後日談② 孤高の
王か、道化か。
道化の一人芝居とはこのことか。
誰よりも高い位置に据えられた玉座に座り、手の届かぬ先を見て、ハインツは心の中で自嘲した。
王城で一番広い祝祭などに使われる大広間で開かれたのは、新しい王の誕生を祝う舞踏会だ。
戴冠式は数日前に終わっており、社交シーズン最後の舞踏会と兼ねて開催されることになった。
日を空けずに開く舞踏会に割り当てる予算はない、と判断したのはハインツだ。
だが、貴族の誰もがハインツの本音を知っているだろう。
横にある王妃の座に座る者はいない。
舞踏会の始まりを告げる宣言と共に、すぐに彼女の姿は貴族達への中へと消えていった。
いや、貴族の数が決して多くはない中、見つけるのは容易だ。
今、この国で最も高貴な女性は、同時に社交界の全てに君臨する女王のよう。
流行するドレスの形も、色も、素材も、オーベルマン伯爵家を御用達とした、グリゼルダから発信される。
それを支えるのはネッカフィン絹の産地であり、同時に大きな商会を保有するカレン・ネッカー女子爵。
彼女達と歓談するのは、辺境の聖女と名高い、元辺境伯令嬢だったシシー・ベルフィストだ。
あの日、断罪を受けた者達が、今や国になくてはならない重要人物に変わっていた。
そしてグリゼルダの後ろに控えるのは、今や王妃付き秘書官となったリカードだった。
彼女をどこへでもエスコートし、いつだって後ろに控えている。
グリゼルダが時折を振り返っては話しかけ、言葉を返すリカードの姿。
グリゼルダの寵愛がどこへ向いているかなど、貴族の誰もが知っている。
反対に、ハインツの側近であった誰もが姿を消していた。
ヨシアスは子爵位を与えられたらしいが、ここに姿を見せていない。
気位が高かったから、今の姿を見せられないのだろう。
フェラートは変わらずネッカー女子爵の伴侶らしいが、貴族でないとして今日の舞踏会には伴われていない。
生きているのか一度調べたが、ヴァインライヒ公爵からやんわりと警告を受けて断念した。
ただ、調査自体は少し進んでいたので、彼と外見の似た男がいたということだけは聞いている。
実際のところ、生きてはいないと思っているが。
ヴァルターはシシー嬢と婚約解消後に自宅謹慎となり、気づけば留学と称して国から姿を消していた。
騎士団長は子煩悩だ。
恐らくは外へ逃がしたのだろう。
ハインツは己の手を見下ろす。
自分は何を間違えたのだろうか。
そうやって自問自答を繰り返すが、理解はできても納得はできなかった。
ただ、若気の至りで目移りしただけなのだ。
食べてしまいそうに可愛らしい、学生時代だけに許された可愛い乙女。
王妃にしようなんて思っていなかった。
手元に置く大義名分の為、冤罪を捏造したに過ぎないのに。
側近の誰もが、乙女を王妃にするのだと思っていたし、否定すると面倒なので口にしなかったが、乙女はハインツの心を慰めるだけでよかった。
王妃になどしたら、グリゼルダのようになってしまう。
だが、計画が漏れているとは思わなかった慢心が、痛恨のミスだろう。
失敗したことは反省している。
だが、罪を捏造したことは必要だからしたことで、これに反省の必要はない。
断罪によってグリゼルダに瑕疵をつけるとあっても、それは彼女が上手く立ち回って挽回すればよいだけである。
むしろ、完璧だと持て囃される彼女をわからせるために、被せる泥は必要だった。
ハインツは優秀である。
ゆえに婚約者であるグリゼルダも優秀でなければならない。
だが、行き過ぎるのも問題で。
汚名を返上しつつも、多少の傷物になるくらいが丁度いいのだ。
ハインツと乙女のことに理解を示して上手く立ち回り、最終的には王妃という形で、王となったハインツを支えていれば良かっただけだというのに。
