十二話 灯子と狐の勝負事 "Only my recklessness"
虎と出った灯子と己は直後に狐の強襲をうける。
その狐、社殿ほどの巨躯にして一撃必殺の牙を持つ。
『虎ァ見捨てて命乞いか人間』
「そうよ。私、まだ死にたくないもの」
灯子が狐に向かい言った「私だけ逃がして」。その言葉に狐は攻撃を一時的にだが止めた。止めざるを得なかった。明確な違和感がそこにあったからだ。
「ほら、この奇麗で可憐で儚げな私が死ぬだなんて、空も曇りて涙を流すわ。人類の宝が失われるのはあぁ、なぁんて酷いお話」
よよよと着物の袖で涙をふく仕草をする灯子。ぐすんとひと啜りするがどう見ても涙は出ていない。助けを乞うにしては演技が丸わかりだ。いや、むしろその演技を狐に見せつけているようにも見える。というか、そうにしか見えない。
一芝居打ち始めたことは、あんぐりと口を開けて放心する虎を除いて狐や己にははっきりとわかっている。同時に、そこに一つ裏があるということもだ。
『虎ァ差し出して終わりたァどういう冗談だ?シマァ踏んだ落とし前はどこへ行ったッて言うんだ?あァ?』
「ではでは、山に銘酒と肴の貢ぎ物で手打ちでどうでございましょうか」
『それだけで引けッてェ?甘ェぞ人間!』
「無論それだけとは申しませぬ。虎は狸が手を出さぬと決めたもの。なれば斑六郎右衛門狸に、狐の不遜を不問といたすよう計らいましょう」
『なに?てめェいまなんて言いやがッた!!』
ちらり、泣きまねの灯子が袖から目を狐に向ける。狐はまたわずかに怒りのほどを取り戻す。狐の不遜。つまり思いあがった態度と灯子は言ったのだ。仇討ちに虎を追い詰めた狐にとっては頭にくる言葉である。
これは意図的に怒らせたなと己は思う。怒らせる理由は狐の意識を完全に灯子へと向かわせるためだ。
「狐の不遜と申しました。あぁどうか怒らず聞いていただけませぬか、よよよ」
『茶化してんじゃねぇぞ女ぁ!』
「いえいえ滅相もございませぬ。ですが、美月が山の虎話。狸が手を出さぬと決めた事に狐が手を出しては"盟約"に反すると申せばお分かりになりますでしょうか」
『……"盟約"をなんでてめェが知ってやがる』
「さて、それはようございませんか?」
『なんだと、そりャどういう――――』
「よう、ございませぬか」
『ッ!?』
ふと、狐に灯子の濃紅の瞳が目に入った。その瞬間、狐の本能が何かを察したのかその巨体を一気に下げ、灯子から距離を離す。飲まれる。狐の脳裏にそれだけがよぎっていた。
芝居だとわかる泣きの演技。袖で口元を隠し弱弱しさがでる声とは裏腹に、灯子の瞳はまっすぐ、ただまっすぐ狐を捉えて離さない。瞬きさえ一つなく、狐の一挙一動一投足に至るまで飲み込もうとするかのよう。
そして、狐はこの目を知っている。強者も弱者も関係ないと言わんばかりのその目に宿るのは、自死しようとも相手を殺す決意だ。窮鼠猫を噛むをやらかした。狐は一気に灯子への警戒度を最大限に上げる。
「もう場を飲んだか」
『へ?へっ!お、己君、これってどういう状況なの?』
「見たとおりだ。灯子が狐を押してんのさ」
『でも、さっきまでそんな状態じゃ』
「簡単に言やぁ、さっきまで虎よりも強いと思っていた狐が追い詰めたのが化け物だったって状況を灯子は語りで演出してんのさ。まるで罠にはまったのは狐のほうだったと言わんばかりにな、もうここまでくりゃ灯子のペースだ。問題ねぇ」
そう言うと、虎の横を一歩離れて己は煙草に火をつけた。既に左手に持ち替えていた刀を下げ、灯子の一芝居をただ見るだけの態勢へと入る。
『でも、き、狐が襲ってきたら、灯子ちゃんやられちゃうんじゃ』
「あぁ手が出せりゃぁな。が、出せねぇんだ。灯子が持っている情報が狐の動きを止めている」
