第9話:私の願いだけ叶うのは不公平だよね
「おかえり。唯花」
彼女がリビングのドアを開ける音が夕食の支度をする合図だ。
「ただいまー。ねぇ衣織、今日のご飯は?」
俺が鍋を混ぜているとき、唯花は自然に体を預けてくる。
さり気ないボディータッチにはもう慣れた。
しかし、その行動は男慣れの表れではないかと一抹の不安を与える。
「なぁ、お前さ、大学生の時とか派手に遊んでた?」
その問いかけに彼女は驚いた表情を見せながら、大げさに手を横に振って「私は女子大だったからそんな浮ついた事してないよ!」と強い否定をする。
「だったら今の会社でとか?」
「いや、まぁ、食事くらいならするけど。本当にそれくらいだよ?」
唯花の必死な否定に圧を感じるが、それでも男心的には嬉しさがあった。
そんな下心であったが居候が抱く感情ではないと思い直し、雑念を振り払うため料理に集中する。
「ねぇ逆にさ、衣織の高校時代はどうなの?」
彼女の長い髪を耳に掛けながら尋ねる仕草を見て、思わず胸がドキッとしてしまう。
それにズルさを感じると「実は付き合ってた」と嘘を吐いた。
その瞬間、目を大きく見開いて「誰と?」とこちらの胸倉を掴む。
この世には言っても良い冗談と悪い冗談があるが、今回は後者だったらしい。
「う、嘘だよ。高校の時はコンプレックスのせいで上手く交友関係が作れなかった。一人くらいは興味を持ってくれる奴がいたけど、それでも俺は拒絶していた」
そう説明すると彼女は暗い表情を作って、「ごめんね……」と謝罪する。
「唯花が謝ることじゃない。俺がつまらない意地を張っていたからだよ。それに、過去じゃなくて今が全てだ」
俺は彼女の目をしっかり捉えて自然な笑みを浮かべた。
すると唯花は少し頬を赤くして、「い、衣織ってそんなこと言える人だっけ?」と背中を向ける。
確かに、今まではこんなくさい台詞を口にすることなんてできなかった。
もしかすると、タイムトラベルしたことによって異次元のタフネスを手に入れたのだろうか。
いや、人間はそう簡単に変わる生き物ではない。
だとすれば、これが元々の自分であると考えるのが自然かもしれない。
そんなことを考えていると、鍋に入った料理が頃合いとなった。
「さぁ、できたよ。海鮮仕立てのトマトスープとガーリックバケット」
それらをテーブルの上に乗せると、芳醇な香りが部屋を包み込む。
俺たちは向かい合うような形で椅子に座ると、そのまま「いただきます」と言ってスープを口にする。
「うん、今日も抜群に美味しいね。衣織!」
そんな和やかな時間がゆっくりと流れていく。
これは俺がずっと望んでいたものであり、明確な幸せを見出すことができた。
だからこそ、俺は考えてしまう。
この十年後の世界なら、みんなとの関係をやり直せるかもしれないと。
それは自分にとって都合の良い考えだという自覚はあった。
それでも、夢を見るには十分すぎるほどの奇跡が周囲に溢れていた。
だとすれば行動しないことは怠惰であり、折角のチャンスを安々と捨てるのにも等しい。
スプーンを持つ手に力が入る。
いざ勇気を振り絞ろうとすると、途端に体の力が抜けて弱虫が襲ってきた。
それでも、「あのさ」と切り出して、唯花の注意をこちらに向けさせる。
「今はあいつらどうしてる?」
俺たちの中で「あいつら」を指すのは中学まではずっと一緒だった面子だけだ。
その問いかけに対して彼女は「みんな元気だよ。それぞれ自分の人生を歩んでる」と微笑みを浮かべる。
「そうか、それは良かった」
そう一拍置いて、会話のリズムを作る。
そして少しの沈黙が現れると、すかさず「実はあいつらと会いたいんだ」と本題に取り掛かった。
「どうして?」
その問いに違和感を覚えるが、話の焦点をずらしたくないため淡々と話を進める。
「中学の頃にさ、お前たちとの関係を壊しただろ。だから、それをもう一度修復したいんだ。俺と唯花みたいにさ」
そう素直に伝えると、彼女は無表情のまま残ったスープを飲み切った。
「衣織が言いたいことは分かった」
「じゃあ、連絡先を教えて……」
「だけど、それは難しいと思うよ」
胸を刀でバッサリ切られた感覚。
まさか、唯花からそれを受けるとは。
「ど、どうして……」
動揺を隠せないまま彼女に尋ねると、唯花は「純粋にみんな忙しいんだよ」と言ってデザートのケーキを冷蔵庫から取り出した。
「社会人になるとお金が増えるけど色々な枷も増えるの。それにさ、衣織が生きてるって聞いても信用してくれないんじゃないかな?」
それは確かに最もな意見だ。
しかし、唯花は信用してくれたじゃないか。
「お前は……」
「私は特別だから」
食い気味に俺の言葉を遮断する。
目の前に差し出されたフォークと派手な装飾を施されたチーズケーキ。
そんな豪勢なケーキであったが、不思議と食欲が湧いてこない。
「大丈夫だよ。衣織を私が孤独にさせないし、友達が欲しいなら協力してあげる」
彼女は隣の椅子を引いて腰を掛けると、そのまま俺の手に白い肌を重ねた。
確かに、唯花に任せていれば全てうまく行きそうな気がする。
だけれど、それでは駄目なんだ。
手元のフォークでケーキを一口サイズに切る。
そして洒落たブルーベリーソースを付けると、そのまま唯花の口元に運んだ。
「俺はあいつらが良いんだ。あいつらが本物なんだ」
過去への依存。
そう捉えると、とめどない恐怖と愚かさが込み上げてくる。
それでも、ここで止まるような真似はしたくなかった。
「唯花、俺がタイムトラベルをした理由は分からない。だけど、自分で壊したものをもう一度取り戻したいんだ。我儘だけど、これが俺の願いなんだ」
彼女は喉を鳴らしてチーズケーキを飲み込んだ。
そして頭を抱えた様子を見せながら、「私の願いだけ叶ったら不平等……か」と大きな独り言をこぼす。
「時間って言うのは残酷なんだよ。絶対に止まってはくれない。だから衣織の知っているみんなはもういないんだ。それでも、もう一度を望むんだね?」
彼女の覚悟めいた念押しに、少しだけ躊躇した。
だが、それを振り払うように真っすぐ唯花の瞳を見つめる。
その意思を感じ取った彼女は溜息を吐いて、「変化を恐れないのは若さってやつか?」と言うと、スマホで何かを入力し始めた。
「来週、みんなで集まろうって連絡したよ。全員来れるかは運次第だけどね」
彼女の計らいに感謝すると、俺もようやくチーズケーキを口にする。
「お、間接キス」
突如放たれた唯花の言葉に動揺して、思わずむせてしまう。
その様子を楽しそうに眺める唯花は、昔と何も変わらないままだった。




