第11話:いなくならないで
小さい頃、よくみんなで集まっていた駄菓子屋さん。
今では少子化や物価高騰の波を受けて店を畳んでいたが、その息子夫妻が跡地を使ってカフェとバーの経営をしているらしい。
今回はそこでみんなと落ち合う約束をしていた。
俺はレトロな扉を押し開けると、心地よいベルの音が出迎えてくれる。
「お、やっと来たな。二人とも」
その快活な声がする方に視線を向けると、太助の前には空になった皿が数枚並べられていた。
「一体、お前は何時間前からここに居るんだ?」
呆れ気味でそう尋ねると、爪楊枝で歯の掃除をしながら「二十分前くらいだな。ここのパスタとケーキは抜群に美味くてな。つい食べ過ぎちまう」と満面の笑みを覗かせる。
俺たちは太助と向かい合うように座ると、彼を笑顔にする食事はどんなものか気になってメニュー表を眺めた。
そこには、分かりやすく色々な写真が並べられていて、眺めているだけで自然と幸せに包み込まれる。
しかし、その選択肢の多さが柔不断に拍車をかけた。
数分間、どれにするか悩んでいたが、結局自分で決められないと判断して唯花におすすめを尋ねる。
すると彼女はにこっと笑い、「おばさん。紅茶とチョコシフォンケーキのセットを二つ下さい」と代わりに注文してくれた。
「ここは私が払うからさ、他に気に入ったのがあれば頼んでいいよ」
「いや、それは悪いよ。自分のは自分で払う」
俺は家事を手伝う代わりに、彼女から自由に使えるお金をいくらか支援してもらっていた。
まるでヒモ。
というか、完全にそれなのだが、男のプライド的に情けないと思うことも少なくない。
そんな心情を察しない太助は、「なんだよお前ら。現代夫婦のモデルケースか?」とこちらを茶化してくる。
それに最初に反応したのは唯花であった。
「やだなぁ。そんなんじゃないよ太助君。私はただ、正当な報酬を払っているだけだよ」
「唯の発言もまたモデルケースって感じだな……」
そんな和やかな雰囲気が流れていたが、足を組んでブラックコーヒーを口にする男だけは不機嫌さを隠さないでいた。
「早く俺らを招集した理由を教えてくれよ衣織。言っておくが、ここにいる面子の時給はお前が想像するよりもずっと高い」
昔から威圧感を纏っている男だったが、大人になって更にキレが増したその眼光に、情けなくも恐怖を感じてしまう。
薫の部下になった奴は大変だろう。
きっと、かなりのハラスメントを受けているはずだ。
俺は彼に促されるまま本題に入ろうとすると、そこに割って入ったのは莉紗であった。
「死んだはずの人と話せるなんてプライスレスじゃん。いくらお金を払っても叶えられないことがあるの、知らない?」
彼はその挑発的な言い方に眉をピクリと動かすが、コーヒーを啜るだけでそれ以上口を開こうとはしない。
この険悪なムードの中、タイミングよく生クリームがたっぷり乗ったシフォンケーキが到着する。
俺は軽く手を合わせてケーキを口に運ぶと、甘美な刺激が心のゆとりを与えた。
しばらく紅茶とバターの香りを堪能した後に意を決すると、「相談なんだが、実は過去に帰りたいんだ」と自分の思いを素直に伝える。
「えー、折角再会できたのにもう帰っちゃうの? ホームシックとか?」
莉紗は椅子から立ち上がって理由を尋ねてくる。
「まぁ、そんな感じだよ。だから、何でもいい。情報があれば俺に教えて欲しいんだ」
本当はホームシックが原因などではなかった。
確かに両親に会えないのは寂しいが、帰る場所は唯花が作ってくれた。
あの家には確かな安心感があり、彼女のおかげでとても良い思いをさせてもらっている。
だけど、俺と彼女たちの間には確かな違いがあった。
それは十年という時間を共に過ごした経験や知識の差であり、どうしても追いつくことができない。
俺はその空白を埋めるために過去へ戻り、同じ歩幅でみんなと一緒に歩きたいと感じた。
この発言にポジティブな印象を見せたのは以外にも薫であり、「お前は轢かれたと思ったら、タイムトラベルしていたんだろ? あの周辺に監視カメラがあったはずだ。現場近くに俺の知り合いがオーナーの店が多いから色々と探ってやる」と言って直ぐにスマホで連絡を取り始めた。
「お前、一体何やってんだ?」
彼が作り上げた人脈に思わず疑問が零れると、「大手不動産会社のチーフリーダー兼、唯花の上司」と口にする。