『どういうこと?』
「盟約つったか。中身は知らねぇが予想するにそりゃ狸と狐で交わされたことだろうな。で、狸は縁日の今日に血を流すなつって、狐はそれを破ろうとしている。ちなみに灯子に聞いたんだが狐と狸は戦争状態ときてる。ここで虎ぁ殺してそれを隠せりゃ狐にとっては事もなしだろうが、生憎灯子は盟約を知った上で狸の大親分である斑と知り合いだ。ともなれば狸と戦争状態になると脅してるってことだろうな」
『そ、そうだったんだ……』
「だからあんたも灯子に任せておけ。見た目で戦えそうな俺やあんたが完全に灯子に任せれば、それを見た狐はどう思うかってな」
わざと。己の言葉はわざと大きく発し、狐の耳に届く。己の言葉が狐の脳裏に突き刺さる。狐は、巨体を低くしたままだがその体は地に張り付いたように動けなくなっていた。 狐にとってこの状況は二択を迫られた状態である。一つは、灯子の演技、言葉が全て嘘のハッタリである可能性。もう一つは、語っていることが事実であるという可能性だ。
だがこの二択はどちらも同じ可能性ではない。すでに天秤は大きく傾いている。そもそも人間が知るはずのない盟約事や、斑六郎右衛門狸の名を知っている時点で迷い込んだだけの人間ではないのだ。おまけに灯子は狐の強襲を完璧に避け、後ろの己は人間では追いつけない一撃を防いでいる。只者ではないことは明白。
……だが、ここで人間に虎を預けたらどうなる。子の仇討ちができなくなる。山から降ろされた虎を殺すことがいかに難しいかはわかっている。
引けない、だが動くこともできない。虎は殺したい。仇は取りたいが、狸を怒らせる危険は更なる死の可能性を狐一族にもたらす。圧倒的なジレンマが狐の脳裏を襲う。
どうすれば、どうすれば、どうすれば――――脳裏をぐるぐると回る言葉の中、まるで静寂に鈴が鳴るようにひとつ、灯子の言葉が響く。
「狐の仇討ち話。討たねば成らぬ相手が虎でないとしたら?」
決まったな。己は確信する。それは怒りの表情が完全に消え失せ、飛び掛かるための態勢だった体を起こした狐の表情だった。
隣では虎がそうなの?と、狐と同じように虚を突かれた顔をしている。あんたは狐を殺してねぇんだから驚くなよと己は突っ込みたいが、灯子の大一番にして見せ所の締めなので、睨むだけにとどめた。
『そりャァ、どういう……ことだ。てめェは狐殺しは虎じャねェと言いやがるか!』
「ええ」
『んだと!狐殺せるもんなんていやあ、虎ぐらいしかいねェんだよォ!』
「だからさ。あんた、狐殺しのその場を見てなんかいないんだろう?」
『ッ……そりャァそうだが、灰毛の生き物もいねェ山中に牙持ちなんか……牙持ちは、狸か狐……?』
「そういうこと。ようやく気づいた?その調子でさ、臭いを嗅いでみなよ」
『臭い?』
「血の匂いは誰からしてんのさ」
すんとひと嗅ぎ、それだけで狐は理解する。周囲を漂うのは山の匂いだけ。同胞からは小型の動物を殺したときの血の匂いが混じるが、この場の中心にいる虎からは一切血の匂いがしない。
それもそのはずだ。虎は最初から虎ではなく人間だったものが虎の憑き物によって虎化したもの。人間としての意識がある状態で、狩りなんてものはしない。狸が言った通り、虎はずっと木の実を食べてきたのだ。狐を襲ったならば、食べたはずなら血の匂いが絶対に残るはずだ。それが虎にはない。
『それじゃあ、狸が!?だが狐のねぐらを?どうやって』
「やれやれ、わかったてぇなら狐との悶着はこれで終わりか」
『た、助かったぁ……』
「まだよ」
『待て!てめェら!!』
安堵する虎と疲れがにじむ己に灯子と狐の言葉がかかる。困惑していたはずの狐はまた態勢を低く構え、いつでも飛び出せるようにしていた。先ほどまでの激昂に我を忘れるほどではないが、怒りの火種は消えていないように見える。
