第6話:現実逃避しても良いだろ
この未来の世界で、俺は歩みを進めていた。
目的はもちろん自分の家だ。
どうして自分がこんなことに巻き込まれたか分からないが、とりあえず寝る場所は確保しておきたい。
そんな思いで自宅の前まで戻ることができたが、玄関の前に立つや否や、目に飛び込んできた二文字が残酷に俺を出迎える。
「売家」
そんな看板が今まで住んでいた家の前に寂しく突き立てられていた。
俺はこの現実を受け入れられなくて、とりあえずドアを開けようとする。
しかし、当たり前だが鍵が掛かっていて、扉が開くことは無い。
次は伸びっぱなしの雑草が生い茂る庭を横切り、裏から入れる場所が無いか探る。
そんな藁にも縋る行為も徒労に終わった。
この状況に思わず腕を組んで眉間にしわを寄せるが、まだ全ての策を失ったわけではない。
ここは無難に両親へ連絡を取ることにした。
古今東西、困ったら父母に頼るのは定石と言える。
俺は近くの公衆電話ボックスに移動すると十円を入れて素早くボタンを叩いていく。
そして受話器を耳に当てて数秒間待った。
すると「この電話番号は現在使用されておりません」という機会音声が聞こえてくる。
頼りたい人と連絡が取れない。
そう絶望しそうになるが、まだ希望が完全に潰えたわけではなかった。
「近所のおばさんに行方を聞いてみるか」
過去から来たことを伝えると面倒であったが、そこは上手く誤魔化すしかない。
俺は少し移動すると、インターホンを押して彼女を呼び出した。
「すみませーん。今、お時間大丈夫ですか?」
するとおばさんはドアを開けるのと共に、驚愕の表情を浮かべた。
何だ、俺の顔に何か付いているのか。
俺は頬の部分をぺたぺた触っていると、彼女は「あ、ごめんなさい。竹取さんの親戚よね? 亡くなった衣織君にあまりにも似ていて、つい黙ってしまったわ」と口にした。
似ているというか、紛れもない本人なのだが。
そんな突っ込みを心の中で呟いたその時、彼女の言葉が稲妻のようにフラッシュバックする。
「亡くなった……?」
「えぇ、知らなかったのね? 衣織君は交通事故で帰らぬ人になってしまったの。それが原因で、ご両親も離婚されてね……」
ちょっと待ってくれ、竹取衣織が死んで両親が離婚した?
このショッキングな出来事のあまり、言葉を失ってしまう。
それでも最後の希望のために無理やり口を開いて、「あの、両親の連絡先を知っていますか?」と質問を投げかけた。
その問いに対し、「ごめんなさい。分からないの」と容赦ない現実を突きつけてくる。
「そう、ですか」
俺は彼女に軽く頭を下げると、今度は目的も無く歩き出した。
これがどうか、質の悪い夢であってくれ。
もしくは最新のVRでもいい。
しかし、コンクリートを踏む感触や体を吹き抜けていく風は残酷なほど本物だ。
まさか、生まれ育った町で迷子になるとは。
こんな傍から見なくても絶望的な状況であったが、不思議と時間が経過するごとに余裕が生まれてきた。
それが現実逃避であると分かっている。
それでも、このような異常事態を乗り切るためには、自分で自分を騙す以外の方法が分からなかった。
ポケットに入っていた財布を見てみると、一万円以上の手持ちがあることが分かる。
よし、どうせなら未来を満喫してやろう。
そう思い立つと先ずは手始めに、海外カフェチェーン店に立ち寄ることにした。
以前までは駅の近くにしかなかったこの店も、今や至るところで見かけることができる。
しかし、そこには以前まで感じていた特別感やお洒落な雰囲気は完全に消え去っていた。
手軽さと憧れが両立できないのは当たり前である。
そんなことを考えながら注文に右往左往しながら手に入れたフラペチーノとやらを楽しみながら周囲を何となく見渡す。
俺は浦島太郎のように変わってしまった場所に憂いを感じると思っていたが、そんなことはなかった。
もっと正確に言うのなら、その感情に浸れるほどの変化が余りにも少なかった。
田んぼが無くなって、新しい店が建ったくらいでは何も感じない。
それでも、確かに変わったことはあった。
それは人の変化である。
先ほどの訪れたご近所さんの息子さんは俺よりも年下だったのに、今では車で会社に通勤していた。
