第7話:再会
出鱈目に過ぎていく未来。
心の穴を塞ぎたくて無暗矢鱈に金を使っていたら、いつの間にか財布には小銭しか入っていない。
そんな絶望的な状況であったが、一つだけ気づきがあったのは収穫だと思った。
それは人間という生き物は貧すれば下を向くようにできているということだ。
現に今日は誰の顔も見ず、ただ行き交う人々の足ばかりを見ていた。
「はぁ」
大きな溜息を吐きながら、唯一残った財産である懐中時計を眺める。
これを売れば懐事情が一時解決するだろう。
しかし、唯花に不義理をするくらいなら死を選ぶ。
俺は胸元に掛けた時計を握り直して足を前に動かしていると、空から一滴の水滴が落ちてきた。
金に恵まれていなければ、天気をも牙をむく。
数分もしないうちに雨は本降りになると、容赦なくしおれた体を貫き始めた。
時をかける旅人なのだから、もう少し情を加えても良いだろう。
しかし、そんな文句を誰に伝えればいいのだ。
神的な何かだろうか?
雨に打たれると悲壮感に溢れるが、それと同時に頭の中がクリアになった。
自分がここにいる理由、今しかできない事。
信号が青になって人々が動き出した、歩こう。
俺の中にある不確定な何かがもう少しで形になろうとしたその時、カシャンと金属が落ちる音が聞こえた。
その音に目がギョロっと回転する。
雨に濡れた手は反射的に胸元へと伸びるが、そこにあるはずの物が存在しない。
俺は直ぐさま後ろを向いて懐中時計を探そうとするが、ここは人通りの多い交差点であった。
サラリーマンや学生が容赦なくぶつかって来る。
人の織り成す群れは森の様であり、俺の時計を面白半分で隠してくる。
だが、諦めると言う選択肢は毛頭ない。
「すみません、退いてください! すみません!」
絶対に、失いたくない。
先ほどよりも更に下を見ながら探し回るが、その必死な感情を嘲笑うかのようにライトが点滅を始めた。
早く見つけなければ車に潰されて、そのまま粉々になってしまう。
もしくは誰かに、大切が奪われてしまう。
見つからない、見つからない。
どうしようもない焦りは荒い呼吸に姿を変えると、次第に酸素が吸えなくなった。
その弊害からか、めまいが襲ってくるとそのまま地面に両膝を付いてしまう。
「俺は、なんでいつもこうなのかな」
そんな悲観と絶望に浸る時間はなかった。
クラクションが突然鳴り響くと、車が胸の横を猛スピードで通り過ぎていく。
その音と迫力に怖気づくと、ゆっくりと立ち上がってそのまま歩き始める。
俺は時を超える奇跡を体験した。
されど、何も変わらなかった。
横断歩道を渡り切り、信号機の真下に立ち尽くす。
呆然とする視線の前を大量の死が通り過ぎていくが、こんな状況でもあと一歩がどうしても踏み出せない。
それでも、今ここで勇気を振り絞るべきではないだろうか。
俺はそっと哀愁のある笑みを浮かべると、そのまま前に進もうとする。
しかし、水たまりに足を突っ込む音が近づいているのに気づいたのと同時に不思議と死ぬ気が萎れていった。
そのリズムはランナーにしては酷く乱れていて、どことなく焦燥の印象を与える。
そしてそれは俺の直ぐ後ろでピタッと鳴り止んだ。
通り魔ならそのままサクッと殺して欲しい。
このまま微塵も動くつもりはないから。
しかしいくら待っても強烈な痛みや血が溢れることはなく、数十秒が経過しようとした。
もしかすると、新手の嫌がらせか?
