしょう?」


「ああ。来てたよ」


高橋は、少し笑った。


「どうでした?」


藤原は、うなずいた。


「面白い子だな」


高橋は、笑った。


「でしょう?」


「話をちゃんと聞くし、分からないところは素直に聞いてくる」


「そうなんですよ」


「それに、教えたことを自分の知ってることと結びつけようとするんだ」


高橋は、少し驚いた。


「へえ」


藤原は、笑った。


「自転車のチェーンの音から、設備の異常の話になったよ」


高橋は、声を立てて笑った。


「あはは! いかにも田中君らしいですね!」


藤原も笑った。


「ははは!」


二人は、しばらく田中の話をしていた。


その頃。


当の田中は、林と一緒に帰り道を歩いていた。


「林さん!」


「何だ?」


「今日、品質課と保全課も見せてもらいました!」


「ああ。聞いたよ」


「すごく面白かったです!」


「そうか」


「高橋さんも藤原さんも、すごく丁寧に教えてくれました!」


林は、少し笑った。


「……そうだな」


田中は、しばらく考えた。


そして、ぽつりと言った。


「工場って、優しい人が多いですね」


林は、足を止めた。


「……は?」


「皆さん、いろいろ教えてくれるじゃないですか」


「……まあ、そうだけどな」


「僕、まだ何もできないのに」


林は、田中の顔を見た。


そして、少し笑った。


「……そういうところだよ」


「え?」


「いや、何でもない」


田中は、首をかしげた。


林は、歩き始めた。


(……あいつ、本当に気づいてないんだな)


自分が、どれほど現場の人たちに気に入られているのか。


*


数日後。


工場の休憩室。


一人の若手社員が、山崎班長に尋ねた。


「班長」


「何だ?」


「田中君って、誰ですか?」


山崎は、顔を上げた。


「……田中君?」


「はい。最近、いろんな人が話してるんで」


山崎は、少し笑った。


「ああ、あの子か」


「何か、すごい人なんですか?」


山崎は、少し考えた。


そして、答えた。


「……いや」


若手社員は、首をかしげた。


「違うんですか?」


「まだ、何もできない子だよ」


「……え?」


山崎は、笑った。


「でもな」


少し間を置く。


「教えたくなる子なんだ」


若手社員は、不思議そうな顔をした。


山崎は、缶コーヒーを持ち上げた。


「会ってみれば分かるさ」


その頃には。


製造部。


品質課。


保全課。


そして、ほかの部署でも。


田中健治という名前が、少しずつ知られるようになっていた。


もちろん。


本人だけは、何も知らない。


今日も自分のノートを開き、次に聞いてみたいことを整理している。


その表情は、実に楽しそうだった。


――第9章・完

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。