第10話:夢なら覚めてくれ
「衣織―、どうやらみんな来れそうだよー」
唯花は携帯を眺めて俺にそう伝えると、飲み物やお菓子を準備し始める。
それに続くように、俺はクイックルワイパーを手に取ると、床の掃除に取り掛かった。
フローリングを綺麗にしている間も、期待と不安が交じり合った感情が胸をくすぐる。
今さら再開して、彼らは再び仲間だと認識してくれるだろうか。
それとも、過去の遠い記憶と切り捨てるだろうか。
本音を言うなら、もう一度あの頃の関係を築きたかった。
それはとても我儘であるという自覚はある。
何せ、他でもない自分から距離を置いたのだから。
俺は頭の中で色々と考えていると、期待と不安から自然に手が震え始めた。
それを紛らわせるために黙々と掃除を進めていると、インターホンの音が鳴る。
その瞬間、ほぼ反射で肩が飛び跳ねた。
心臓は突如として激しく動き出すと、それを上手く制御することができない。
その様子を察した唯花が「大丈夫? 顔色悪いよ?」と声を掛けてくれる。
自分で決めたことなのに情けない。
俺は今できる精一杯の笑顔を浮かべると、「大丈夫。久々すぎて、少し緊張しているだけ」と言ってドアを開ける。
「唯花。久しぶりに集まろうってどうしたんだ? 理由くらい教えてくれても良いだろ……?」
そんな不調のなか、目に映るのは大柄で無精ひげを生やした豪快な男であった。
俺は過去の記憶と照らし合わせてみる。
こいつは薫や太助の面影を有していない。
まさか莉紗と言う訳でもあるまい。
ということは残された選択肢はただ一つ。
彼は赤の他人だということだ。
「すみません。多分部屋間違ってますよ」
そうやってドアを閉めようとしたその時、彼は大粒の涙を浮かべながら「嘘だろ、どうしてお前が生きてるんだよ!?」と言ってこちらを突然抱きしめた。
見知らぬ大男の顔から溢れ出た涙や鼻水が俺のシャツを濡らし始める。
正直に言って、とても不快だ。
「唯花! 不審者だ! 警察!」
俺は恐怖を帯びた叫びを上げると、「衣織、その人は君も良く知っている人だよ」と微妙な表情を浮かべた。
「おいおい、いおりん。親友の顔を忘れたとは言わせないぞ?」
その呼び名を聞いた瞬間、クラッと世界が傾いて思考が混乱する。
こんな風に俺を呼ぶ人物をただ一人しか知らない。
だが、俺の十年前のイメージとは明らかにかけ離れていた。
「まさか、お前、太助か?」
俺は冗談交じりにそう問いかけると、「当たり前だろ? 正当に成長していると思うけど……」と、とぼけた様子を見せる。
「有り得ない!」
彼はどちらかというと小柄で、顔も小さく、まるで女の子のような姿をしていた。
それが、たった十年の月日でここまで変化する訳が無い。
「いおりんがその言葉を使うか……」
そう言いながらもゴソゴソとバックを漁ると、運転免許証を取り出してこちらに差し出す。
それに目を移すと、確かに名前も生年月日も俺の知る太助と一致していた。
「本当に太助なのか」
そう思うと、顔の輪郭やほくろの位置が何となく同じのような気がしてくる。
念のため彼の飼っている犬の名前を聞いてみると、「佐助」と即答した。
そこでようやく太助本人である確証を得ると、「分かる訳ないよ! 久しぶり!」と彼の胸を優しく叩いた。
「久しぶりどころじゃねぇよ! 奇跡にも程がある!」
彼は再度抱き着いて、その顎髭を俺に擦り付けた。
「にしても、幽霊は年を取らないんだな。本当にあの頃のままだ」
太助はこちらを子ども扱いすると、その厚い手で頭を撫でてくる。
その件について説明をしようとすると、再びインターホンが鳴る。
「唯ちゃーん。急にみんなで集まろうなんて、どういう風の吹き回し?」
こちらが合図をする前にドアを開いた彼女を俺は知っている。
昔よりも綺麗というか、より洗礼された可愛さを持つのは何合莉紗その人であった。
「莉紗。随分と都会っぽい服装だな」
俺がそう問いかけると、彼女は一切動かなくなる。
そして何も言わずに、そーっと唯花の背中に手を乗せて「唯! 私、幽霊が見えるようになった! 霊視系アイドルなんて流行るかな!?」と頭の悪い事を言い放つ。
「莉紗ちゃん。目の前にいるのは本物の衣織だよ」
「あ、そうなんだ。良かったぁ」
そう胸を撫で下ろす莉紗であったが、ふと我に返って「ん? でも本物の衣織君でもおかしくない?」と至極真っ当な疑問を口にした。
「それはね……」
唯花も俺と同様にこの事象について説明しようとした時、ピンポンと音が鳴る前にドアが開かれた。
「お前の家に集まるって正気を疑ったぞ。早く外で飲もう」
そうやって入ってくるのは気障なスーツを纏った男だった。
見るからに育ちが良く、生まれながらにして勝者と言う雰囲気を纏っている。
