第二の師
本話とは関係ありませんが、アズワン株式会社さんの情報ポータルサイト「Lab Brains」でH3ロケット8号機の打ち上げ失敗原因の解説記事を書きました。CFRPがらみの事故でしたので、ご興味ありましたら調べてみてください。
秘書課の佐藤文子にメンバーを集めてもらっている間、耀子は第二のピアノの師といえる人物のもとを訪問していた。
「お疲れ様です大沼先生。いつもお時間取らせていただいてすみません」
「いえいえ、耀子さんこそ社長業大変でしょう。こうして合間を縫ってきていただけるだけでも大変ありがたいです」
華族令嬢のたしなみとして幼少期からピアノを習い続けてきた耀子であったが、体が成長し、技量が向上してくると、前世で慣れ親しんでいたゲーム音楽やJ-POPを記憶から再現しようと試みるようになる。しかし、独力では和音やアルペジオ、それらを16分音符で連打する発狂ピアノのコピーには限界があり、当時の先生も作曲は専門外だったため、亡き父煕通から紹介されたのが陸軍軍楽部の大沼哲だった。
「アラミドドラムヘッドの様子はどうですか?」
「いやあ相変わらず素晴らしいですよ。簡単にチューニングが合うし、どれだけ酷使しても全く伸びる様子がありません。『これだけ頑丈なら銃弾にも耐えるに違いない』と思って、拳銃で撃って穴をあける馬鹿が出たぐらいですよ」
帝国人繊はアラミド繊維織物で強化した合成皮革でドラムの打面を製造しており、このドラムヘッドを採用したドラムが陸海両軍の軍楽隊に採用されている。このあたりも、耀子が大沼や日本楽器製造とつながりがあるからこそなしえたことであった。
「あはは……まあ世間話はこのくらいにして、今日の本題に入らせていただくと、2つお願いがありまして」
「なるほど?」
出された緑茶を一口飲んだ後、耀子は今回の訪問の目的を切り出す。
「まず、弊社音楽用品の宣伝のため、小規模な管弦楽団を作ろうと思います。欧米でいうところのバンドに近い規模感のものです」
「おお、それはいいじゃないですか。管弦楽団ということは、やはりクラシックを主に演奏するんですか?」
「そこです。おそらく本格的な音楽教育を受けているメンバーは集まらなくて、技量では軍楽隊やその辺の交響楽団に勝てません。なので、よく先生に相談に乗っていただいている『背景音楽』で勝負しようかと」
この「背景音楽」こそが、耀子がその余暇を注いで模造している「前世で慣れ親しんだ音楽群」の総称だ。この時代では全く見かけない音使いをするため、大沼にジャンル名を聞かれた耀子がとっさにひねり出した呼び名である。「何らかの場面で背景に流れている音楽」ということだ。
「なるほど……確かに、耀子さんの『背景音楽』と呼ぶ作品群は斬新な音づかいをしますからね。そうなると、お願いの1つは、現状はピアノ曲である『背景音楽』を管弦楽用に書き直してほしいということですか?」
「その通りです。お忙しいのはわかりますが、どうかお願いできませんか?」
本当は遠い未来の先人たちの作品を「耀子さんの」と呼ばれることにうしろめたさを感じながら、彼女は大沼の予想を肯定する。
「少しずつ作業することにはなりますが、いいですよ。耀子さんにはいつも無理を聞いてもらっていますからね」
「ありがとうございます!」
「いえいえ。いつも言ってますが、耀子さんの音使いは本当に新鮮で、私も学ぶところが大きいですから」
実は、今の大沼は行進曲以外の曲の発表を陸軍から禁じられていた。そのため、耀子は大沼の「行進曲でない作品」を四海堂印刷所から「吹奏楽部員のための練習曲」などと適当な名前を付けて作者名を伏せた上で出版している。大沼の故郷であり、帝国人繊の企業城下町である山形県米沢市の学校でなぜかよく演奏されているそうだが、きっと偶然だろう。
「そしてもう1つのお願いですが……先ほど申し上げたように、今回集まる方々は本格的な音楽教育を受けていなかったり、今まで触ってきたものとは違う楽器に持ち替えていたりします。そういった方々でも指導いただける方をご紹介いただきたいのですが……」
「なるほどそうですか……本当に楽しそうな取り組みですので、できることなら私が軍を辞めて行きたいところですけど、まだまだやることがありますし……」
考え込む大沼を耀子がいろんな意味でひやひやしながら見守っていると、そのうち彼は何かを思いついたかのように顔を上げる。
「辻さんはどうだろう」
「辻!?……ああ、『爆弾三勇士の歌』の辻順治さんですか」
「ええ。政信殿じゃないです。戸山学校軍楽隊楽長をつとめたあと定年退官した順治さんです」
辻と聞いて一瞬動揺した耀子だったが、同じ苗字の作曲家がいたことを思い出した。
「退官された後はどうされているんですか?」
「たしか、今は日本ポリドールの吹込部長をしていらした気がしますが……もしかすると、こちらの求めに応じてくれるかもしれません」
「能力としては過剰なくらいですし、ふさわしい待遇も用意できますけど、来てくれますでしょうか」
順治は陸軍軍楽部の最高位まで上り詰めた人物である。階級としては少佐にすぎないとはいえ、その他の兵科における少佐とは話が違うのだ。
「ポリドールに行ってからはなにか楽団を指導しているというような話も聞きませんし、大方、会社が軍部におもねるためのお飾りになっているんでしょう。暇してると思いますから、こういうやりがいのある話には飢えていると思います」
「それなら……なんとかなってほしいですね」
正直勝率は微妙だと思う耀子だったが、後日交渉してみたところ、大沼が同伴してくれたことが奏功し、辻順治は幻樂団の指導を請け負ってくれた。以後、彼の指導の下で、帝国人繊幻樂団は鍛えられていくことになる。
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