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十一話 金毛八尾の激昂牙 "My words"

見上げるほどに大きい狐と対峙する灯子と己。

殺意をむき出しにし、牙を向けるその暴力に灯子と己は……

 背後を完全に取った狐の大口は百七十センチを超える灯子を一飲みにできるほど。グワリと開けられた口にはまるで研がれたような鋭い牙が幾本も生え並ぶ。一撃絶死の噛みつき。狐の目が完全に灯子を捉えたと確信し、虎はこれから起こる惨劇を予想して目を閉じた。


『灯子ちゃん!』


 虎の大声と同時にガァンッ!と、まるで鉄板と鉄板を強く叩き合わせたような轟音が響いた。灯子の胴をかみ砕き、亡き者にする圧倒的な暴力。その一撃が即死どころか体の原型が残るかどうかもわからないことは、想像に難くない。虎は脳裏でそれを思い描く。

 だが、狐の噛み合わせは誰も捕えず空を切っていた。灯子が避けたわけでもない。己が邪魔をしたわけでもない。巨躯の狐が噛んだのは灯子が作り出した幻。今まで虎と会話していたそれは幻。すぅとその場から霧散する。


『チィッ!!』


 強く舌打ちしながら巨躯の狐は勢いを殺し、山の斜面に滑りながら着地。舞い上がる落ち葉の向こうに金色の激昂した瞳が己と虎を捉えた。眉間のしわはこれでもかと深く刻まれている。

 己は狐の強襲に動じず向きを合わせ刀を構えなおす。そこで見たのは、体高五メートルを超え頭から尾まで十五メートルはあるかどうかという虎よりもさらにでかい化け物狐だった。それが斑と同類の妖怪か神様かと言うことは明白。八本の尾を天に向けながら揺らめかせているところを見るに、相当な力の持ち主があるんじゃないかとも想像できる。


「いるか?灯子」

「はいはいここに」


 ざざぁっと己の頭上で葉音が鳴ると、軽やかに樹上から灯子が飛び降りて己の前へと着地する。警告の一つもなく襲い掛かってきたことにやれやれと嘆息する灯子。これが本物か?と己は一瞬だけ思ったが、、幻でない本体を敵の眼前に晒すほど灯子も馬鹿ではない。樹上から降りてきた灯子もまた幻か。と己は理解する。


「御丁寧に煙管持ちの幻か。狐の牙を読んでやがったな?」

「それ褒めてる?」

「そう聞こえねぇか?」

「ふふ、ありがと己」


 刀を構える己は自分に背を向けたまま、狐から目を離さない灯子の姿を見る。揺らめく長髪の向こうにちらりと見える背。そこにわずかな緊張の線を感じ、この狐が灯子でも一筋縄ではいかないことを悟る。

 相当な手練れ。たった一回攻防をしただけでそれがわかる。幻を作り、それを噛ませたとはいえ、葉に変化して灯子の後ろを取ったことには変わりない。殺意むき出しの牙、爪は一回振るえば致命傷は避けられないことは想像できる。山中という斜面に慣れのない己、戦闘には非力の灯子の幻。おまけに狐が恐れるはずの虎の方がおびえている。圧倒的な不利状況を灯子と己は一瞬で抱えることになった。


「神様狸の次は妖怪狐か。灯子、こいつは知り合いか?」

「八尾の狐は見たことないわね」

『五月蠅(うるせ)ェんだよ人間んッ!!』


 地面を叩き割る勢いで前足を振り下ろし、ゴォ!と、狐が吠える。激情に任せ発したその吠え声はビリビリと空気を震わせ、強風を起こし、まるで落ち葉が狐に恐怖して逃げるように舞い踊った。肌に感じる威圧感には明確なまでの殺意が満ち満ちて、激昂の双眸により力がこもる。


『ようやく逃げ回る虎ァ見つけたんだ!シマァ荒らす人間ともども食い殺してやる!』

『ひ、ひぃ!』

『逃がさねェ!逃がさねェぞ!!ブッ殺すッッ!!』


 威圧に体をこわばらせた虎に向かいその巨躯が一気に動いた。灯子、己、虎の目から狐の姿がブレを残して消える。動体視力を置いてけぼりにする物理法則が無視されたかのような超加速。ゼロからトップスピードに達するまでの時間は刹那をも超える。一秒あればいくらでも幻を創りだせると豪語する灯子でもその速度までは間に合わない。


「己っ!!」

「ちょいと待ってくんな黄色いの」

『ッ!?』


 灯子の号、目では追いきれない高速の一撃に己が応える。斬るな、血を流すなという斑の警告と灯子の言葉を忠実に守るように刀は鞘に納めたままで虎へと突進する狐の胴を思いっきり突いた。己がさらに力を込めズンという重い衝撃が狐に加わる。百八十を超える己の身体でも十五メートルを超える体格を押しのけるのは容易ではないが、幸い虎へ飛び掛かる狐を空中でとらえたことにより、己の体重だけで押し飛ばす。