離れた場所にいる、彼女達の声は全く聞こえなかったが、楽しそうだという雰囲気だけは伝わってくる。
今宵の主役も彼女達だ。
ハインツではない。
実際、王であるハインツへの挨拶は欠かさないものの、貴族達は挨拶も早々にして、グリゼルダへと話しかけにいく。
まるでグリゼルダが、玉座に座らぬだけの支配者のように。
無意識に唇を噛む。
だが、それを注意してくれる者はいなかった。
あの夜、グリゼルダより先に子を産まなければならないという、強い義務感に駆られて女達の誰かを選ぼうとした。
赤い髪の女達が、あちこちに置かれたソファーに座る。
その姿の品の無さから身元を確認すれば、貴族は一人もいなかった。
無作法な仕草、口を大きく開けた下品な笑い。
途端に覚えた憤りは、彼女達を選ぶ気持ちを急速に萎ませた。
はしたなく縋る女達の腕を振りほどき、寝室の大きなベッドに身を横たえる。
身元は確かだと言いながら、この国で最も高貴な王族に卑しい身の女を与えられるなんて。
ハインツは屈辱に身が震えた。
絶対にグリゼルダとヴァインライヒ公爵の仕業だ。
翌朝早々にグリゼルダを叱責しようと使用人に場所を尋ねるも、隠すことの無い呆れが眼差しに乗せられて見返されるだけ。
「王太子妃殿下におかれましては、昨晩に務めを果たされましたため、まだご就寝中だと思われます」
言われて呆然とする。
少しだけ、ほんの少しだけ期待していたのだ。
これはグリゼルダ達の仕返しで、朝にも一緒に食事を摂りながら、軽く窘めてくるのだという期待。
そして、改めてグリゼルダがハインツに謝罪し、ハインツが寛容にも赦す。
だが、そんな朝などなかったのだ。
ハインツの前で聞き飽きた口上が繰り返され、すぐに貴族達は去っていく。
向かう先はハインツの唯一。
王子と王女を三人産み、それでも若々しさと美しさの衰えないままのグリゼルダ。
十年が経過した今、王太子宮にいる女達との違いを、まざまざと見せつけられている。
愛人だと与えられた赤毛の女達は、貴族としての礼儀は知らないが、若く健康で、そして贅沢を知らなかった。
勿論、王族や高位貴族と同じ贅沢ではない。
ハインツにはたいしたことない贅沢であったが、彼女達はささやかな贅沢を耽溺し、身を崩していった。
酒を飲んで夜更けまではしゃぎ、昼頃に起きてくるか、飲み過ぎで出てこない。
ソファーでだらしなく眠り込んでいる者まで現れた。
祝祭の節目に与えられる宝石などは、一番高価な物を取り合って、常に剣呑な空気を撒き散らした。
仕方なく行儀作法の教師を呼んでみたが、その頃には既に怠惰な生活に慣れて、誰もが授業から逃げ出してしまう。
気づけば、メリハリのあった体を手離した者や、逆に病気がちでやせ細った者まで現れる始末。
散々な結果だった。
自身に相応しくないと、女に手を出すことを躊躇して、公務に没頭しているうちに届いた王太子妃懐妊の報せ。
忌々しいリカードとの子だ。
もし、王子が産まれたら。
グリゼルダもリカードも王家の血を引いてはいるが、所詮直系ではない。
けれど、どちらも傍系ゆえに王族の特徴を引く子の可能性は高い。
特にリカードは王族らしい外見的特徴を兼ね備えている。
産まれる前に始末しなければ。
当時は大分追い詰められていたと思う。
だが画策はしたものの、既にハインツには信頼できる側近はおらず、そしてグリゼルダの住まいは騎士の数が増やされていた。
手駒となるべき愛人達に権力は無く、怠惰にすごすだけの彼女達に人脈もない。
ただただ、対抗する手段として子作りを強請るばかり。
仕方なく、王城で働く年若い侍女を王太子宮に連れ込んで手籠めにしたが、一度では子などできず、後に侍女は王妃の庇護下に置かれたと聞かされた。
