ep.7
「――これが、私、アシュリーンの半生」
私が話し終えると、張り詰めていた緊張がほぐれて、足に力が入らなくなった。すぐさまヴィルが私の肩を支える。
「大丈夫か」
「……大丈夫じゃないかも」
自分で言って少し笑ってしまった。
涙はもう出ない。もう一生ぶん出し尽くしてしまったのかもしれないほど泣いた。
ヴィルは何も言わなかった。
ただ黙って支えてくれていた。
その沈黙が妙に心地良かった。
しばらくして私は顔を上げる。
「ねえ、ヴィル」
「なんだ」
「あなた帝国人でしょう?」
「ああ」
「私を匿ってるって知れたら、帝国追放刑どころじゃ済まないわよ」
ヴィルは少し考えてから答えた。
「そうかもな」
「そうかもな、じゃないわよ」
思わず声が大きくなる。
「私、皇帝が血眼になって探してる王女なのよ?」
「らしいな」
「処刑されるかもしれないのよ?」
「そうだな」
「もっと危機感を持ちなさいよ!」
するとヴィルは少しだけ眉をひそめた。
「今さら突き放せってことか?」
「そうじゃなくて……」
言葉に詰まる。
突き放してほしいわけではない。
だけど巻き込みたくもない。
「出会ったばかりで何を分かった気で、と思うかもしれないけれど、私は貴方に死んで欲しくないわ」
自分でも驚くほど、私はこの男に肩入れしてしまっている。だが、本当なのだ。その気持ちに偽りはないのだから。
ヴィルはため息をついた。
「だったら気にするな」
「気にするわよ普通」
「俺は気にしてない」
「なんでよ」
すると彼は少しだけ考え、
「放っておけなかったからだ」
と言った。
「俺の養父は、森に捨てられていた赤子の俺を拾って育てた。なぜだと思う」
「さあ」
「俺だって知らん」
「は?」
思わず変な声が出た。
「聞いておいて知らないの?」
「拾った理由なんて聞く必要もなかったからな」
ヴィルは平然と言った。
「ただ、親父殿は死ぬのを待つばかりの人間を見捨てなかった」
「……」
「だから俺もそうした」
唖然とする他なかった。こんな状況の私を、見返りも求めず助ける人間がいるとは。
「……変な人」
「よく言われる」
「嘘。絶対言われないわ」
「言われた」
「誰に?」
「親父殿に」
私は少し吹き出した。
ヴィルもわずかに口元を緩める。
初めて見た。この男が笑うところを。
「初日に、お前も自分が変人だと言っていた。縁とはそういうものなのだろう」
そう言って彼は私の肩に手を置いた。
「帰るぞ。今夜は吹雪くから、奴らも吹雪が止むまでは動けまい」
――まだこの世界に、帰ってもいい家があるのか。
前を歩くヴィルの背中を、不思議と、見失いたくないと思った。
「足はどうだ」
「少しだけ痛むけど、大したことないわ」
「無理するな、背に乗れ」
そう言ってヴィルは、数日前のように、しゃがみこみ、背を見せる。気づけば私は、当然のようにその背へ腕を回していた。
「ヴィル、私だけ話してばかりだわ。私にも貴方のことも教えて」
「小屋に着いてから聞いてやる」
そう言ってヴィルは私を軽々と背負って、走り出した。
ヴィルは私が半日かかって歩いた森を迷いなく駆けていく。雪に埋もれた倒木を飛び越え、 木々の隙間を縫い、 崖沿いの獣道を進む。まるで森そのものが、彼のために道を開いているかのようだった。
そうして二刻ほど後、雪が強まってきた頃、ヴィルの小屋へとたどり着いた。
「ねえ、あなた年は幾つなの?」
ヴィルが料理を作る間、私は寝台に腰掛けてヴィルに話しかける。5日間、言葉を交わさなかった空白を穴埋めするように。
「考えたこともない」
「それじゃあ、お父上に拾われたのは何年前?」
「…20年前だと言っていた」
「じゃあ私と同い年くらいなのね。20年間ずっとここに住んでるの?」
「そうだ」
「狩りをして?」
「そうだ」
相変わらずヴィルは口数が多くない。素っ気なくも感じるが、飾らず、冷静で、相手をよく観察している。それが彼の人としての良さでもある。
振り返らない彼の背中に向かって語りかける。
「……ねえ、ヴィル。あなたのお父上は、多分元帝国貴族じゃない?それも、今の皇帝と関係の深い立場の」
彼は振り返ることなく、ずっと火の加減を見ている。
外では激しい吹雪が小屋を絶えず吹き付けている。
「かもしれん。偉かったかどうかは知らんが、親父殿が貴族であったという話は、たまに愚痴をこぼす時に言っていたから知っている」
「親父殿は貴族ではあったが、あまり貴族という生き物が好きではなかったようだ。ある日貴族の生活に嫌気が刺して、持っていた全てを捨て森へ入り、打ち捨てられていたこの小屋を改装して暮らし始めてすぐ俺を拾ったと聞いた」
「親父殿は俺に様々な教育を施した。森で生きるための狩りの仕方、動物の解体法、食べられる植物の見分け方、武器の扱い方、世界の常識。果てには文字の読み書き、地理、金の計算、食事の作法まで。俺には普通がよく分からんが、これは猟師に対する普通の教育ではないことは分かる」
「それに、俺を教える時の親父殿は手馴れていて、心なしか目が輝いていたように見えた。そして時折その瞳の奥に、俺じゃない誰かを見ているような気がして――」