「ったく、あぶねぇなぁ」

「っふぅ。よく間に合ったわね己。私じゃ目で追えないわ」

「アレに神通力なしで間に合えるのは祠堂の嬢ちゃんくらいでしょう。あの速度、俺でも追いきれん」

「ってことは神通力を使ったのね。炎の血族の面目躍如ってとこかしら?」

「んなこたぁどうでもいい。アレをどうにかしねぇとそのうち事故るぞ」

「事故?」

「俺が追いつけるのもギリギリだ。なにかありゃぁ牙の方が先に届くって意味だ灯子」

「しんどいわね」

「あぁまったくだ」


 己が鞘に納めたままの刀で怒りの形相を向けたままの狐。少し離れたところで虎ではなく灯子と己へと目を向けている。一度ならず二度、本来避けられるはずのない一撃で死に至らしめる噛みつきを難なく防いだ。獣としての本能、同時に怒りの中に残る理性が次の行動をとどまらせている。

 このまま防ぎ続けることができれば狐も諦めるか?と灯子と己は考えるが、次の攻撃も防げるとは限らない。それほどまでに狐の速度が速い。速すぎる。せめて守る対処がいなければとも二人は考えていた。


『と、ととと灯子ちゃん、お、お、己君。ど、どどどうしよう!?』

「さてはて、逃げる?」

「逃がしてくれるように見えねぇぞ灯子」

「そうねぇ。なら己、情報引き出せる?」

「そう長くはできると思うなよ。だいぶキレてやがる」

「できる限りでいいわ。逃げもできなきゃ血も流せない進退窮まったといえど、この灯子には考えがある」

「いけるのか?」

「遺憾なく、淀みなく、問題なく」

『灯子ちゃん……』

「まっかせなさい」


 ふふんと笑みを浮かべるいつもの灯子。そこに焦りはなく、口角を上げるその顔は妙案を思いついているといった具合だ。付き合いも長ければそれがどれだけ信用できるかは己自身がよく知っている。

 そうと決まれば己がすべきことは灯子に後の事を任せられるよう努める事。たとえ自身が灯子より上の立場である当主であろうと、最も良い解決方法を選べるのであればいついかなる時でも前座を務めるのが己である。それが灯子と己の関係でもある。


「ちょいといいか、虎さん」

『は、はいぃっ!』

「できるだけ灯子の近くにいてくれねぇか。それからできるだけ灯子に引っ付いてくれ。あんたを死なせるわけにはいかねぇらしい」

『はいっ!はいっ!』


 虎の威を借る狐とはもうならねぇなと、怯え切った虎の様子を己は一瞥し、三歩ほど狐の前へと歩み出る。左手に持っていた刀は斑の警告を守るため抜くことができず、鞘に納めたまま振って使えるように右手へと持ち替えた。だが、構えはしない。あくまで時間を稼ぎ情報を後ろの灯子へと流すのが今の己の役割。


「さて、冷静になってくれりゃぁこっちは幸いだが、そうもいかねぇように見える」

『黒いの。俺の牙にかかるのはてめェからでいいか?』

「こっちは噛まれる理由がわからねぇな。てめぇらのシマぁ踏んだにしてもこっちは狸の斑親分から山の立ち入り許可を得てるんだ。教えちゃぁくれねぇか?このまま死んだんじゃ狐の枕元に立たなきゃならなくなる」


 狸。と己が口にすると巨躯の狐はピクリと眉を動かす。そして怒りの形相はさらに強くなり、金色の双眸にさらに強い血走りができ始める。おそらく狸の話は狐にとって聞きたくないことの一つなのだろうということがこれでわかる。怒らせすぎては相手を暴走させてしまい情報収集にならないが、感情が起伏するということも情報の一つ。相手が言葉を返せるギリギリを己はいかねばならない。


『あの古狸に許しを得ただァ?んなもんがシマァ荒らす理由になんざなるかア!そん虎も虎だ!山の流儀は一も知らねェ顔して歩き回ってやがる!一人残らず胃袋に納めてやらァ!』

「そんなにシマぁ踏んでほしくなきゃ看板の一つでも立てておくんだな。だが、シマぁ踏んだくらいで、ちと短気すぎやしねぇか?狐の旦那」

『シマァ踏んだだけで?アァ!?仕出かした事の一つも覚えてませんッてかァ!?シラァ切ッてんじャねェぞ!!』

「こっちはそれが引っ掛かってんだ。是非とも教えてもらいてぇ。手前(てめぇ)の死に理由もわからねぇままってぇのもそっちも納得いかねぇでしょうよ」

『とぼけやがッて、俺の、俺達の同胞を食い荒らしといて許せるわきャァねェよなァ!それも右も左もわからねェ狐ん子を食いやがッてよオ!』

「っ……子食いか」


 狐の口から出た言葉、子食い、狐殺し。怒りに満ち満ちた狐からでたその理由に己はわずかに顔をしかめた。

 仲間を殺されることがどれほどの怒りに触れるかはよく知っている。それも怒りの半分は守ることができなかった自分への責め立てからくるところもだ。情を注げば注ぐほど怒り狂う理由となる。虎を狙う理由もそれが原因。怒りで荒々しく明確には口にしていないが、狐は虎が仲間を殺したと言っているのだ。

