九話 山中の牙 "I only need to get hurt"
狸達から虎の話を聞き、虎がいるという見晴岩へと進んでいく灯子と己
しかし、どう考えても只の虎話ではなくなってきた二人は考察する。
斑六郎右衛門狸の居る府釣間神社の裏手に回り、さらに山を登ろうとしたところで己は後ろ手に聞こえていた狸達の祭囃子が聞こえなくなったのに気が付く。そのまま振り返ると祭囃子どころか、紅葉の雨が降る府釣間神社はそこになく、山の斜面が広がっているだけだった。
「灯子、神社が消えたぞ?」
「あらほんと」
灯子は知ってましたとばかりに言葉を口にする。どう見ても驚いた様子はない。ふぅーんと後ろを一瞥する様子に府釣間神社の外に出ると忽然と消えてしまう事を知っている。もしくはそう予想していたようだ。これが美月山の日常茶飯事かと己は嘆息する。なんにせよ美月山を良く知る灯子が慌てていないのだから気にする必要はない。己も深く追求することなく足を進め始めた。
目指す場所は美月山の中腹に位置し、山肌から飛び出た巨岩のある場所。狸達はそれを見晴岩と呼ぶ。稲見村からも見晴岩の巨岩を見ることができる。
「灯子、歩きながらでいいが聞いていいか?」
「どうぞ。聞きたいことたっくさんあるでしょ。斑の事とか」
「ああ。斑の親分さん素性も気にはなると言えばそうだが、とりあえずは虎の件だ。一瞬だけ斑に向けた視線。ありゃなんだ?虎の件だろう?あれは」
「流石の己。視線一つでよく気が付いてくれました」
「長ぇ付き合いもたまには役に立つもんだ。で?ありゃなんなんだ?」
「斑もなにか知ってやがるって意味」
「なに?」
「はっきり言うけど、私達、誰かの手のひらで踊ってる状態みたいね」
己は歩きながらでいいと言ったが、灯子は立ち止まり己に向き合った。それから誰かに聞かれていないか周囲を見た後、わずかに小声になる。
「己もこの先にいるのが只の虎じゃないことは気がついてるでしょ?」
「ああ。体格六メートル超えを聞いた時点でな」
「そんなでっかい虎がこんな山奥にいるのも不自然。動物園からの脱走ならもっと世間が騒いでるだろうけどそう言うのも今のところ聞いてない。最初の目撃から一か月経ってるしね」
「動物園からの脱走の線はとりあえずねぇだろうな」
「かといって日本に野生で虎が居るわけもない。まして六メートル超えなんて世界でいるかいないかと言うレベルよ」
「まぁ狸の証言が当てになるかどうかを差し引いても、日本の野生の虎はずっと昔に滅んでる。虎がいたのは大陸と日本が地続きの時代くらいだ。山間が多い日本で肉食と言えば小型の狼がいいところだろう」
「あら博識」
「暇つぶしのドキュメンタリーで見た程度だ。話の腰を折るな」
「ま、つまるところ、虎が現れた経緯がわからないってことよ」
「まるで突然出現したみたいになってるってことだな」
「かといって、目撃証言が多数出ちゃってるところを見るに虎の話自体が嘘ってわけでもない。んで、極めつけが斑よ」
「あの時、灯子が斑に向けた視線か」
灯子はうなずいて肯定した。あの時は確か、斑が宴会中の狸に向けて虎の目撃を確認した後、斑が虎は居ると言った直後ぐらいに、灯子が視線をわずかに斑へと向けていた。あれは間違いなく灯子から己へと向けなにかの意図を含んでいた。
「己は斑と会うのは初めてだから知らないんだけど、齢三百超えた神様狸の神通力は凄まじくてね。山の中の生き物の気配をその場で探れるのよ」
「ああ、虎の気配はしねぇとか言っていたな」
「にも関わらず狸達の目撃証言の後に虎はいると言い切った。一切の疑いもなく」
「虎の気配はねぇが虎は居る。聞いた限りじゃ矛盾しているな。灯子はどう考える」