その事実が発せられるや否や、この場にいる一同の視線が唯花へと注がれた。
すると彼女は「別に隠してたとかじゃないよ。ただ、全くの偶然で同じ会社になっただけって言うか」と普段よりも早口になる。
そこに引っ掛かりを覚えた莉紗は「何百万とある会社で、偶然同じ会社、同じ配属先ねぇ」と呆れた様子を見せた。
「莉紗、何が言いたい?」
足を組み、トントンと頻りに机を叩く薫は苛立ちを一切隠そうとはしていない。
それに反抗するように彼女は「嘘も大概にしろって言ってんの!」と突然語気を強めた。
そんな彼女に薫は深いため息を吐いて、見下ろしながら鋭い視線を莉紗に突き付けた。
「唯花は俺のコネで同じ会社にいる。今の時代はコンプライアンスがうるさいから黙ってもらっていただけだ。それ以上でも以下でもない」
「はっ、同級生のよしみにしては大き過ぎるね。下心が丸見えだよ」
莉紗はちらっと唯花に視線を移すと、薫は「お前ほど下心って言葉が似合うやつはいねぇよ」とナプキンを握って皺を作った。
「……っ! あんたねぇ!」
こんな一触即発の状況の中、ただ一人は冷静に模範的な大人な対応を取った。
「おい二人とも、互いに干渉しすぎだ」
太助は立ち上がって両者の間に大きな体を差し込むと、二人の間には強制的に距離が生まれる。
「悪いな。白けさせた」
冷静を取り戻した薫は謝罪をすると、テーブルの上に万札を置いて、この店を足早に離れた。
彼に釣られるように莉紗もまた椅子を後ろに引いて、「私も顔は広いから、何か情報があれば伝えるね」と言い残し、ドアに付けられたベルを鳴らす。
彼女が去って数秒後、ここでようやく緊張状態が解除されて、ぐったりと椅子に寄り掛かった。
「あいつらには協調性が足りない!」
その他にも色々な小言が溢れているが、全て独り言の様であったため大人しくティーカップに口を付けるだけに留める。
「おばちゃん、ガトーショコラとラザニアを追加でお願い!」
彼は苛立ちを解消しようと、更に食事を注文した。
「太助、夜ご飯を食えなくなるぞ」
まるで小学生に語り掛けるように、さり気なく自制を求めるが「大丈夫。俺は昔と違ってたくさん飯を食えるんだ!」と腹を叩く。
「やっぱり十年もあれば色々変わるんだなぁ」
俺は感心しながらシフォンケーキにクリームを塗っていると、隣から唯花が「ごめんね」といきなり頭を下げた。
「どうしたの急に?」
心当たりのない謝罪に戸惑いを隠せないでいると、彼女は視線を逸らして「衣織は優しいからさ、私に色々と気を使ってたんだよね。だから未来に帰りたいんでしょ?」と見当違いなことを述べ始める。
「私なら大丈夫だよ? 給料も同年代に比べると明らかに高いし」
俺はそんな彼女に「違うよ、本当にそれとは関係ないんだ」と伝える。
すると今度は「もしかして、薫君と同じ職場に居るって知ってた? それを隠してるって思って嫌われちゃった?」とまたもやズレた発言が飛び出した。
「違うよ、それも今初めて知ったことだし、気にしてない。本当に自分の都合なんだ!」
唯花の瞳が目に映る。
それはどこに視点を合わせればいいのか分からず彷徨よっているようで、激しく動いていた。
「唯……花?」
彼女は胸を押さえると、次第に呼吸が荒くなる。
これは何か、まずい状態に陥っている。
「しっかりしろ、唯花!」
俺は席を立って彼女に駆け寄ろうとしたその時、太助は素早く彼女の隣に移動すると、ゆっくりと背中をさすり始めた。
「唯花、落ち着いてゆっくりと深呼吸。できるか?」
その問いかけに対して唯花は小さく頷きながら、懸命に呼吸をする。
「大丈夫。衣織はここにいる」
そこでようやく彼女の片目と視線が合う。
俺の動揺を察した彼女は力なく笑うと、「ごめんね。ちょっと取り乱しちゃって」と手櫛で乱れた髪を整える。
「おばちゃん、ごめんね。さっき注文したのテイクアウトできるかな?」
そう言うと太助は手早く会計を済ませて、そのまま彼女をおんぶしながらこの店を出た。
置いてけぼりの感覚。
というよりも痛みを理解して、彼女を支えられない無力感が襲ってきた。
俺は二人を後ろから眺めながら、この十年で何があったのかを考えてみる。
しかしそのどれもが推測の域を脱せず、ただの稚拙な妄想だけが俺の頭を支配した。