『ほぉ、着物の女はわかっているようだなァ』
「これでも美月山とは付き合いが長いもんでね」
『どういうこと!?どういうこと!?私の疑いは晴れたんじゃ!?お、己君』
「ま、そっちは晴れたんじゃねぇか?そっちはな」
『じゃあなんで!?なんでっ!?』
「流石に斑の許可があっても狐の縄張りを踏んでるんだもの。それを無しにとはいかないわよねぇ」
『その通りだ。敏い奴は生き残るたァよく言うもんだぜ』
見晴岩近辺が狐の縄張りであることは既に斑から聞いている。虎がそこに居座っていたのは不運ではあるが、どこを見ても同じ景色で境界線がどこにあるかもわからない中、縄張りと言われてもわからない。看板の一つも立ててほしいもんだと己と灯子は嘆息するが、理不尽は極道の世でもあることなので口に出すことはない。
「で、どう落とし前を着けりゃぁいい狐の旦那。貢物ぐらいなら手配は早ぇが?」
『虎ん命でどうだ人間』
『ひっ!?』
「虎?狐の始末は虎にはできねぇとわかった上で言ってやがるのか?」
「それ、私たちが黙ってると思って言ってる?」
『ッたりまえよ。そう睨むんじャねェ。だが、そのまま虎を野放しにしといて今度こそ虎に同胞をやられたんじゃたまらねぇ。ここで始末はしとかなきゃなぁ……が、だからと言って狸の盟約破りもしたくねぇ。虎ん殺すのは明日にしといてやる』
ニヤリと、狐は笑みを浮かべる。そこに見える大牙を灯子たちに見せつける。低い体勢を取ってはいるが襲うつもりはなく、それは灯子に奪われた主導権をもう一度奪い返すための威嚇だ。そしてその視線は、灯子へと向けられている。
「灯子」
「……私に何かさせたいようね?」
『わかってるじゃねぇか』
「犯人探し?」
『いいや、狐の仇討ちに人の手なんか借りられねぇよ。だから――――俺と化かし勝負といこうぜ?幻使い』
「化かし勝負?私と?」
『あぁ、月夜に満ちる妖力とてめぇの幻で俺と死合うというわけだ。てめぇが勝てば虎は諦める。俺が買ったら虎は殺す。っとそうだ、一対一でな』
「……できりゃぁ、虎が狐を殺してねぇ時点で引き下がってほしいもんだが、それしか人と狐が手打ちになる方法ってのはねぇもんですかね」
一撃で人を死に至らしめる狐との死合い。それも灯子と狐の一騎打ちとくれば御守を任された身としては守ることができなくなる。己にとってはそれだけは看過できない。どうにか話を退かせようとわずかに左手に持つ刀に力がこもる。
『得物持って脅しか?人間相手にしろよ。サンピン』
「人の形をしてねぇってんなら、躊躇する必要もないでしょうよ」
『ほォ珍しいなァ。お前、濁り黒か』
「意味が分からねぇぜ、狐の旦那」
『人斬りの意味だぜェ人間。同族殺しって意味だ。なまっちょろい人間なら通る刃が、美月が山の狐に通るかやってみろよ』
と、狐は幾度と歯を打ち鳴らす。虎の巨体を超える巨躯に備わる大顎。
噛み合わさるその音は、鉄の塊と鉄の塊を思いっきりぶつけ合わせたような鈍く響く音を出す。がちんがちんなんて優しい音じゃない。ガァン!ガァン!と凄まじい音だ。
「いいわ、その申し出受けましょ」
「灯子っ」
一食触発の構えをする己と狐、だがそれを灯子が言葉で制し、さらに一歩前へと歩み出る。背にいる己と虎に向けて、問題ないと言わんばかりに手をひらひらさせていた。
『話が分かるじゃねぇか女の癖に』
「偏見もちねぇ。まぁそっちの言い分もわかるからね。同胞殺しの疑いを掛けたけどまだ完全に無実と決まった訳じゃない。狐に囲まれた中で、ハイ、なにもなし。じゃ、面目がつぶれるというもの。こう言うと狐には悪いけど、勝負に負けて虎を取られました、のほうがまだ言い訳できるものね」
