第21話:急ぐ必要なんてない
「衣織、これを見てくれ」
俺たちは薫によってカフェに招集を掛けられると、一枚の写真をテーブルの上に差し出した。
「この人物に見覚えはないか?」
その問いかけは全く持っての愚問である。
一度だけ、それもほんの僅かの時間しか見ていないのに脳へ焼き付いた顔。
「タイムスリップする前に助けた老人だ」
驚愕の声に薫は足を組み替えながら「ビンゴ」と呟く。
「十年前の映像は流石になかった。それでも衣織の証言をもとに現存する映像を片っ端から画像処理にかけたのが当たった」
人力ではなくテクノロジーに頼る辺りは薫らしくスマートであるが、いつもの気障な素振りに変わらない。
そんな態度に目を瞑りながら俺は彼に対して感謝を伝えた。
「ありがとう薫」
「あとはこの人物を見つけるだけだ」
どうやら彼は俺の言葉に興味はないらしい。
ただ、物事を前に進めることだけを考えていた
。
そんな態度に引っ掛かりを覚えるが、ここで自分の感情を優先するメリットは感じられないので無視に徹する。
マイナスの感情を帯びながらコーヒーカップに手を付けようとすると、太助が不意に俺の肩を組んだ。
「良かったな! これで過去に帰れるかもしれないぞ!」
天真爛漫で屈託のない彼の言動は、心のろ過装置としての機能を発する。
「あぁ、希望が見えてきた」
今までは明確な手掛かりが自分の記憶しかなかったため、捜索が困難を極めていた。
しかし、実際の写真を手にすることによって分かりやすく情報を共有できるようになったため、彼の存在がぐっと近くなったのに変わりはない。
過去に帰れたら何をしようか。
そんなことを漠然と考えていたが、いつも思うのは唯花への謝罪であった。
過去の彼女とは喧嘩別れをしたままだ。
それを解消して、一緒に美味しいパンを食べたり、海に行きたい。
もっと簡単に言うなら、今の唯花と同じような関係性を築きたかった。
自分から断ち切ったものを再び元に戻したいと思うのは傲慢で利己の極みと言える。
それでも、その欲こそが活動の原動力となっているのに変わりはない。
再び過去に戻ろうと自分に誓ったとき、唯花は斜め下を見ながら人差し指でゆっくりとこめかみに爪を立てた。
「えっとさ、そんな急いで探す必要もないんじゃないかな?」
その発言に全員が彼女の方に視線を向ける。
「何、言ってんだ?」
その中で一番の驚きを露にしているのは薫であった。
「だって人なんて沢山いるんだよ? 顔以外は何もヒントが無いんだし、急ぐ理由だってない。だったらゆっくり探そうよ。みんなだって忙しいしさ」
彼女の口調はいつもより早い。
「どうして……」
薫の頬は垂れ、目元には涙のようなものが浮かんでいた。
そしておそらく本人には制御しきれない衝動によって、木製のテーブルを拳で思い切り叩きつける。
「どうしてお前はそこまでコイツに執着するんだ!」
カップとソーサーは互いにぶつかり合って共鳴し、単体で発するよりも強く高い音が周囲に響き渡った。
「その安っぽいイヤリング、どうせ衣織から貰ったんだろ?」
そう言って彼は唯花の耳に触ると、彼女は低い声で「触らないで」と口にした。
「値段何て関係があるの? これは私にとって大切なものなの。それを侮蔑されるのは心底不快」
お互いににらみ合う唯花と薫。
慌てふためきながらも、この場を収めようとする太助。
薫を見つめながら、ほとんど無意識に親指を噛む莉紗。
その光景をまるで映画館にいる観客のように鑑賞している自分。
この状況をカオスと呼ばずして何と呼ぶ。
軋むような空気感は一向に収まることが無く、些細なきっかけ一つで爆発するように思えた。
しかし、意外な人物がこの場の調停役として現れる。
「皆さん。サービスのパンナコッタを召し上がれ」
優しくて深みのある声に張りつめていた糸が柔軟性を取り戻す。
「すみません、百合さん。お店であることを忘れていました」
冷静になった薫は直ぐに頭を下げて謝罪をすると、「良いのよ。それがウチのコンセプト何だから」と笑って彼の肩を叩いた。
「あなたたちの年になっても会える友人なんて貴重なんだから、今をもっと楽しんだ方が良いわ」
彼女はパンナコッタにかけるブルーベリーソースを置くと、「じゃ、ごゆっくり」と言い残し、気を利かせて厨房の奥へ入っていった。
目の前に差し出されたお菓子。
最初に手を付けたのはやはり太助であった。
「うん。やっぱり美味いな。おばさんの作るスイーツほど完成されたものはない」
彼のべた褒めに対して唯花が「雪子さんが聞いたら、これを超えるパンを作れるまで試食要員にされるよ」とあどけない表情で笑う。
「確かに。刺身パンとか作ってきそうだ」
そんな独創性に溢れるパンを想像した太助はげんなりとした様子で、「たまに気絶しそうになるパンが出てくるんだよなぁ」と遠い目を見せた。
落ち着きをすっかり取り戻した一同は、椅子に座りながらスマホを触ったり、コーヒーを口に含んだりしていた。
一先ず危機は去ったらしい。
それに安堵すると手元のスプーンにようやく触れることができ、そのままパンナコッタの喉ごしを味わうことができた。
プリンのようだが全く違う食べ物。
生クリームを使っている分、濃厚さがダイレクトに伝わって来て、心をトロンと溶かしてくれる。
「パンナコッタパンなんてどう思う?」
太助に意見を求めると、「試食なら任せろ。伊達にゲテモノを食べてきたわけじゃない。なんてこったて味でも受け止めてやる」とつまらない冗談を吐いた。
愛想笑いをすべきか、もしくは何も言わずに流すのが正解だろうか。
そんなつまらない事に思考を奪われていると、最初に薫が席を立って、何も言わずに店を後にした。
それに続くように莉紗も立ち上がると、アイドルらしいウインクをして立ち去っていく。
「俺も帰るよ。明日もよろしくな衣織」
そう言って太助らしく厨房にいる百合さんに挨拶をすると、ドアベルを鳴らした。
「衣織、今日の夜ご飯は何?」
「どうしよっかな。ボルシチとか?」
「何それ?」
最後に残された俺たちも立ち上がって、二人寄り添いながら歩いていく。
外に出ると、ヒグラシがカナカナと鳴いている。
そんな一人なら寂しくなる黄昏時も、二人なら淡い時間になることを知り、歩幅を少し狭めながら帰路を辿った。




