第3話:誕生日に幸せを望んで何が悪い
夏休みに入る前日の帰りのホームルーム、多くの生徒が浮かれるこの瞬間。
俺はぼんやりと錆びたパイプを眺めながら現実を憂いていた。
なぜなら、今日で生まれて十六年目になったからだ。
この世に産み落とされたことを狂おしいほど憎い人間にとって、誕生日は悪夢が始まった日に過ぎない。
この思考回路は親不孝だと分かっているが、止めることはできなかった。
むしろ考えないようにすればするほど、その物事を深く考えてしまう。
だが、こんな自分に誰かがプレゼントをくれるのだとしたら平穏が欲しい。
そんな願いを心の中で呟いていると、一つのグループから竹中の声が聞こえる。
それに反応して視線をスライドさせると、彼は多くのクラスメイトと親交を深めていた。
その光景を見て、羨ましさとかつて抱いていた強さを思い出し、何度目か分からない自己嫌悪に陥いる。
俺はどうしてこんなに弱いのだろうか。
群れないと怖くて、自由に生きることができない。
いや、今はただ慣れていないだけだ。
次第に孤独が身に染みていき、こんな痛みも忘れることができるだろう。
後ろ向きに前向き。
最近手に入れたこの思考法は滑稽であったが、自分を現世に留める方法の一つに変わりはなかった。
このような状況にあっても、生きたいと思ってしまうのはとても動物らしくて情けない。
もし手早くスパッとあの世に行けたなら、どれだけ良かっただろうか。
俺はないものねだりを繰り返していると、いつの間にかカラオケボックスの中でマイクを握っていた。
人生を諦めていると言いながらも、どこかで主役になりたいと言う感情が無意識に自分をここまで連れてきたらしい。
「人生なんてクソよりクソだ」
小さな部屋でハウリングする声はどこか切なく、嘲笑にも似たものを感じさせて思わず帰りたくなった。
しかし、せっかく金を払ったのだからと、好みの曲を選んで歌と呼ぶにはおぞましい叫び声を上げた。
すると内に溜まる不快感は徐々に放出されていき、遂には爽快感まで覚え始める。
熱唱により火照った体を氷の入ったコーラで一気に冷やすこの行為は、いわゆる「整う」というやつだろうか。
カラオケ通いを初めても良いかもな。
もしかしたら、音楽の才能が開花するかもしれないし。
そうすれば世間から注目を浴びて、乾くばかりの承認欲求を満たせるはずだ。
「次は何を歌おう」
俺は足でリズムを取りながらタッチパネルを操作していると、どこか聞き覚えのある声が鼓膜を震わせる。
安らぎと喜びを与える声色。
これこそが真に才能と呼べるものであった。
しばらく隣の部屋から漏れる音に耳を傾けていたが、アウトロを迎えると穏やかな沈黙が訪れる。
この余韻をしばらく味わっていたい。
地獄で見た楽園の姿に涙を流しそうになりながら、頭を壁に近づけた。
間違いなく、この声は何合莉紗のものだ
彼女もまた中学までは仲の良かった友人で、俺は莉紗の声が好きだった。
将来の夢はシンガーソングライタ―であり、路上ライブも行っているため、一人でその練習をしていたのだろうか。
俺はその「一人」という部分に共感していたが、すぐに巻き起こる拍手喝采で彼女は自分と正反対の場所に居ることを一瞬で察した。
そうだ。
孤独なのはただ自分だけで、世の中にいる大多数の人間はそれなりに満ちた人生を歩んでいるのだ。
そう感じるとあれだけあった熱も急に冷めてしまい、ソファに靴を履いたまま寝転がった。
「嫌な感じ」
突如として巨大な虚無感に襲われると、そのままゆっくり過去を回想し始める。
頭が切れて正論マシーンな七夕薫。
幼さと中性的な顔立ちを持つ大持太助。
ずっと傍にいた田名城唯花。
隣の四人と俺を含めた五人で幼いころから同じ時間をずっと共有していた。
それなのに、こんなにも簡単に関係性を保てなくなるなんて。
目頭は熱くなるが涙は出ない。
そんなものはとうの昔に枯れてしまった。
しかしここで、唯花の声が聞こえる。
また、彼女だけではなく薫や太助のものまであった。
もしかして、みんな隣にいるのか?