ハッとしたように、ヴィルはこちらに振り返る。
苦々しい表情で、
「余計なことまで話した。忘れろ」
と言った。
私はむしろ、その先こそが知りたかったのに。
彼は気まずそうに、鍋の中身をくるくるとかき混ぜる。
「そんな。もっと話してもいいのよ。むしろ、貴族の私なら、貴方のお父上の事を知ってるかもしれないわ。帝国貴族ならある程度の名前は頭に入っているし。お名前はなんて言うの?」
彼は想像もしてなかったというような顔をした。無理もない、森の中で暮らしていれば、一生知りえなかった父の事実が、何の偶然か、知ることができるのかもしれないのだから。
だが、彼は目を伏せた。
「…俺が知っているのは、今話した内容と、よく使っていたという偽名だけだ。俺にも、本当の名前は教えてくれなかった」
彼は懐かしいような、悲しいような灰色の目で私を見やった。
「アルベルト・ツー・ブラウベルン。この名に聞き覚えはないか」
知らない名だった。少なくとも、私が知りうる帝国の重要貴族や皇帝の近臣などの名ではない。
「…ごめんなさい、知らない名だわ。世捨て人になったのが20年以上前なら、私の生まれる前のことだから……記録にも残ってなかったのかもしれない。王宮の名簿には載っていなかったもの」
ヴィルはそれを聞いて、ふうと息を吐く。
「そうか」
落胆しているようには見えなかった。
だが、ほんの僅かだけ肩の力が抜けた気がした。
親父殿のことを知りたいと思っていたのは、私だけではなかったのだろう。
ヴィルは鍋の蓋を開ける。
湯気と共に肉と香草の匂いが広がった。
「まあ、死んだ人間のことだ」
そう言って木椀に料理をよそう。
彼は黒パンをナイフで切り分け、平皿へ分け私に渡す。
「それより考えるべきは、今後俺たちはどうすべきかだ。」
彼の顔が少し険しくなる。
「兵士たちは吹雪が止み次第、この小屋に向かうだろう。春になる前の吹雪だから、明日には止み、兵士もやって来る。この家に居れるのもそれまでだ」
スープを受け取る。両手の中で椀の温もりを感じる。
「……私は、北へ行ってノイヴァルディア大公国へ渡ろうと思ってる。私の従姉妹がノイヴァルディアの王族に嫁いでるから、助命してくれる可能性がある」
ヴィルは黙って話を聞いていた。
「北海沿いの港まで行けば船が出ているはずよ。問題はそこまで辿り着けるかだけど……」
そこで言葉を切る。
ヴィルなら分かっているだろう。
私一人では無理だ。
足手まといでしかない。
だが彼はあっさりと言った。
「送っていこう」
私は顔を上げた。
「本当に?」
「ああ」
少しだけ胸が軽くなる。
だが次の言葉で、それは凍り付いた。
「北海までだ。その後は別れる」
私は瞬きをした。
何を言われたのか理解できなかった。
ヴィルは当然のことのように続ける。
「俺がお前を匿ったことはじき知られるだろう。もう帝国領では生きられん」
鍋の火がぱちりと鳴る。
「だから港まで送ったら姿を消す。もっと南の森か、西の山脈地帯か。追手が来ない場所を探して隠れて暮らす」
まるで明日の天気でも話すような口調だった。
「そんな……」
思わず声が漏れる。
「それじゃあ貴方はずっと一人で生きるの?」
「今までと変わらん」
変わるわよ。
そう叫びたかった。
だけど言葉にならない。
私は椀を握り締めた。
「だったら、一緒に来てよ」
ヴィルが眉を上げた。
「ノイヴァルディアへ?」
「そうよ」
自分でも驚くほど自然に言葉が出た。
「貴方がいなければ私は死んでいたわ。命の恩人なの。従姉妹に事情を話せば保護してくれるかもしれない」
ヴィルは静かに首を振る。
「無理だ」
「どうして?」
「お前は王族だ」
その声は妙に硬かった。
「俺はどこの馬の骨とも知れない平民だ」
「そんなこと――」
「ある」
初めてヴィルが私の言葉を遮った。
小屋の空気が少し張り詰める。
「お前は王女だ。国を失っても変わらん。お前がどれだけ否定しても、周囲はそう見ないだろう」
私は何も言えなかった。
「王族には王族の役目がある。貴族には貴族の役目がある」
そして少しだけ視線を落とした。
「平民には平民の役目がある」
自分を王女の隣に立つ人間ではないと思い込んでいる、そんな気がした。
だが私にとってみれば、これまで会ったどの見合い相手よりも、ヴィルの方がずっと頼もしく思えた。父のような頼もしさ、爺やのような誠実さ、弟のような愛らしさ。彼はそのすべてを持っている。
「ヴィル」
「なんだ」
「私、王女なんてもうやめたわ」
彼は少しだけ目を細める。
「やめられるものじゃない」
「やめたの」
私は言い切った。
「国は滅んだ。家族もいない。臣下もいない」
胸の奥が痛む。家族や爺やの顔が思い浮かぶ。
けれど目を逸らさなかった。
「今の私は、貴方の小屋でふてぶてしく居候してるただの女の子よ」
数秒の沈黙。
吹雪の音だけが響く。
やがてヴィルは小さく息を吐いた。
「そういうところだ」
「何が?」
「変人だと言ったのは」
その言葉に、私は思わず笑ってしまった。
ヴィルは私のその顔を見て、口の端を微かにつり上げた。
彼の作ってくれたスープの温もりとともに、私たちは眠りについた。
旅立ちの夜が、明けていく。




