十七話 大詰めに向けて "I always laugh"
虎の正体である安土美広、彼女の戸籍は殺されていた。
事情を知った灯子、己、華蓮、秋、志里は全ての解決のための策を練る
美月山の虎話。その中核にいる虎に憑かれた安土美広。彼女の事情はとても複雑な物だった。戸籍上とはいえ親が子を殺したという推測は、大座敷に集まっていた当主一同の顔を曇らせるには十分と言える。いや、それ以上のものであった。
「虎になった理由はそれか。灯子」
「でしょうね。戸籍謄本見た瞬間にあるはずの名前が無く、まったく知らない名前が自分の本名であると知って混乱した。おそらく両親に問い詰めようにも連絡が取れず、自分が一体誰なのかを見失った……五月二十八日、雨の降る中で、彼女は空白なった心に虎を憑かせてしまった。それが事の経緯ということかしらね」
それはどんな気持ちだったのだろうか、自分はここにいるにもかかわらず、それを証明椅子るはずの戸籍には別人がいた。それが本当の名前だとしても、今までの自分が一体何だったのかを疑い始める。それは人生そのものを疑うことになる。存在を疑い、そして自身を喪失した。
「……灯子、一つ聞いてもいいだろうか」
「どうぞ華蓮さん」
「その虎憑きである安土美広は、戸籍謄本を確認しなければ自身が死んでいると知らないわけだろう。つまり、その子は戸籍謄本を確認する必要があった。その理由は?」
「華蓮さん、わかってて聞いてます?」
「ああ、だがどちらだろうな、と思ってな」
「さぁ、それまでははっきりしません。なにせ本人の記憶が曖昧なんで。でも、虎になっちゃうほどの衝撃を受けるのであれば、悪い方でしょうね」
「やはりか」
その言葉を聞き、華蓮は目を伏せた。同時に志里も「僕もそっちだと思うよ」と相槌を入れる。己と秋は少し理解が及んでいないようで、何のことだ?と灯子を見た。
華蓮が出したこの話は知識があるかどうかと、その経験をしたかどうかの違いである。実際に同じような歳で華蓮と志里はそれぞれ戸籍謄本を確認したことがある。
「己、二十四歳で戸籍謄本が必要な場合ってどんな時だと思う?」
「歳が関係してるのか?」
「戸籍謄本って、遺言作成とか年金とか遺産相続とかで必要になるけど、二十四の若さで使うとしたら大体二つだけ。一つは海外旅行の為のパスポート。もう一つは……結婚のため。婚姻届けのために必要なのよ」
「……悪い方というのはそういうことか」
「さぁてね。もしかしたら海外旅行が行けずにショック受けちゃったってのもあるかもしれないしね」
「灯子、お前はどう考えている」
「別に。私としてはどっちでもいいもの」
「随分と投げた考えだな」
「私に過去を変える力はないからね。今私にできることは人の姿に戻してあげて、戸籍上生き返らせてあげるくらいだもの」
「できるのか?戸籍を元に戻すのは」
「できる。ふふーん、それぐらいお手の物よね?西部の旦那っ」
「え、僕ぅ?」
お願いねとウインクする灯子に、突然話を振られて気が抜けたような声を出す志里。私ができることはなどとと言っておいての丸投げに、己だけじゃなく華蓮も秋も呆れ顔になった。
そんなことはお構いなく、事の経緯はもう十分だとばかりに灯子は話を進める。重要なのはここから、しなくちゃいけないのは全ての解決それだけである。
「そのあたりも含め、こっから先は我ら九重の家族が命題、美月山の虎話の解決に向けての話をしましょうか」
「自信満々に言うかぎりには、算段はついてんだろうな」
「勿論」
尚も自信満々に返答する灯子。長く灯子を見ていた己はそれが確信に基づく言葉であることを察する。