この時抱いた感情は疎外感ではなく、純粋な希望であった。
今日は特別な日だ。
俺は幸せにならなければいけない。
その強迫的な思考がプラスに働いて、立ち上がるための勇気を与えてくれた。
この小部屋を出ると、直ぐに目的の場所がある。
息つく暇を自分に与えない。
勢いに身を任せて後は幸運を願うだけだ。
自分の部屋を出て、今までの粗相を清算するために隣のドアノブへと手を伸ばすと、ガラス越しに全員の顔が見えた。
よし、今日が過去を取り戻す日だ。
そうやって部屋の中へと進入しようとしたその時、「ハッピーバースデートゥーユー」と祝いの歌が聞こえてくる。
七月が誕生日なのはあの中で俺だけだ。
だとすれば、誰の誕生日を祝っているのだろうか。
もしかすると、自分の存在に気付かれていたのだろうか。
そんな恥ずかしさと浮足立つ高揚感を胸にドアを少し開くと、唯花の隣に見知らぬ男が座っているのに気が付いた。
俺が着たかった制服を身に纏い、だらしない笑顔をぶら下げるその男は酷く醜悪でだらしない。
「ありがとう、みんな! お前らは一生の友達だ!」
そう言って彼は馴れ馴れしく唯花と太助の肩を掴むと、目の前に用意されていたケーキに息を吹きかける。
ぱっと消えたロウソクの火のように、俺もこの場から遠ざかった。
クソ、クソクソクソ!
妬み、嫉妬、怒り、失望。
これらを煮詰めた感情は己の理性を崩壊させるには十分すぎた。
直ぐに曇天が蔓延る野外に出て、人気の少ない場所に身を移すとそのまま壁に向かって頭を叩きつける。
「死んでくれ! 死んで、死んで! 死んでくれよ!」
これはあの良く分からない生徒への言葉ではない。
自分に向けてのものだ。
淡い妄想に期待した自分がとても恥ずかしく、あの場所で明らかに異物であった竹取衣織をどうしても殺したかった。
何だよ、あの顔は。
何もしていないのにニヤニヤして、想像と違ったら勝手に絶望する姿はピエロ以上にピエロであった。
グルグルと回り続ける視界で、懸命にスマホを取り出す。
そしてラインの画面を開くと、馴染みのグループから即座に退会のボタンを押した。
勿論、個人で繋がっていたアカウントもブロックしていく。
すると支離滅裂な感情は落ち着きを取り戻していき、やっと自分の意思で奇行を抑え込むことができた。
「もう、全て嫌だ」
何も見たくない。
それが俺の純粋な気持ちだった。
生きるのが辛くて怖い。
これ以上他人の幸福を眺めていたら内なる感情が爆発して、そのまま身体が四方八方に飛び散っていくことだろう。
更なる落ち着きを求めて深呼吸すると、口の中に虫が入ってくる。
その不快感を唾と一緒に吐き出すと、今度は頭上から雨がポツポツと降り始めた。
踏んだり蹴ったりだな。
誕生日となれば二倍の苦しみに変貌すると言っても過言ではない。
雨は容赦なく勢いを強めていき、びしょ濡れになりながらも自宅まで歩いて帰る。
その間、色々なものが流れ落ちていき、家に辿り着くころには無心の境地に達していた。
自責や劣等感に苛まれないのなんて一体いつぶりだろう。
その日、俺は久しぶりにぐっすりと眠ることができた。
不意に訪れてくれた誕生日プレゼントであったが、昼の太陽とインターホンの呼び出し音によって呆気なく手元から消え去っていく。
「すみませーん。誰かいますかー?」
この声は、まさか。
鏡を見ずに身なりを整えて玄関まで行くと、その人物がどこかへ行ってしまう前に勢いよくドアをこじ開けた。




