第15話:あと一歩踏み出して
「さすが、国内最大のショッピングモ―ルを謳っているだけはあるな」
十年前の構想の段階で話題になっていた施設だが、まさかこんなにも早く買い物ができるとは。
まるでクリスマスプレゼントが突然届いた気分で、太助と共に過剰と言えるほどの飲食店や雑貨店を歩き回っていた。
「衣織。残念だけど最大の称号は七年前に奪われたぞ」
そう言って彼は建物に気合を入れてあげたのか、ポンポンと白く大きな壁を叩く。
確か、完成予定はタイムトラベルする前の二年後だったはずだ。
だとすれば、王者であったのは一年間という計算になる。
建物はその短い栄光を自虐するかのように、細かな部分が錆びついていた。
そのため、初めて来た場所であるのにも関わらず不思議とノスタルジックを感じてしまう。
「言っただろ。逆に虚しくなるだけだって」
そんなことを言う太助であったが、フードコートでクレープを美味しそうに頬張る姿は矛盾しているように感じる。
「ほっぺにクリーム、付いてるぞ」
豪快な食べっぷりを披露している彼を横目に胃もたれをおこしていると、頬をこちらに向けて「取ってくれないのか?」と気色の悪い戯れを始めた。
「髭の濃いおっさんの顔なんか触りたくない」
俺はげんなりしながら舌を出すと、太助は目を見開いて「俺はまだ二十五だぞ!」と顔面を勢いよく近づけた。
それは鬼気迫るものがあり、思わず言葉を失ってしまう。
もし子供が見れば、永遠に消えないトラウマとなるだろう。
「わ……悪い悪い。お前はまだまだお兄さんだ」
見え透いたご機嫌取りの言葉であったが、それに満足した太助は「だろ? どこからどう見てもピチピチの青年だ」とクレープを小さく巻きあげてそのまま口へ放り込んだ。
全く、どうしてこんなにも人は変わってしまうのか。
あの頃の太助は弱虫で、いつも誰かの背中に隠れていないと駄目な可愛い子どもだったのに。
時の残酷さを直に感じていると、彼は急に腹を抑えて「ごめん! ちょっとトイレ」と言い残し、尻を抑えながらこの場を後にした。
「そりゃあクレープの他にアイス三つとパンケーキを食べたらそうなる」
思わず零れた突っ込みであったが、周囲の人々は自分に何ら注意を向けようとしない。
それに腹の底から一つの恐怖が込み上げてくる。
もしかして、今の自分を認識しているのは特定の人物だけではないのか。
一つの可能性が頭に思い浮かぶと共に、冷たい汗が額に沿って流れだす。
落ち着きを求めた右手は自然に紙コップへ手を伸ばすと、ゆっくり水を口に流し込んでいく。
そして、それを潰しながら立ち上がると、近くの売店まで足を進めた。
「あの、注文良いですか?」
そう言って数秒経つが店員はこちらを向いてくれない。
「あの! 注文良いですか!」
俺は焦りを隠すことなく、叫びや怒号にも似た声を出すと「あ、申し訳ございません!」と言って近づいてきた。
それを確認すると、張っていた緊張の糸がプツンと切れて思考が真っ白になる。
「あのー、注文は……?」
その催促に意識を取り戻すが、特別何かを欲していた訳ではないので不本意ながらも固まってしまう。
「す、すみません。財布忘れてきたので取ってきます」
見え透いた嘘を零してこの場を後にする。
その様子はまるでコソ泥だ。
「はぁー」
フードコートから少し離れたソファで、フロア全体を見渡す。
そこには様々な人が行き来しており、正しい日曜日といった雰囲気が全体を包み込んでいた。
しかし、こんなにも人が居るのにも関わらず、どうしてこんなに虚しい気分になるのだろうか。
これは思春期特有の考え方が原因であると考えた。
たった十何年生きただけで、この世界を理解した気になっている滑稽なピエロである。
だからこそ、みんなと同じ歩幅で成長して心身ともに大人になりたかった。
しかし、過去に戻ったところで、こんな俺は変わることができるのだろうか。
もしかすると無理かもしれない、絶望に打ちひしがれて自ら命を絶つかもしれない。
頭部から踵まで、諦めの感情に浸りきっていると群衆の中で違和感を見つける。