今、灯子が抱えている問題は大きく分けて四つ。虎を元に戻すこと。戸籍を取り戻すこと。狐との一騎打ち。狐の子殺しの犯人を見つけること。
まだそのどれもが未解決でありながら、灯子は解決の算段を既につけており、その中の一つ、戸籍を取り戻すことの答えが志里の口から出た。さっきまでの鳩が豆鉄砲を食ったような顔は消えていた。
「なるほど。そこまで僕を使うとは、灯子ちゃんも大人になったねぇ。それじゃ、それには応えてあげないといけないかな」
「できるんですかい?西部の旦那」
「己君。はっきり言おう。問題の一つである戸籍の取り戻しは可能だ。それは間違いない。実際、行方不明者の生存確認が行われたことで戸籍が戻った前例もいくつかある。そもそも民法第三十二条一項には取り消しの項目もあるんだ。そして、その為の僕なのだろう?灯子ちゃん」
「流石っ。とはいえ、え、僕ぅ?ってした顔見た時、内心焦ったけど」
「ごめんごめん、話の流れ的にそう来るか、と思っちゃって。ともかく安土美広、彼女の戸籍問題は僕がやろう。その代わり絶対に本人確認が必要だ。虎のままじゃどうにもならないよ、灯子ちゃん」
「大丈夫、経緯さえわかれば解決方法はある」
四つあるうちの一つ、戸籍の問題は志里に託された。だが、それも虎が人の姿に戻らなければいけない。
この虎を人に戻さなければいけないという問題は、四つある中でも最も難しいのではと、一同が思うところ。そもそも虎憑きは怪異現象であり、人の手の余すところにある。九重の家族は、炎の血族という火を媒介に神通力を扱う一族ではあるものの、実のところ怪異現象には疎いのが実情だ。はっきり言えば対人用の神通力がほとんどである。もっといえば、戦闘用の能力の方が多い。
しかし、それでも灯子ははっきりと解決方法があると口にした。
「灯子、どうやって虎から人の姿に戻す。虎憑きってぇなら虎を追い出すのか」
「虎の姿になったのは自分が何者かわからなくなったことが原因。なら、ちゃんと自分が何者であったのかを思い出させてあげればいいだけよ」
「だがどうやってだ?安土美広って名前は、本名かもしれねぇが、今までその名で生きてきたわけじゃねぇ。そうすると」
「そ、生まれから慣れ親しんできた名前の方を思い出させてあげる必要がある。その名前が中学名簿のどこかにある」
「なるほど。そいつを見せれば、どっかに自分の名前があるわけか」
「それもいいんだけど、もっとちゃんと一発で思い出させてあげましょう」
「一発で?灯子には、名前がわかるのか?」
「ううん、私じゃわかんない。だから、わかる人に聞いたのよ」
「……わかる人?」
「この村にはもう一人いるじゃない。私たち同じ中学出身で、同級生が」
「瑞樹さんか!」
己が思い出し口にしたのは、今日朝一番で立ち寄った喫茶いなばらのマスター、水城瑞樹だった。彼女は灯子と己の同級生。ならばあの虎、安土美広とも同級生ということになる。
灯子は虎から話を聞き、瑞樹の元へ別の幻を出現させて情報を提供、その結果からあの虎が当時使っていた名前を割り出していた。
すべての出来事は関係があるからこそ存在している。灯子と己が朝立ち寄ったあの出来事でさえも無関係ではない。灯子はそれをしっかりと理解していた。
「流石当時の生徒会長の瑞樹様。あの子の思い出話の情報共有したら一発だった」
「手回しが早い。いや、幻廻しが早いと言えばいいか」
「それにまぁ別件の用事もあったしね」
「別件?」
「私の炎幻の秘奥は瑞樹がこの村にいるとどうしても使えない。だから今日は実家に帰ってもらうようお願いもしてきたってわけ」
「そのあたりも抜かりねぇわけか」