俺はこの無意味な時間を終わらせたくて後ろを振り向いた。
「あの、俺に何か用ですが? と言っても人違いだと思いますけど」
変人とは関わり合いになりたくなくて、右斜め下に視線を向けて誰かに話しかける。
すると、名前も知らない誰かは「これ……」と言って鉄の塊を差し出した。
「まさか」
俺は目を擦って、滲んだ世界を正気に戻す。
そして鮮明になった瞳で落としたはずの懐中時計を見るとそのまま大きな声を上げた。
「これ、探していたんです! 友人から貰った大切なもので! いや、本当に良かった!」
時計の次に黒く鮮やかに磨かれたハイヒールが映る。
それと、手入れの行き届いたボトムスとジャケットを着ているのも分かった。
それらは真っ当なサラリーマンを連想させるには十分であり、女性の社会進出の理想を実現していた。
やはり社会的な地位が道徳を育むのだろうか。
そんな考えを頭が過るも、とりあえずは時計を手に取ろうとする。
しかし、彼女はそれを決して離そうとはしない。
もしかすると、何か謝礼を要求する気なのだろうか。
自分で言うのも何だが、子どもに対して見返りを要求するのは大人として失格だと思う。
「えっと、あの、謝礼とかはできないです。すみません」
とりあえず相手を刺激しないために頭を下げる。
その行動に対して、「いや違うの。ただ、これをどこで手に入れたのか知りたくて……」と戸惑いの声を発した。
それに対して、「これは友人からの誕生日プレゼントなんです。まぁ、直接貰った訳じゃないんですけど」と自分の罪を思い出しながら苦笑いを浮かべる。
「だから、どこで買ったとかは知らないです」
そう伝えると彼女の手からは力みが消えて、先ほどとは比べ物にならないほど簡単に時計が手元に返って来た。
「ありがとうございます」
ここでようやく彼女の顔が目に映った。
そこに居たのは俺が良く知ったものと同じではない。
だけれど、そこから十年という月日が経てばこのような大人の色気を漂わせるようになるだろう。
田名城唯花。
目の前に立つのはその人であった。
これは個人的な願いではない。
その証明として、彼女は呆然としながら「い……おり?」と俺の名前を呼んだ。
「そう、だけど」
俺はなんだか恥ずかしくて、できる限り平静を装う。
しかし、彼女は正反対に自分の感情を剥き出しにして俺に抱き着いてきた。
「い、衣織? 本当に衣織なの?」
唐突なスキンシップに冷めていた体温が急上昇する。
それでもなお必死に呼吸を整えながら、「そうだよ。まぁ、十年前の姿だけど」と口にした。
そんな頭のおかしい話、誰が信じるのだろうか。
しかし、そんな予想に反して「だよね? 昔と何も変わってない。あの時からずっと!」と嬉々とした声を上げる。
そんな態度に孤独は癒され、一種の安心感が現れた。
だけれど、どうにも彼女のリアクションがオーバー過ぎるように感じる。
俺が最後に別れた唯花とのギャップがあり過ぎて、本当に同一人物なのか疑いたくなった。
「衣織、衣織が生きてる……!」
顔が近くて彼女の呼吸がとてもよく聞こえる。
「夢じゃない、これは違うよね?」
それは誰に問いかけているのだろうか。
その真意は分からないが、唯花の状態が異常であることだけは確かである。
「ごめんなさい。ずっと、あなたに謝りたかった! ごめんなさい、ごめんなさい!」
感情を抑制する防波堤が壊れたら最後、溢れだす涙を止めることはできない。
この異常な光景は自然と多くの人々の注目を集める。
しかし、そんな有象無象の好奇心に晒される恐怖よりも、唯花への心配が勝った。
彼女はとても苦しそうで、積み重なった感情が今にも体を引き裂こうとしている気がする。
このままでは危ない。
そう直感した俺は無い頭をフルに使って必死に考えた。
そして思いついたのは単純なこと。
俺が唯花にできること。
今までの人生の中で一番温かい記憶。
「大丈夫。俺がずっと傍にいる」
彼女を優しく抱きしめたのと同時に、幼年時代に交わした約束を思い出す。
二人で迷子になった際、泣きじゃくる彼女をこうやって慰めたんだった。
姿形は違うが、本質的なものはずっと変わらない。
唯花の呼吸は次第に落ち着きを取り戻していき、とりあえず危機が去ったことを悟る。
俺はその様子を見て安心すると、雲の隙間から眩い光が差し込んでいることに気が付いた。
「ねぇ、どうして衣織がここにいるの?」
涙を喉に詰まらせた声でそう尋ねてくるが、どう答えればいいのか分からない。
少し時間を置いて考えてみるが、「じいちゃんを助けたらタイムトラベルしてた」と馬鹿正直に伝えてみる。
すると彼女はぽかんと口を開けるも、「そっか」と納得し、可愛らしく口角を上げながら再びこちらを抱きしめた。




