あるオルガン屋の顛末
すみません、時間をめっちゃさかのぼります。
これまでも度々名前だけは出てきた日本楽器製造(日楽)。史実では後にピアノの日本国内シェア第1位を達成し、日本の二大二輪車メーカーの片割れも設立する未来の大企業だが、この世界線ではどのような運命をたどっているのだろうか。
日本楽器製造はもともと山葉寅楠の設立したオルガン製造業者である。学校のオルガンを修理したことをきっかけにオルガンの製造をはじめ、木工技術を磨きつつピアノの製造を始めたところまでは史実通りであった。
その運命が変わり始めたのは1910年ごろのことである。
「プロペラ……とかいうものを作ってほしい?」
「はい。そこの鷹司がどうしても御社にやらせてほしいと……」
今を時めく新興財閥鈴木商店の実質的な経営者、金子直吉の訪問を受け、いったい何を言われるのかと思ったら、得体のしれぬ巨大な木の板を作ってほしいという。しかもそれを発案したのは彼の連れてきた年端もいかぬ少女だとか。
「プロペラは左右の形状がぴたりと一致し、なおかつ重心が中央に来ていなければ振動が発生してしまう精密部品です。御社は楽器製作で磨いた高い木工技術を持っていらっしゃいます。ぜひ力を貸していただきたく……」
1/4くらい嘘である。日本楽器製造の木工技術が高いのは事実だが、同等以上の能力を持っている会社はほかにも存在するだろう。耀子が当時設計中だった試験機「鳶」のプロペラ製造をこの会社にお願いしたがっているのは、ひとえに史実の日本楽器製造を知る彼女の自己満足のためであった。
「……お嬢さんはこれで何をする気だい?」
「乱暴に言うと、空を飛びます」
虎楠に聞かれた耀子は真剣な面持ちで答える。
「空を?」
「ええ。ガソリン発動機でこちらのプロペラを回し、前向きの揚力を生み出すことで飛行機を前進させます。飛行機には主翼が備わっており、前進することで主翼が風を受けて揚力を発生させ、浮揚するのです」
「もちろん、今回の取り組みにあたりましては、陸軍や帝国大学の先生らとも共同して作業に当たっております。彼女自身、こう見えても最近流行りのナイロンストッキングの発明者ですから、技術的に失敗する可能性はないでしょう」
耀子が飛行機の仕組みを図を交えながら説明し、プロジェクトの安全性を金子が保証した。
「ふむ……わかりました。引き受けましょう」
「ありがとうございます!」
耀子は机に頭を打ち付けんする勢いで頭を下げる。こうして、史実より10年早く日本楽器製造はプロペラ事業を始めることになった。
さて、帝国人繊の航空機事業が軌道に乗り、川崎航空機や愛知航空機の参入で日本全体の航空機生産量も増えたわけだが、それらの飛行機用プロペラの製造を一手に引き受ける日本楽器製造の経営が史実より好転したかといえば否である。
「は? 日本楽器製造でストライキ?」
「ええ。残業代や退職金を出すことを労働者側が要求し、経営陣が拒否したとのことで……」
「ば~~~~~っかじゃねえの!?」
耀子が絶句するほど日本楽器製造の経営状態が史実と大差ない状態だったのは、彼女にも原因があった。第一次世界大戦が早期に終結し、ドイツの音楽産業が早々に立ち直ってしまったのである。
史実では第一次世界大戦の影響で独墺の産業は壊滅的打撃を受け、日本への輸入も途絶えてしまった。これにより品質に劣る日本製の楽器でも音楽家が購入する状況が発生し、一時的に日本楽器製造の経営は立ち直ったのである。
ところが、この世界線では第一次世界大戦がたった1年で終結し、オーストリアに至ってはほとんど国土が荒れなかったため、独墺製の高品質な楽器の輸入が速やかに再開された。これにより日本楽器製造の本業の売り上げが史実より減少し、プロペラ事業の増収増益を考慮しても、史実と大差ない苦しい経営になってしまったのである。
「どうしましょう。うちの飛行機はあそこのプロペラがないと飛びませんよ」
「最近、プロペラをGFRP製にするために設備投資もしてもらったしなあ……」
もちろん、史実通り死去した山葉虎楠の後を受けて二代目社長に就任した天野千代丸も、この状況を静観していたわけではない。鍵盤楽器以外にも様々な楽器の製造を手掛けるようにし、積極的な企業買収で経営規模の拡大を図った。
しかし、日本人の舶来品信仰と、独墺米に大きく水をあけられている品質はいかんともしがたかったのである。
「介入しますか?」
「そうしよっか。金子さんにもお金出してもらって、まずは労働争議を片付けよう」
帝国人繊と鈴木商店の迅速な出資により、史実では盛大にこじれた末に大量の解雇者を出した日本楽器製造の労働争議は穏便に決着した。しかし、現状を変えなければまた同じことを繰り返すだろうし、引責辞任した天野の後任も選ばなければいけない。
「商売人の視点から見ると、本当にひどい経営をしていたんだな」
「まあ、天野さんも地元の有力者ってだけで、商業で身を立てた人じゃないですからね」
日本楽器製造の経営状況の整理を終えた金子と耀子は、身の丈を考えない放漫経営の形跡を見てため息をついた。
「次の社長はうちから出そう。ちゃんと経営すれば、本来は利益が上がるはずの会社だ」
「いや、そのー……たぶん浜松出身の人じゃないとまたもめる気がするんで、ちょっと待ってもらっていいですか?」
いつも通り、自社から社長を派遣しようとする金子に対し、耀子は待ったをかける。
「ん? 誰かあてがあるのか?」
「あ、はい。遠州銀行からぜひこの人に頼みたい、という方を聞いてまして」
確かに遠州銀行は日本楽器製造に対する債権者の一つであったが、この時点での耀子の言葉はハッタリ同然であった。史実で遠州銀行創設者の一人が、とある人物に社長就任を懇願したことを彼女は知っており、その人物に史実通り社長になってもらいたいと考えていたのである。
「まあ、耀子さんの人を見る目は確かだからな……」
どうにか金子を丸め込んだ耀子は、遠州銀行の小栗義一郎を伴って住友電線製造所に赴いた。そうして引き抜いてきた人物こそ、三代目社長の川上嘉市だったのである。
「これまでの感覚だけに頼る楽器作りでは世界と戦えない。その感性を裏付ける工学的な研究開発との両輪こそが、今の我々には必要だ」
彼は史実通り不要な会社資産の整理や音響研究所の設立といった社内改革を断行し、日楽製品の品質を飛躍的に高め、海外の二流楽器メーカーくらいになら勝てるレベルにまで成長させた。その過程で山葉直吉や河合小市が反発して独立するといったアクシデントもあったものの、帝国人繊の頼れる取引先として史実以上の発展を遂げたのである。
次の話を書くための布石として、今回の話を書く必要があったんです。
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