目を凝らすと老婆が床に倒れており、隣にいた小学生くらいの子どもがパニックになっていた。
しかし、そんな状況にも関わらず、通り過ぎる人々は自分には関係ないと言わんばかりに視線だけを向けて横を通り過ぎていく。
人を助けない。
これは恥ずべきことではないと理解していた。
以前読んだ本によると、こういった行動は人間の残酷さではなく、本能によるものなのだから。
どんな状況でも冷静沈着に。
それが生存の鍵となる。
そう理解していたのだが、やはり俺の体は勝手に動いてしまう。
咄嗟に彼女の元へ近づくと、「大丈夫ですか!」と懸命に声を掛けた。
だが、名も知らぬ人の無事を願う気持ちとは裏腹に、何も反応を示さない。
「ばあちゃん、ばあちゃん……!」
隣で手を握りながら泣いている男児に対して、「大丈夫。大丈夫だから」と無責任に声を掛ける。
俺は以前学校で習った知識を元に脈を測る。
そこに反応はなかったため、祈る気持ちで胸に耳を当てたが、鼓動が聞こえることは無い。
俺は辺りを見渡してAEDを探す。
しかしそこに希望はなく、現実と言う不条理だけが鎮座していた。
こうなったら見様見真似で人工呼吸をするしかない。
徐々に温度を失っていく体に恐怖を感じるが、アドレナリンを絞り出して懸命に彼女を救おうとする。
この行為にどんな意味があるのか。
所詮は他人であり、自分の人生とはこれっきりの関係を結ぶことはないだろう。
そう思ってもなお、やはり動きを止めることはできなかった。
「絶対に、助けますからね!」
また俺は確証のない言葉を相手に伝えた。
いや、この場合は違う。
彼女に対する言葉ではなく、自分に対するものだ。
自分は無能で、手に入れたいものを手に入れることができないなんて分かっている。
それでも、せめて誰かのためになりたかった。
俺は今、彼女を通して自分を救おうとしている。
混乱の中でも懸命に人工呼吸をしながら息が吹き返すのを願っていると、何者かが俺の肩を掴んだ。
「邪魔しないで! 救急車を呼んでくれませんか!」
そんな叫びを上げるが、一向に肩から手を退かそうとはしてくれない。
代わりに「頑張ったな。あとは俺に任せろ」と頼もしい声が聞こえてくる。
その聞き覚えのある声音にようやく後ろを振り向くと、AEDを片手に太助が笑顔を向けていた。
彼の登場によって全身から力が抜けそうになるも、男児の傍に寄り添って再び「助かるよ」と言って背中を摩った。
それは先ほどよりも確かなものになっていて、現に彼女は迅速な処置によって弱いながらも呼吸を取り戻した。
そのまま救急車が到着して担架に乗せられると、その過程で「ありがとう」と小さな声が聞こえる。
それは明らかに太助へ向けられたものであったが、彼は「だってさ」と俺の方に視線を寄こした。
「何言ってんだよ。その言葉はお前のもんだろ」
そう精神的ゆとりを持ちながら彼の背中を叩くと、「いいや。あれは絶対に衣織に向けて言っていた」とかなり強めに背中を叩き返された。
彼の太く力強い手の平による衝撃は呼吸困難を引き起こしそうになるが、苦しそうな俺を見て軽快に笑っている。
「おい! 死んだらどうすんだ!」
そう言って彼を睨みつけると、遠い目をしながら「それは困るなぁ」と口にした。
悲しみのこもる声音に罪悪感を得ると、頭を掻いて「安心したらまた腹が減ってきた」と伝える。
すると彼は待っていましたと言わんばかりに、「最近、エクレア専門店ができたんだよ」と言ってポケットからパンフレットを見せた。
「これ、食べるつもりなのか?」
見るからに巨大なそのエクレアは確実に成人男性一日分の摂取カロリーを満たしている。
「当たり前だろ! 人を救うってのは脳とカロリーを大量に使うんだ!」
太助は俺の腕をがっしりと掴んで、店に向かうと「デラックスエクレアを二つ!」と指を二本立てる。
まさか、俺の分も注文するなんて。
「これは俺の奢りだ! もちろん何回でもお代わりしていいぞ!」
そんな一方的な善意はむしろ嫌がらせである。
俺は愛想笑いも浮かべることもできず、ただひたすら何処で胃薬を買おうか考えていた。




