第2話:本当は素直になりたい。
年々上昇する気温だけでも厄介なのにアブラゼミの音も合わされば地獄そのものだ。
俺は灼熱の教室で座っているのにも関わらず、ヘロヘロになりながら授業を聞いていた。
とりあえずの抵抗として下敷きで顔に風を送るが焼け石に水であり、ペットボトルに入った水を頭の上から被りたいと言う欲求に駆られる。
この世から消えたいという欲が叶えられるにしても、もう少し苦痛のない方法があるだろう。
全く、目の上にエアコンがあるのに使わないというのはどういうことだ。
文明の利器かつ最新の冷却装置がこの教室に備わっている。
それなのにも関わらず、電気料金削減のために使用できない状況が続いていた。
人間は本当に頭脳が進化したのだろうか。
もしかすると徐々に退化しているのではないだろうか。
一人で人類の歴史について考えを巡らせるが、ダーウィンや世間一般の常識に反抗できるほどの学はないため、俺はただ従うことだけを選択する。
「では、今日はこれまで。熱いから塩舐めろよ。塩」
この教師の塩に対する信頼は何なんだ。
せめて令和の時代であるのなら、塩タブレットでも配給して欲しいものだ。
いや、そもそもエアコンを稼働させればいいだけの話じゃないか。
そんな文句心の中でぶつくさと垂れながら、そっと席を立ちあがって購買部へ向かう。
そして素朴で平凡なコッペパンを購入すると、空き教室にて口の中に詰め込んでいく。
中学生までは一人で食事を取るなど稀な行為であったが、今では日常に変貌していた。
しかし、それは悲しい事ではない。
一人で物を食べるなどごく自然なことだ。
だけれど、隠れるようにしてパンを口に運ぶのは悲しい。
そんな自覚は確かに存在した。
「はぁ」
重苦しい溜息を吐いた時、「お、こんなところに居たのか」と誰かが教室の中に入って来る。
いや、誰かではない。
俺に声を掛ける人間など、この学校では一人しか思い至らない。
「竹中……君」
俺はよそよそしい言い方で彼の名前を呼ぶと「呼び捨てで良いって」と言い、隣にどかっと乱暴に座った。
「いつもどっかに行くなよ。一緒に飯食おうって言ってるのに」
彼は口元を歪に曲げながら手元のパンを頬張り始めた。
「いや、ごめん。何回も言ってるんだけど、誰かとの食事が得意じゃなくて……」
正直に言おう。
俺はこいつが苦手である。
この男は入学初期のころから何かと俺に突っかかってくる変わった男だった。
いつもへらへらしていて品が無い。
何より、人の心にズカズカと土足で踏み込んでくるような姿勢が気に食わなかった。
「でさー、そんなことがあったんだよ」
彼の一方的な話を聞いていると、無味だったパンが苦みに変わってくる。
積もり始める苛立ちと不安を一体どこに吐き出せばいいんだ。
思わず頭を掻きむしりたいと言う衝動に駆られ始めたその時、机に置かれた携帯から着信を知らせるバイブレーションが鳴り響いた。
それに目を移した竹中は唯花という名前を確認すると、俺の携帯を取って「何々、お前の彼女?」と口にする。
彼の態度は普通そのものであった。
男子高校生が取るこの手の行動は異常とはかけ離れたものだ。
しかし、俺はそれを理解しているのにも関わらず感情を剥き出しにして「触るな!」と携帯を奪い取った。
そんな様子に驚愕した竹中は目を丸めながら、少しの間固まってしまう。
そして状況を飲み込んだ彼は必死に作り笑いを浮かべながら「ごめんよ。人のプライベートに突っ込むのは良くなかった」と謝罪する。
視線が定まらない竹中に対し、俺は激しい罪悪感を覚えた。
明るく無邪気なこの男に暗い気を使わせるなんて、自分は一体どこまで愚かなんだ。
「いや俺こそ言い過ぎた……」
本当は彼と普通に接したいのかもしれない。
いや、竹中だけではなく他の人とも自然に会話を楽しみたかったはずだ。
だけれど、理想した未来とのギャップが人との接触を極端に難しくしていた。
目に映る全てが憎い。
何よりも自分の無能さに腹が立った。窓に映る自分の顔を見ると、その無気力な面に拳を叩き付けたくなる。
だが今は普通を演じなければ。
これ以上恥を知ればきっとこの世に居れなくなる。
自分で作り上げた最悪な雰囲気。
これを解消するためにワザとらしく笑みを浮かべて、「なぁ、その後どうなったんだ?」と会話の続きを催促する。
すると竹中は思い出したと言わんばかりに声を張り上げて、「そうだった! あのな、俺は運が良いんだ!」と笑顔になる。
その表情を見た俺の心は安堵を取り戻した。
どうやら先ほどの愚行を根に持ってはいないようだ。