同時に、王城にあるハインツの執務室は王太子宮の近くに移され、そこから一切の侍女が排除された。
これも父親である国王に抗議を申し入れたが、疲れの滲み出た顔で「今の立場を考えて物を言うように」と注意されただけだった。
意味も分からず、視察で同行したグリゼルダにも抗議すれば、涼やかな笑みに冬を宿した瞳がハインツに向けられる。
「殿下、客観的にお考えくださいな。
結婚当時から複数の愛人を持たれている殿下が、王城の侍女にまで手を出したとなれば、周囲はどう思われるでしょうか」
「しかし、私は愛人など望んでいなかった」
そうだ、グリゼルダが義務を果たさないから。
今度こそ、と向かいに座るグリゼルダの手を取ろうとしたら、扇を広げて避けられる。
同時に彼女の侍女が腕を伸ばして遮った。
眼鏡の奥にある茶色の瞳が、真っ直ぐにこちらを睨んでくる。
地味な女がと睨み返すも、怯みもしなかった。
「あくまで客観的な話でお考えをと、申し上げておりますでしょう?
そして、事情など知らない者達から見た殿下を、どう思われるのかをお考えの方がよろしいかと。
ご自身のことになりますと、公正に見られないのですね」
そうして溜息を落される。
「次からは馬車も別に致しましょう」
そこからグリゼルダはハインツと口を利かず、ヘルガと呼んでいる侍女と、子の生育について話し始める。
まるでハインツなどいない世界。
──もう十年だ。
いや、まだ十年だ。
グリゼルダは王妃のままで、ハインツは王のまま。
今更離縁したところで、王位継承権を持った王子と王女は残されるだろう。
王子も王女も完全に王家の特徴を引いてはいないが、ハインツに子ができぬままであれば、消去法であれらの誰かが選ばれる。
何もかもが遅すぎた。
ハインツは父も母も恨んでいる。
陥れられた息子を救わず、逆に突き放した者達など不要だと、戴冠式直後に、王都より遥か遠くの離宮へと追い払った。
場所は王領の保有地だ。
命の保証はするが、田舎で乾涸びた生活でも送ればいい。
いや、乾涸びてしまいそうなのはハインツだ。
公務ばかりの生活に張り合いはあれども、癒しという潤いがない。
王妃と離縁はできず、愛人も手離せないなら、側妃を選べばいいと思ったことだってあった。
今宵の舞踏会には、ハインツが及第点を出せるような年若い令嬢達はいる。
だが、高位になるほど早々に婚約をしていた。
それも先代国王の王命による婚約だ。
どう見ても、ハインツの思惑を妨害するためだろう。
それを知ったからこその王都追放だったが、それでも王命を覆すことはできなかった。
このまま公務に追われて生きていくだけの存在。
最も尊き立場でありながら、誰よりも孤独な国の至宝。
たった一人、孤高の王。
だが、この考えだって周囲から見たら愚かしいのだろう。
知っている。
他に同じことをする者がいれば、愚か者だと馬鹿にする。
それなのに、ハインツの中では何もかもが納得できない。
自分に過ちがあれども必要なことであったし、許されるべきであった。
なのに、なぜ。
ぐるぐると回り続ける思考は、誰も答えをくれなどしないし、ハインツの中で答えが見つかることはない。
叫び出しそうな衝動を呑み込み、今や誰も見ることの無い孤高の王は、玉座から離れることなく虚ろな瞳を動かすだけであった。
これで一旦〆となります。
お付き合いありがとうございました!
感想も沢山いただき、感謝です!
毎回皆さんの思っていることや推測などを読ませてもらっては、一人で笑ったり突っ込んだり、もういっそ別でお話書いてくださいません?と思ったりしています。
毎回誤字報告もありがとうございます!
感想と違ってログが残らないので、後でユーザー確認できる機能がほしい…