そんな彼だったが、今回ばかりは少し間抜けな表情を作った。
「ゴミ屋敷、じゃない」
鳩が豆鉄砲を食ったようなその顔は、見ていて少し気分が良くなる。
「必死に掃除したからな」
俺は誇らしげに彼の前に立つ、それと同時に彼の顔がピクッと引きつる。
「久しぶり。薫」
彼のフルネームは七夕薫であり、随分とキラキラした名前をしている。
しかし、名前負けしないルックスの良さは当時から有名であった。
「これは、随分と悪い夢だな。仕事をセーブするべきか?」
こめかみをわざとらしく親指と人差し指で摘まむが、残念ながらこれは夢ではない。
「薫君、夢じゃないよ。衣織は本当に居るんだよ」
唯花は俺の肩に手を置いて、存在を強くアピールした。
そんな彼女の腕を薫は強引に引っ張ると、「今すぐこいつと離れろ。いいか、衣織はもう死んでいるんだ」と顔を近づける。
そんな脅迫しているような態度であったが、彼女は一歩も引く素振りを見せずに、「違うよ。衣織は生きてる。外見も中身も変わらない。あの頃の衣織がここに居るんだよ」と彼の手を強引に振り払った。
彼らが視線を合わせたら最後、決して逸らしはしない。
このピりついた雰囲気であったが、太助の腹の音がこの場を和ませてくれる。
「ごめん。ずっとご飯食べて無くて……」
彼の顔が熱を吸い取ってくれたのだろうか。
頬を赤く染める太助に反するように、この場の雰囲気が落ち着きを取り戻していく。
「そうだね。こんな玄関で立ち話をするのも何だし、リビングに行こう」
彼女はみんなを部屋の奥に案内すると、緊張の糸はついに切れて、思わずホッと溜息を吐いた。
俺たちはそのまま席に座ると、莉紗は待っていましたと言わんばかりに身を乗り出して質問をなげ掛ける。
「ねぇ、結局どうして衣織君がここに居るの?」
それについて詳しく、と言っても知りうる範囲で説明した後に、唯花の家に住んでいることを除いて今の現状をみんなに伝えた。
その話を聞いた薫は鼻で笑って、「馬鹿馬鹿しい。本当はあいつの親戚だったりするんだろ。大人をからかうのもいい加減にしろ」と怒りを滲ませる。
その態度が気に食わなかった唯花は椅子から立ち上がって抗議しようとしたため、すぐさま話題を変えるために声を張った。
「なぁ、みんなは今何をしているんだ?」
その問いかけに対して一番先に反応したのは、想像通り太助だった。
「ふっふふ。俺は何かわかるか?」
含みを持たせた言い方をしながら袖をおもむろに捲ると、そこからはたくましい力こぶが姿を現した。
「どうだ、あの頃とは違うこの筋肉は!」
「あぁ、うん」
そうやって筋肉を見せびらかすが、既に彼の容姿で驚いているため、どうしても薄い反応になってしまう。
「どうした、あんま変わってないか?」
そう問いかける太助は、どことなく悲しそうな表情をしている。
「いいや、変わり過ぎて驚いているんだよ。もう少し緩やかに成長してくれ」
その言葉で彼は笑顔になると、そのまま力強く俺の背中を叩いた。
「いやいや、十年もあれば全くの別人になるって!」
それもその通りだと、俺は素直に思った。
十年の月日があれば生まれたての赤ん坊も自由に動き回れるようになるし、柿の木だって実を付けるようになる。
この場で変わっていないのは自分だけ。
俺は必死に笑顔を見繕うが、心の中では酷い孤独感と戦っていた。
ここでも置いていかれるのか。
少しまで抱いていた感情が、再び胸の中へと蘇る。
しかし、そんな不安を表に出さないようにしながら、下がった視線を太助に向け直した。
「で、結局お前は何になったんだよ。勿体ぶらずに教えてくれ」
そう言うと彼は自信に満ちた笑顔で、「聞いて驚くな、あんな弱虫だった俺が今では緊急救命士だ!」と胸を叩いた。
「緊急救命士ってあれか。救急車に乗って来てくれる」
それに対して太助は親指を立てながら、「人を救うのは難しいけど、それだけやりがいのある仕事なんだ!」と言い、厚い胸板をドンと叩く。
「凄いな、太助は」
純粋な尊敬の気持ちを彼に伝えると、「だろ? だろ? もっと大袈裟に褒めても良いんだぞ!」と分かりやすく調子づいた。
「あんま持ち上げすぎちゃ駄目だよ衣織君。はしゃぎ過ぎて床抜けちゃうから」
「そ、そこまで太ってないわい!」
そうやって俺たちは勝手に盛り上がりを見せていたが、薫だけはつまらなさそうであった。
彼は立ち上がり、戸棚から勝手にウイスキーを取り出すと、グラスに氷を入れて琥珀色を注いでいく。
そして酒を静かに口した。
その味は一体どうなのだろう。
これは勝手な想像だが、きっと甘くないはずだ。
薫はグラスに入ったウイスキーを飲み干すと、すぐさま二杯目を注いでいた。