その後、何気ない会話が数分間続いた。
既に手元のパンは全て胃の中に入っており、偽物の充実感が俺を満たしている。
そのため、眠気が頭を掠めた時、「おい竹中、次の授業は移動教室だろ!」とクラスメイトが彼に声を掛けた。
竹中はアナログの腕時計に目を通すと、「やべ! 鬼川は授業に遅れると面倒だからな!」と立ち上がる。
そして彼はこちらに手を差し伸ばすと、「いお……、竹取も早く行こうぜ!」と言ってくれた。
その言葉に俺の腕がピクリと反応しながらも「いや……、俺はトイレに行くから後で」と言い、それを拒絶する。
そう伝えると竹中の表情に陰りが見えるも直ぐに快活な顔に戻って、「分かった! じゃあ後でな!」と言い残し、俺の元を去っていった。
するとほどなく、「なぁ、あいつと話して楽しいか?」と声が聞こえてくる。
それに俺は無感情のまま耳を澄ますと「あぁ、すっげえ楽しいぜ!」と声が聞こえてきた。
その発言は俺の脳裏にクエッションマークを貼り付ける。
どう考えても楽しい訳が無いだろう。
自分から話題を振らず、彼が一方的に話しているだけの状況にどうやって楽しさを見出すのだろうか。
やっぱり、竹中を理解できない。
彼の何が俺への興味を掻き立てるのだろうか。
容姿も頭脳も秀でた特徴はない。何なら八つ当たりをする傾向にもある。
いっその事、本人に直接聞いてみようか。
そんな妄想をしながら携帯の画面を付けると、昔の友人たちから成るグループラインに「今度の土日、みんなでカフェに集まらない?」と連絡が入った。
すると直ぐに「賛成!」や「空けとく」といった内容が表示される。
唯一反応を示さないのは俺だけだ。
ここは素直に行くと言うべきだ。
それは俺の心が望んだ行為である。
しかし、彼女の言うみんなの中に自分はいるのだろうか。
そんな疑念に思考がジャックされると携帯が化け物のように見えてきて、息を荒げながらそれを乱暴に手放した。
だめだ、平常心。平常心を心掛けろ。
俺はそう何度も自分に言い聞かせながら携帯を拾い上げる。
すると画面には見事なヒビが刻まれているのが見えた。
幸いにも電源は付くが、不運と呼ぶには十分すぎる出来事である。
「はぁ」
俺は誰かに自分の不幸を聞いて欲しいと言わんばかりに溜息を吐く。
こんな最悪な出来事があった後で遊ぶ気になれる人は一体どれくらいいるだろうか。
「すまん。その日は用事がある」
そうメッセージを入力すると、送信ボタンを押し、すっきりした心持ちで目的の教室へと向かう。
自分は卑怯な人間なんだ。
そんな風に思い、自己保身に走る者は本物の卑怯者である。
どうせなら素直に「お前たちとは遊びたくない」と伝えたほうが潔くて好感が持てた。
しかし、彼女たちと繋がる勇気と断つ勇気。
そのどちらも俺には欠けていた。
あぁ、どうしてこうなった。
昔はもっと自分の心に従って行動できていたはずなのに。
俺はいつも通り悲観の渦に飲み込まれるも、教師に怒られたくないという思いから体育館に向かう。
そして、仲が良くもない人とペアを組んで準備体操をした。
こんな自分と組まされる相手が可哀そうでならない。
ごめんなさい。
そう心の中で謝罪をすると、バレーボールの授業が始まった。
ポンポンとレシーブの練習によって舞い上がる球の数々。
それを見ていると頭がぼんやりとして来て、少し落ち着きを取り戻してきた気がする。
よし、このまま思いっきりバレーに取り組んでみようか。
そうポジティブになろうとした瞬間、顔面に鈍痛が走ると共に、鮮やかな鮮血が蝶のように宙を舞った。
「大丈夫か! 竹取!」
体育教師が心配そうにこちらに駆け寄ってくる。
どうやら誰かがスパイクを打って、それが見事に鼻へ直撃したらしい。
朦朧とする眼球は自然と天井を向くが、神の姿は天井に隠れて見えないでいる。
それでも、俺の顔を見てニヤニヤと笑っているのは容易に想像できた。
やはり、この世界に救いはない。
そんな冷静沈着な思考とは裏腹に、クラスメイト達は血だらけの惨状に騒然としている。
俺は物理的というより精神的な痛みによって瞼を閉じた。
みんな、お願いだから気にしないでくれ、頼む。
視覚を遮断しても逃れられない恐怖に身を縮めていると、失血のためか意識が徐々に遠のいていった。
こんな最低な状況の時、昔の友人たちが居れば……。
そんなことをふと思ったが、身勝手極まりない願いを誰かが叶えてくれる訳がない。
俺は自分を嘲笑したのか、自然に口角が上がると、碌なことを考えない無能な思考が勝手にシャットダウンしてくれた。