『カッコ悪い話だが、どう転んでも俺の側には利ができる。納得できねぇなら明日になるまで逃がさねぇで、その後に殺すだけだ』
「でしょうね」
『それに俺は負けるつもりもねぇ』
「こっちはそっちを殺すつもりなんて無いんだけど」
『なら、虎を見晴岩に置いて、そこにたどり着いたら女、てめぇの勝ちでどうだ』
「まぁそれならいいでしょ。山登りは嫌いじゃないしね」
『時は今日、美月山の月上り』
「九時ね」
『天を仰いだら日が変わる。俺はそこからてめぇを食い殺せる』
「私はそれまでに虎の元へとたどり着ければ勝ち」
『俺がてめぇを食い殺したら俺の勝ちだ』
えっえっ、と矢継ぎ早に決まっていく灯子との狐の化かし合い勝負の決め事に虎は困惑し、己は口を出したいが本人がその気になってしまっている以上、いくら言っても無駄だと理解し舌打ちした。
「狐の旦那、死合うとなりゃぁ、見届け人はどうするんで?」
『見届け人なんざいらねぇよ。そんなに欲しけりゃ仏さんにでも頼んでみるんだな』
「仏様ねぇ。よく言うわ」
『虎あ!』
『ひっ』
『勝負の決着はてめぇの声だ。俺が勝ったら断末魔。女が勝ったら雄々吠え。いいな!今から見晴岩に行ってじっとしてやがれ!』
『ひっ、ひぃいいっ!わ、わかりましたあ!』
巨躯の狐は虎に向かい強く睨みつけると、今まで天に向けていた八つの尾をここでようやく下げた。同時に周囲を取り囲んでいた無数の狐達も落ち葉に紛れるようにすっと姿を消していく。
『女、最後になるてめぇの命だ。殺す狐の名を覚えておけ』
「私は死ぬ気ないけどねぇ」
『煽五郎左衛門狐。この美月が山の頭領の一角だ。てめぇは俺が騙し殺す!覚えておけ!』
捨てるように名前を言い放ち、巨躯の狐、煽五郎左衛門狐は山中さらに奥へとその姿を消し、場に山の静寂が戻ってくる。これでようやく一息つけると思うも、山中へ消えたゆらめく八尾が灯子と己、そして虎の脳裏に焼き付き、この後に待つ命を賭けた化かし勝負を考えれば、一度張った気をすべて抜けない状況になっていた。
「やっと行ったか」
「アイツ、こっちの名前聞かなかったわねぇ」
「それよりも灯子、どうするんだ?化かし勝負」
「どうするも何もないわよ、受けた限りにはしっかりお勤め果たしましょう」
「だが」
「別になにも無くて受けたわけじゃないわよ」
「なにかあるのか?」
「ただ、まぁ流石に只で行ったら殺されるだろうし、"炎幻の本領"を使っていいかの許可は必要かな」
「萩原が持つ秘奥か……考えがあるんだな?」
「ふふん、遺憾なく、淀みなく、問題なく。この灯子を信じなさい。うまくいけば虎の事も元に戻せるし、狐の仇討ちも解決できる。うまくいけば狸と狐の恩人になれるかもねぇ」
ふふんと笑みを浮かべる灯子。心配を続ける己に向けるその顔は、既に頭の中でその構想を思い描いているときのものだ。そして口にした灯子の口癖、遺憾なく、淀みなく、問題なく。そこにある絶対的な自身が見て取れる。
だからこそ側にいる己には心労が絶えないのだが、それを灯子が知った話ではない。そしてその灯子だからこそ、事の次第を任せられるのだとも己は思う。中学の時からの腐れ縁がいいものか悪いものかと言えば、まぁ悪くねぇかと一人己は納得する。
「っと、そう言えば虎は?」
「さっきから静かね」
灯子と己が虎の方を見た瞬間、『きゅぅ』と言う声と共にズゥン!とその巨体を山の地に倒す虎の姿があった。そのあと舞い上がる落ち葉が落ち着いても虎は起き上がる様子がなく、一気に気が抜けたのか意識がどっか行ってしまったらしい。
「おい、気絶したぞ」
「こっちのが問題そうねぇ」
はぁ、と灯子と己は虎を見て一つ息を漏らした。
お読みいただきありがとうございました。