「虎の形をした何か。そう考えてる」
「ほぉ」
もし虎だとしても斑のように何百も生きて神通力を蓄えた妖怪の類だと灯子は付け加え、それに己も納得してうなずいた。
今までの証言を考えても、突然山中に出現したこと、六メートルを超えていること、他の動物を襲わずに木の実を食べていることも含め、普通の虎として考えられないことばかりだ。だが、それでも虎の姿を見たというなら、それはもう虎の姿をした何かである。
ちょっと前までなら、そんな不思議な生物に己は納得するはずもないが、既に齢三百にして度を越した巨体の狸を見せつけられたばかりだ。
「虎ん気配はねぇと言い切ったのに虎は居るとも言い切った矛盾。虎の姿の何かだと斑の親分さんもそれに気がついてるわけか」
「一か月前に現れたのを今知った!って様子でもなかった」
「斑の親分さんのでかさを見て、只の虎なら狸共で手ぇ下してるかとも思ったが、訳ありじゃそうもいかねぇってことか」
「狐の件もあるしね」
「狐?」
己は斑が虎の事を宴会中の狸達に聞いた時に、狐も虎を探しているということを思い出す。狐が虎探し。その言葉を聞く限りどう考えても狸と同じように言語を話すんじゃねぇか。と理解する。
「灯子、やっぱり喋るのか?その狐っていうのも」
「まぁね。それに、この山の狸と狐は相当仲悪いからねぇ」
「何がある?」
「何って、縄張り争い。美月山の二頭領の一匹が狸ならもう一匹は狐。あの時言いそびれたけど狐と狸は戦争中なのよ」
「そりゃまた厄介な状況だな。で、虎探しで狐に気をつけろってことは、まさかだが見晴岩近辺は狐の縄張りか」
「そゆこと」
そっちは追々説明するわと言って、灯子は見晴岩に向かって歩き出した。己も灯子の後に向けて歩き出す。ふと己が腕時計を見れば時刻は正午を回っていた。随分と長い事山にいるような感覚に陥っているが、山に入ってまだ一時間ちょっとと言うところだ。府釣間神社での出来事もあって、時間感覚が徐々に狂い始めているのを己は感じる。
「灯子」
「なに?他になにかご質問?」
「お前は、虎の件が炎の血族側の話だと喫茶店で言っていたが、今ならそれがなんとなくわかる気がする」
「九重の家族の議題にあがるくらいだもの。只の虎騒ぎなら本来警察案件よ」
「それでこの山に居る虎が只の虎じゃねぇとまでは見えてきたが、お前の予想はどこまで当たっている?」
「……そうね」
灯子は己の前を歩きながら少し間を置く。斑が虎の件を普通じゃないと考えるように、灯子もまた虎の件を普通ではないと考えている。それも朝、喫茶店で己から虎の話を聞いた直後のことだ。己には見えていない何か。それを灯子は予想と言う言葉で口にしている。
「ふん、予想は今んとこ全部当たっちゃってる」
「なに?」
灯子はやれやれと深く息をついてそう答えた。灯子の予想は己には語ってくれないので知る由もないが、後ろを歩く己から見える灯子の肩は下がり、やらなきゃいけないのに相当面倒だということが背中から伝わってくる。
「で、いつになったらその予想とやらは教えてくれるんだ?」
「できればどこかで予想が外れてほしいから今はまだ」
「もう少しねぇのか?」
「なにが?」
「"二十八日"、それと"雨"。それ以外にヒントは?」
「それがぎりぎり出せるヒント。ま、正直。このヒントでわかる人にはわかるんだけど、己はそっちの知識は無いみたいねぇ」
「……そうだな。今のところはな」
「ちなみに、うちのジジイに紅月の旦那、西部の旦那は気がついてそう」
「ほぉ。祠堂の嬢ちゃんと緋森の御当主は?」
「秋ちゃんはさっぱりでしょ。華蓮さんは微妙かな?いや、西部の旦那かうちのジジイに聞かされてるかも。華蓮さん、小難しいことになると頭がショートするから」