 己はわずかに後ろへと目線を向けると、虎は首をぶんぶんと振っていた。やってないと主張している。だとすると、どこか話が食い違っていると灯子と己は考える。

 灯子はまだ動かない。それを見た己はさらに狐へと話を向ける。灯子へと情報をさらに落とし、事を収めなければ血は流れる。


「狐の旦那、言いがかりはよしてくれ。虎がやった証拠でもあるんですかい?」

『狐を食べるたァ虎しかいねェんだよサンピン!狸は慎重に犯人探しと言いやがるが、そんなもんは必要ねェ。疑わしきは残らず食い殺す!』

「ひでぇ理屈だ」

『だが山の流儀だ!てめェら人間なんざにわかッてたまるか。同胞がやられりャ一族で恨むが獣よ。見ろ!怒り狂う我らが同胞を!見ろ!怒りに濡れる俺の牙を!』

『ひぃっ!』


 恐怖に驚く虎の声が後ろから上がり、灯子と己は視線だけを周囲へと動かす。灯子たちのまわりにはいつの間にか殺意に眼差しが無数に存在していた。全方位、怒り狂う巨躯の狐ほどでかくはないが、眉間にしわを寄せ、牙をむき出しにし、唸りながら低く体勢を構える無数の狐。尾が一本のものは少なく、二本、三本の尾を天へと向けている。同胞殺しの仇討ちという一つの目的を共有し、場は無数の殺意で満たされていた。

 周りを囲む狐が灯子や虎を襲わないのは、巨躯の狐の合図を待っているからに過ぎない。最悪な事態だと己はわずかに右手を刀の柄に向けた。


『その虎以外の何が狐を食うってんだ!?アア!?』

『えっ、えっ!?私そんなことしてない。た、食べてないもん!』

「食べてないもんだァ!女みてェな口しやがッて。むかつく!あァ!地の底まで響くほどに怒りがこみ上げてきやがるぜェ!!』

「だが」

『うるせェ!!てめェも虎と一緒に食い殺して惨殺して美月が山ん中に晒してやる!』


 怒りの度合いがさらにひどくなり、己は刀の柄に添えた手をゆっくりと握った。もう話を聞く気も無ければ、一気に勝負を決める気でいると察する。斬るか……いや、焼く(・・)しかない状況に置かれている。どうする灯子。己は視線をわずかに向けた。その瞬間、体勢を低く構えなおし、足に力を込めた狐。狙いは目線を切った己。状況が動く。


「ああ、はんっ。全部わかったぞこれ」


 びくりとその声に狐が止まった。場の空気と大違いの声の主、それは灯子の声だった。ぽんと手を叩き、殺気が渦巻くこの場にまったく合っていない抜けたような声で「かぁーみんな手のひらで踊ってるじゃないこれ」と一人頭を掻きながら納得していた。

 今かと合図を待っていた周囲の狐も、怒りで我を忘れかけていた巨躯の狐も灯子の声にびくりと反応し、踏み込むのをとどまった。ほんのわずかに灯子の声が遅れていたら……そう思いながら己は灯子に声をかける。


「灯子」

「己、御苦労様。あとは私の手番ね」

「任せていいな?」

「心配してんの?」

「するさ」

「大丈夫よ。遺憾なく、淀みなく、問題なくってね」

「もしもの時は俺が殺る。したくはねぇが覚えておいてくれ」

「ま、お互い最善を尽くしましょ」


 灯子と己はそれだけ言葉を交わすと立ち位置を入れ替えた。巨躯の狐の前には灯子が、虎の側には己が付き、刀に手を掛けたまま周囲の狐を威嚇する。

 普通ならば男よりも非力である女が前に出て来れば格好の得物としすぐにでも食らいついてしまいたくなるはずだが、狐はわずかに一歩足を下げた。

 警戒しなければならないと狐の本能が告げている。目に見えている武器を下げている己よりも幻と言う術を用いて手の内がより見えない灯子の方が何を出すのかわからないのだ。その不敵な笑みこそが、不気味でならない。だが、隙ができれば食い殺す。狐が灯子の言葉を待つ。さぁ何を口にする。



「ねぇ狐さん。虎食べたきゃ食べていいから、私だけ逃がして」



 灯子の口から出たのは我が身可愛さの自己保身満々の言葉だった。考えがある、人身満々に口にしたにも関わらず、出てきたその言葉に狐も虎も目を見開き思考を一瞬止めるほどの驚きに満ちた。にこり、と灯子は笑みを向ける。

 しかし己だけは驚かない。炎幻の幻使い。いうなれば騙すことに長けた炎の血族。虚を突き、策を講じる事こそ萩原家の真価であることを知っている。そして、それを楽しそうに完璧にやってのけるのが、萩原家が歴代最強と言われつつある者、萩原(はぎわら)灯子(とうこ)。

お読みいただきありがとうございました。

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