その他にも決まった時間に散歩していたおばあちゃんがいなかったり、新婚夫婦の間に子どもがいたり。
当たり前だが人と建物では寿命が違う。
だからこそ、変化のスピードに違いが生まれるのだろう。
命が短ければ、急がなければならない。
そんな哲学的思考に浸りながら歩いていると、一軒の小さなパン屋を見つけた。
ここは以前までボロいアパートがあったのだが、どうやらそれは壊されたらしい。
変哲もない外装と看板。
それらはとてもシンプルであったが、ダクトからこぼれる小麦の匂いだけは明らかに何かが違った。
それに心が躍る感覚を得ると、そのまま「カランカラン」と音を立てて店内に入っていく。
「いらっしゃいませ」
そこにはふんわりとした雰囲気を漂わせる女性が、バンダナを巻いて立っていた。
「あ、えっと。初めて来たんですけど、おすすめはありますか?」
そう尋ねると彼女は少し悩んだ様子を見せて、「おすすめはクロワッサンですけど、個人的には新商品のくさやパンを試して欲しいです!」と目を輝かせてパンをショーケースから取り出す。
もしかすると、他とは違う何かとはこの強烈な臭いだったのだろうか。
俺は鼻をつまみながら「いえ、クロワッサンだけで大丈夫です」と伝える。
すると彼女は「そうですか……。また主人が残ったパンを食べることになりますね……」と言い、劇物をショーケースの中に戻した。
「あの……、ちなみにこれを発売して何日くらいですか?」
その問いに対して、「今日で一週間です。でも、一回も売れたことが無いんですよ。他は完売なのに……」と至極当然なことを言い始めた。
それはいくら何でもご主人が不憫すぎる。
これを毎日食べたら近いうちに死んでしまうぞ。
俺は怖いもの見たさというより、純度百パーセントの親切心で「あの、くさやパンも下さい」と指さした。
その注文を聞いた彼女は、「ありがとうございます! これで主人が苦しむ表情を見ないで済みます!」と分かりやすく喜びの表情を見せる。
人が苦しむものを売るのは如何なものか。
そんなヤバイ雰囲気を纏う彼女であったが、不思議と嫌な気はしなかった。
むしろ、この場所に心地よさを感じるくらいだ。
「またのお越しをお待ちしております!」
そのままパンの入ったビニール袋を渡されると、早速近くの公園で食事を取ることにした。
彼女おすすめのクロワッサンは外がサクサク、中はもっちりとしていて至高の一品と呼ぶに相応しかった。
なにより、あの店の優しさがパンに練り込まれている気がする。
そのオリジナリティに満足しかけたその直後、くさやの強烈な刺激が俺の鼻を貫いてきた。
そのインパクトに思わず近くのゴミ箱をじっと眺めてしまう。
しかし、彼女に対しての申し訳なさも込み上げたため、それを行動に移すことができなかった。
「南無三!」
そう叫ぶのと共に鼻を摘まみながらパンを口にする。
そして押し寄せるのは強烈な不味さ、ではなかった。
こんな刺激物であるのにも関わらず、旨味が強くて悪臭が気にならない。
というか、その匂いが美味しさを引き立てているような気さえする。
「あれが真の天才ってやつか」
彼女の独創性と技術を誰かに共有したかった。
しかし、この世界で俺を知っている人は誰もいない。
そう思うと、十年前よりも更に深い孤独感に襲われた。
生きているのに幽霊みたいだ。
そんな矛盾を抱えながらも、パンの入っていた袋をしっかりと近くのゴミ箱に捨てた。
法や条例に束縛されなくとも、長年に渡って植え付けられた良識を捨て去るのは簡単ではない。
辺りが暗くなってくると、俺は明かりを求めて歩き出した。
今度は以前まではなかったハンバーガー屋に行こう。
こんな行き当たりばったりの幸福は持続可能ではないだろ。
そんなことを言う輩が居れば、俺は直ぐにそいつの顔面を殴りつけてやる。
見ず知らずどころか、妄想の他人に対して確かな怒りを抱いた。
そんな感情の赴くままに石ころを蹴飛ばすと、ガードレールに反射して俺の頬から生ぬるい血が伝うことになる。
そんな不運に襲われても、痛みによって生きている実感が湧き、狂気的な悦が腹の底から込み上げた。