「ふむ、では狐の一件はどうする灯子。一騎打ちこそ炎幻の秘奥を使えば問題なかろうが、狐の仇討ちの件は一切の情報がないぞ」
戸籍の問題、虎憑きの問題、そして炎幻の秘奥の許可が許されたことにより、狐との一騎打ちまでは解決のめどが立った。しかし華蓮が言う通り、まだ狐の子供を殺した犯人を捜すという点については今のところ情報はない。
八尾を持つ狐、煽五郎左衛門狐も虎が犯人だとして追っていたが、それは全くの見当違いであり、狐も犯人の姿に関してはほんの僅かも情報を握っていなかった。
「虎の件とは関係が無いにしても、九重の家族が狐との関わりがある以上、どうにかしなければなるまい。灯子の話を聞く限り、我を忘れるほどの怒り、今は自身の縄張り内だけで犯人探ときているが、領分をわきまえぬほどともなれば次は狸が出てくる。そうなれば、五十年も前に起きたという戦争は避けられないのではないのか?」
「確かに知らぬ存ぜぬで通せる相手じゃないですからねぇ。でもま、狐の一件は情報が無いと言われるとそーでもない」
「なに?」
「今回の一件、山の騒動に関しては虎も狐も別物だけど、その裏では二頭領が一角、斑六郎右衛門狸が事を把握していた。虎の一件は仲間を襲わないから見て見ぬふりができるけど、狐の一件は戦争の事もあってそうもいかない。いずれ狐は狸の縄張りでも犯人探しをするだろうし、そうなれば華蓮さんの言う通りの戦争が始まる。狸達にとっては困りごとだ。で、そこへ戦争の仲介を買って出た萩原の人間、私が現れた」
「だが、灯子には何も話が無かったのだろう?」
「そう何もなかった。だから狐に襲われた結果として狐の仇討ちを知ることになった。もっと早くに言えばそんなことにはならなかったけど、言えなかったのよ。狸にはその話が」
「犯人を捜してくれと言えない事情……それはつまり」
「狐を殺した犯人が狸だってことよ。ただこれは狸達の総意ではなく、どっかの狸一匹がやらかした仕業でしょうしね」
身内の狸が勝手に狐を殺した。だから、犯人を捜してほしい。そう言えるのであれば灯子たちにとっては楽な話であった。しかし、斑はそう言うわけにはいかない。
狐と狸の戦争は今でこそ落ち着いてはいるものの、決着はいまだついておらず、狐の野心が消えているかどうかもわからない。そこで狸が狐を勝手に殺しましたなどということが狐に知られれば、美月山の領地を守りたい斑としては望まぬ戦争が起きる。故に、知人たる灯子であろうと言うことができなかった。いやあるいはプライドというところもあったのだろう。
そして、灯子たちが虎を探していると聞き、いずれ狐とかち合うことを見越した斑は何も言わずにいた。狐から事情を聴き、灯子たちを巻き込むことで犯人探しをするように仕組んだというのが狸の総大将、斑六郎右衛門狸の思惑である。
「さて、この狐殺しの狸の一件、これは華蓮さんに動いてもらいます。ただし、狐と狸が筋を通せるように生かしたままで」
「犯人探しは私か。いや、待て灯子。狸など美月が山に落ち葉が如くいる。そこからどう犯人を見つけ出せばいい。全部斬っていいというなら話は別だが」
「え、いやいや、全部は駄目でしょ」
「駄目か」
「駄目ですよ」
「ふむ、弟子が言うなら仕方ない」
それは残念だとわずかに肩を落とす華蓮。常に佩刀している彼女にとって斬る機会というのがどれほど待ち遠しいかよくわかるが、流石にそれを許しては大騒動になる。灯子のみならず一同は、どれだけ切りたいんだこの人、と内心で不安になった。
「えぇと、こほん。とりあえず、戦争になりかねないと知りながら狐を殺すほどの狸ということなので、随分と身勝手な性格ということは推測できる。なので、そいつが勝手に動くような場を整えればいい」