「俺も祠堂の嬢ちゃんと同じでわからない側ってことか」
「私としちゃそっちの方が都合がいいんだけどね。悔しい?ね?悔しい?」
「煽るんじゃねぇよ。子供か。で、次のヒントはいつになる?」
「なに?やっぱわかんないと悔しい?」
「悔しくはねぇよ」
「ま、見晴岩について虎がいるか確認したら次のヒントを出してあげる」
「そうかい」
にししと、意地悪そうな顔を向ける灯子。己が何度も見た灯子が己をからかうときの表情。中学時代にもこうしてイジられたことがあるが、その憎たらしい顔は二十四の歳になった今でもかわらない。いや、より歳を重ね、知識を得たことでさらに意地の悪そうな雰囲気が増した気はすると己はちょっと思った。口にはしない。
それから、たわいもない雑談を交わしながら灯子を先頭に見晴岩へと向けて山道を進んでいく。急斜面な場所もなく少し草をかき分けて進む程度で、特に困難な道も無い。
これだけ山を進めば、己の革靴もスーツの裾も草がついたり土がついたりと汚れ始めるが、ここに至ってまだ灯子の着物に土や草が付いていない。美月山を歩きなれているということを越して、土や草に触れないよう空中にでも浮いているんじゃないかと思うほどだと己は見ていて思った。
そうしてしばらく進むと、山中の森が開けるような場所を見つける。斑のいる府釣間神社の時のように異空間に迷い込んでからの到着ではなく、普通に見晴岩へ歩き着いたようだった。
「はい到着ぅー」
「着いたか」
美月山の中腹域。山間から出っ張った巨岩のある場所にたどり着く。森を抜け、巨岩はさらに外側へと突っ張り出しており、灯子と己はその巨岩へと足を踏み入れる。岩の向こうは当然崖になっているが、そこから見える美月山の峰は冬景色と言えど眺めのいいものだった。見晴岩からは左側に稲見村の田園風景も見て取れる。名の通り見晴らしのいい場所、見晴岩。
「ここが見晴岩か。思ってたより広いな。足の踏み場は中規模のステージくらいある。でこぼこもねぇフラットな足場か。人工的に削ったみたいだな」
「流石の己。そのとおり。金剛不動明王の縁日にお供えに来る人がお参りしやすいよう削ったのよ。かなり昔にね」
「お参りって言っても社や祠が無ぇな」
「私たちが踏んでるこの巨岩こそが祠の役割であり御神体なのよ。お供えもこの岩にちょっと置くだけと実にシンプル」
「なるほど。で、虎は?」
「見りゃわかるでしょ。居ないわね」
見晴岩は遮蔽物も無い横倒しの巨岩であり、その周囲は見渡す必要もなく一望できる。当然ながら虎の姿は黒の縞も黄色の縞も見えない。ここにたどり着く途中ですれ違った様子もないので、灯子と己は示し合わせたように美月山の上側を見ることになった。いるとするならさらに山の上。
「登るのか?」
「だぁ~!えぇー!それは絶対嫌だぁ」
「やる気のねぇ声だな。ま、俺もしたくはねぇが」
「……たんたん狸の嘘つき共めが」
「睨むな睨むな。まだ嘘つかれたわけじゃねぇだろう。四六時中ここにいるってわけもねぇはずだ。木の実でも探しに行ったんじゃねぇか?」
「それ、待ってれば来るってこと?」
「昼過ぎだ。まだ時間はあるな」
「朝蕎麦だけじゃ体持たないってぇ」
「ならどうする?」
「……戻る。帰る。帰りましょう。明日にしましょう、そうしましょう!」
「あ、おい」
己の静止も聞かずに灯子は肩を落として戻り始めた。飽きたとばかりに着物の袖からお気に入りの煙管を取り出して煙をくゆらせながら。
虎を見ようとしていた気持ちはどこかへ飛んでいったのか、今はやる気のない雰囲気がこれでもかとばかりにあふれ出ている。こうなるともう言うことを聞かないのは己は何度も見たので、やれやれと灯子の後ろをついていくしかなかった。
