第14話:偽物の勝利
「この辺りで合ってるはずだけど……」
俺はそびえたつビル群に囲まれながら、弁当箱を持って唯花を探していた。
なぜこのような場所に居るかというと、唯花の家で連絡用に使っているタブレットに一件の通知が入ったためである。
そこには唯花が弁当を忘れたという趣旨が記されていたため、どうせ暇だからと届けると伝えたのだ。
しかし、それ自体は良いのだが、恥ずかしい事に完全に迷子になっていた。
彼女に連絡しようにも俺はスマホを持っていないため、一旦戻って再度連絡しようとした時、「衣織―!」と後方から声が聞こえる。
なので、そちらに首を向けると唯花と薫が隣り合って歩いているのを確認できた。
「薫、どうしてここに?」
その質問に彼は「直属の部下と一緒に飯を食うため」と言い、唯花の頭の上にポンと手の平を乗せる。
「君はもう私のリーダーじゃないでしょ。エリアマネージャーに昇格したじゃない」
彼女は優しく彼の手を払うが、「それでも、上司には変わりないだろ?」と再び手を頭の上に乗せて意地悪そうに笑った。
二人のこの距離感は十年前よりも遥かに近いものになっていた。
異性からのボディータッチはそれなりの信頼関係を築かない限り、相当なストレスとなるはずだった。
しかし、唯花の表情は普段の様子と何も変わったところがないため、薫を信用していることが分かる。
そんな輝かしい美男美女の交流に、俺の中に禍々しい感情が芽生えることになる。
俺がいなかった世界で二人はどのような関係だったのだろうか。
もしかして、付き合っていたりするのだろうか。
そう思うだけで怒りと裏切りによる悲しみが込み上げてくる。
これは笑ってしまうほど自己中心的であり、哀れであることの自覚はあった。
それでも、ここに竹取衣織と言う動物が居る限り、そのような感情を抱かずにはいられない。
「これ、弁当だから」
彼女に自分の気持ちを悟られないよう、感情を殺しながら弁当を手渡してその場を離れようとする。
しかし、「待てよ。どうせだったら三人で飯食おうぜ」と意外にも薫から呼び止められた。
それに対し、「生憎だけど、家に残り物があるから遠慮させてもらうよ」と言い、足早に立ち去ろうとする。
だが、それを予想していたかのように、「そのリュックの中、どうせもう一個弁当が入っているんだろ?」と薫が口にした。
こいつは千里眼でも持っているのか。
彼に自分の心を見透かされるのは、何とも言えぬ敗北感を与えてくる。
「そうなの衣織?」
唯花は首を傾げると、「まぁ、一応持っては来ているけど」と視線を下げて敗北を受け入れた。
「じゃあ丁度いいな」
そう言って薫は小さなビニールシートを広げると、そのまま公園で食事を取ることになる。
今日の天気は快晴で絶好のピクニック日和であった。
「じゃあ頂きます」
彼女は行儀よく手を合わせ、とても幸せそうに俺の作った弁当を食べてくれる。
いつもこんな笑顔を浮かべているのなら、主夫冥利に尽きるものはない。
そんな時、薫はこだわりの詰まった卵焼きを唯花の箸から直接口にした。
「あ、ちょっと! まぁ、いっか。美味しいでしょ?」
彼女は胸を張って自信たっぷりに訪ねるが、「あー、五十五点」と言って野菜ジュースをストローで吸い始める。
その紙パックを思い切り握ったら、顔の穴と言う穴から赤色の液体が溢れるだろうか。
俺は明確な悪意を持って、気障な面を汚してやろうと手を伸ばすが、「薫が素直じゃないの、今に始まったことじゃないでしょ?」と唯花に宥められる。
「別に、俺は思ったことしか話さない。大学生の時に唯花が作った卵焼きの方が美味しかった」
その言葉に彼女は、「からかわないでよ。薫以外は全員、酷い顔をしてたんだから」と頬を膨らませる。
しかし、彼は本気の眼差しを唯花に向けながら「本当だよ。毎日だって食べたい」とさり気なく彼女の手に触れた。
認めるのは尺であるが、その整った顔立ちから放たれる甘く意味深い台詞を聞けば、嫌でも彼を意識してしまうだろう。
無駄な焦燥感だとは分かっている。
それでも、胸を締め付けられるような気持ちを抱えながら唯花の反応を待った。
彼女の口から返答が出るまでの二秒、三秒が永遠のように感じる。
額から染み出た嫌な汗が、ポツンと滴り落ちた。
そのタイミングで唯花は口を開く。
「私は衣織の味を毎日食べたい」
唯花は彼の手を優しく払う。
そして薫から隠すように俺の手の甲にそっと触れる。
その瞬間、自分の頭には優越と言う文字が浮かび上がった。
淡いピンクに黒を注いだようなこの感情はとても醜い。
それを分かっていても、込み上げてくるのは喜びでしかなかった。
「そう、か」
薫の残念そうな顔。
もし今の感情を薫に知られたのなら、彼から明確な殺意を向けられるはずだろう。
人間にテレパシー能力が備わっていないことを心から喜ぶと、彼は立ち上がって尻の砂を落とす素振りを見せる。
「唯花。もうそろそろ昼休みが終わりだ。クライアントの所に向かうぞ」
快活な表情を見せながら手元のアップルウォッチを指さすと、彼女も釣られるように自分の時計を確認した。
「大変! もう余裕がないじゃない!」
唯花の慌てた様子から本当に遅刻する可能性があるらしい。
「片づけはやっておくから」
そう伝えると彼女は申し訳なさそうに手の平を合わせて「新作のコンビニスイーツ買って帰るね!」と言い残して、薫と共にこの場を後にした。
少しずつ小さくなっていく二人の背中を眺めていると、不意に彼がこちらを振り向いた。
もう百メートルは離れようとしているのに、目と目が自然に合ってしまう。
そしてその異様な状況が三秒ほど続くことになるが、薫が前に歩き始めたことを切っ掛けに呪縛から解放される。
「とりあえず、片付けるか」
薫の眼力に圧倒された俺は気力を振り絞りながら、唯花の弁当を片していった。
太陽はギラギラと容赦なくこちらを照らし、思わず眩暈がしてしまう。
俺は危険を感じ、近くの木陰に避難すると、彼らが務めていると言うビルを何となく眺めた。
そこを行き来するのは上質なスーツを身に纏う人々であり、いわゆる「勝ち組」という言葉が容易に思い浮んだ。
仮に自分が死ななかった場合、こんな連中と肩を並べられるだろうか。
それ以前に、彼らと同じ土俵に昇れるのか?
俺はほんの数秒でも薫に勝っていると感じた自分を恥じる。
彼は一体、どれだけの努力を重ねてきたのだろうか。
元から才能がある人間とは言え、生半可な覚悟では今の立場を得ることはできないだろう。
薫の何が原動力に繋がっているかは火を見るよりも明らかであった。
俺は悔しさのあまり髪の毛を掻き毟る。
「早く帰って、あいつに追い付かないと」
今現在は負けているが、過去に戻ることができればいくらでも挽回できるはずだ。
例え能力が劣っていても、努力すれば、同じ場所へ辿り着けるはずだ。
唯花を独り占めできるはずなんだ。
そう何度も自分に言い聞かせてベンチから立ち上がる。
未だにふらつく体で動くのは危険だと理解していたが、それでも前に進みたかった。
これ以上、あの頃の自分に戻りたくなかった。