「では、具体的にどうする」
「餌で釣る。会合で畑荒らしの件を解決するために、華蓮さん今日の朝、ものすごい量の材料切ってたでしょ」
「ああ、よくわかったな。畑荒らしは被害が意外と多くてな。私だけでもなんとかしようとしていたのだ。これをうまく利用するという事か」
「ま、流石にこれだけじゃ本当に釣られてくれるかどうかはわからないので、ここで己に動いてもらう」
「俺か」
「己は斑の所に行って、狸を今晩だけは静かにさせるように言って欲しい。理由は私と煽の一騎打ちの邪魔をしないため、とでもいえば通じるはずよ」
「はっ、狐を勝手に殺すような奴なら、狸の命にも背いて動くはず。山じゃ一騎打ちで動けねぇから村まで降りてきて餌探しさせるってことか。悪かねぇな。その件は引き受けた」
「あんたにとっては山にいたほうが都合はいいんでしょうしね。どうせジジイから御守を引き続きーとか言われてんでしょ?」
「まぁな」
「暇なら斑の所でお酒でも飲んで待ってて。終わったら行くから」
「わかった。で、灯子」
「ん?なに?」
「祠堂の嬢ちゃんは何させるんだ?期待して待ってるぞ」
「え」
四つの問題に対する策は示した。戸籍問題は志里、虎憑きと狐の一騎打ちは灯子、そして狐の仇討ちの犯人探しは華蓮と己。役割も当てはまっているが、この場で唯一秋だけが役割を持っていない。
先ほど灯子が何かやってもらおうと言っていたのをしっかりと覚えているのか、少し前に体を倒し、期待する目で灯子を見て待っている。その灯子本人はやっべ忘れてたと素で思った。
「あーっと、秋ちゃんね。やることか」
「灯子お姉ちゃん、忘れてました?」
「え?いや……いやいや?」
「そこで嘘つくのやめましょうよ。忘れてましたね」
「……秋ちゃんには華蓮さんのお手伝いしてもらおうかな。うん、最初からそうしてもらおうかと思ってたところだし」
「あ、はぐらかしたー」
「違うから、ほら、もともと秋ちゃん予定になかったし」
「ま、いいです。秋は華蓮さんのお手伝いと言う事で」
「あはは、ごめんごめん」
「ということで華蓮さん、よろしくお願いいたします」
「ん。よろしく祠堂の。後でカラーボールを渡す。狸がいたらぶつけてやれ。お前は斬るよりも体を動かした方がよさそうだからな。くれぐれも握りつぶすなよ?」
「はいっ!」
ふぅやれやれと息をつく灯子。ともかくこれで準備は整った。あとは事の解決に向けて実行に移すだけである。体に疲れは残ったままだが大詰めまであとわずか。
「灯子、いい時間だ。今から屋敷を出れば月上がりまでは丁度になる。ほかにやることはねぇな?」
「ええ、あとは私次第と言ったところよ己」
「弟子のお手並み拝見といこうか。犯人探しの一件は秋と私で請け負う。印をつけ山へ逃がす。後は頼むぞ灯子」
「秋も頑張ります!」
「僕は今から安土美広の身辺調査と知り合いの弁護士に相談を始めるよ。言ったけど、どうしても本人確認がある。人の姿で頼むよ灯子ちゃん」
「勿論。全ての一件、全て解決といきましょうっ。遺憾なく、淀みなく、問題なく!」
灯子は姿勢を正し、指をつくと深く頭を下げた。それに一同は強くうなずく。
すべての勝負が始まる夜。事を動かすのは灯子。虎の件が解決するか、狐の一件に片が付くかどうか、簡単には済まされないことばかりではあるが、灯子だけでなく皆が一様に自信を持っていた。
灯子の口癖である遺憾なく、淀みなく、問題なく。言葉通りなるかどうかの決戦が今、美月山にて始まる。
お読みいただきありがとうございました。