「ちょっとくらい待つ気はねぇのか。ったく。明日来るにしても、また同じことにはなりかねねぇ」
「そう言うなら己が探してよ。足跡とか残ってそーだし」
「俺はお前の御守だ。お前が返るなら俺も帰らなきゃならねぇ。なぁ、せめて虎がいるっていう痕跡ぐれぇは見つけねぇと……ん?」
そう言いかけて、己は枯れ葉で埋まる地面にわずかなへこみがあるのを見つけた。それもこの辺りに大量にある。少ししゃがみ込んで地面の枯れ葉をどけると穴はどうやら一センチから二センチ程の深さがあり、大きな丸い後に小さな丸い跡が連なっていた。己の手のひらを二つ合わせてもまだ大きいそれが、動物の足跡であることはすぐに分かった。
「猫のような足跡。ってこたぁ、やっぱり居るのか」
周囲にいくつも足跡があり、その向きは不規則だ。つまり虎が何度もこの辺りを歩いているということの証拠。
己は考える。灯子は帰ると言っているが、一応ここに来た意味だけはあったか。ここまで来れば虎を見なくても虎がいる事は確信できる。灯子はこれに気が付いて帰ると言ったのか?なんにせよ、一度戻って報告すべきだな。
「灯子、足跡だ。大型の猫種。おそらくこいつぁ、虎――――」
己が顔を上げる。と、先ほどまで己の前を歩いて下山しようとしていた灯子の姿が無かった。周囲を見るが、目立つはずの紅葉柄の着物の影がどこにもない。目を細め、森の奥を凝視し耳を澄ませるが、灯子の足音も聞こえない。まるで、突然消えたような感覚。
「アイツどこ行きやがった。灯子!」
己が山中に声を掛ける。響き渡る己の声。残響が収まるのを待って灯子の返事をわずかに待つと、一瞬だけ強く風が吹き、地面の枯れ葉がざぁっと舞い上がった。そしてそれに紛れるように小さく、「己、こっちぃー」と灯子の声が聞こえた。
「下か」
己は声のした方向。今まで昇ってきた山道を下る。歩きにくい山道ではあるが、御守を任された手前見失うのはまずい。灯子の返事はそれほど切羽詰まったようには聞こえなかったが、それでも山道を進む己の足は速くなる。
「灯子!どこだー!」
「もうちょい下ってぇー。そっちにいるからぁー」
ったく、あいつは呑気に。と己の中で勝手に行動する灯子に少し苛立ちを覚える。自由奔放な気質はわかっているし、目の前で勝手をする分には問題ないが、せめて見える所にいてくれと思う。
己が進みながら声を掛けると、だんだん灯子の返事も大きく聞こえる。進む方向は間違っていない。ちゃんと近づいている。山を駆けるようにして下っていくと、木々の間にわずかに紅葉柄が見えた。
「灯子!そこか!」
「お、来た来た!」
「あのなぁ!先に行くなら言え!こっちは虎の足跡を――――」
びたり。己は足を止める。呼吸を止める。神経を尖らせ、口から出たのは「てめぇ何してやがる」と言う言葉。
同時に一瞬で左手に持った白鞘仕立ての刀に右手を添える。わずかに体を低くし、右足を前にして構えると、黒いサングラスで隠れた目に一気に敵意を入れた。
木々の合間、己に体を横に向け、それは金の双眸に黄色と黒の縞模様。狸共の噂通りの体格六メートルをゆうに超える巨体がその視線を己に向ける。それは灯子と己が探していた、噂通りの虎だった。
「やったぜ己」
えっへっへと自慢げにダブルピースサインを己に向ける灯子。灯子はそこにいた。そこに連れ去られていた。その体をばっくりと虎に咥えられ、持ち上げられたままの状態で。
「いえーい。虎見ーっけ」
「お前なぁ」
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