八話 斑六郎右衛門狸と虎の噂 "Those who watch over me"
美月山にいる二頭領の一匹、斑六郎右衛門狸のいる神社へたどり着いた灯子と己
二人は虎の話を狸達から聞くことになる
金剛不動明王霊山・美月山中腹天道――美月寿水郷・府釣間神社。
己は鳥居を超えた先に石柱を見つけ、そこに書かれていたその文字を見た。確かに灯子の言う通り、ここは府釣間神社というらしい。
参道脇には篠笛や摺り鉦、締付太鼓に大鼓、小鼓とお囃子楽器を器用に前足で演奏し、降りしきる紅葉の雨の中、酒や肴を楽しみながらヤンヤヤンヤと騒ぎ立てる狸がぎっしり。とにかく楽しいのか神社にたどり着いた灯子たちには目もくれない。
「たんたん狸の大宴会か。実におかしな光景だな」
「初めて見る人には驚きビックリだろうねぇ。あんた顔には出さないけど結構驚いてるでしょ?」
「ああ。驚いている。これだけ騒がしいのにも関わらず山の中に入るまで祭囃子を一切耳にしなかったことも含めてな」
「あら冷静。そのあたりは斑の神通力ってとこね」
「ふん、神通力を使う狸か」
灯子と己は社殿の前で黒いまなざしを向ける狸、斑六郎右衛門狸の元へと歩きだす。斑も酒や肴に口を伸ばしてはいるが、参道脇の狸達のように騒いだりはせず、のんびりとゆったりと灯子と己を待っている。
普通の野生動物とは一線を画す者であることは見ただけでわかる。人間である灯子や己を見て驚きもしなければ威圧も逃げもない。だからと言って飼いならされた犬のように無警戒でもない。本能ではなく理性で生きる者だけが持つ雰囲気。
何度も斑と会っているだろう灯子はもう慣れたものなのだろうが、初めての己はその斑の雰囲気に警戒心を強める。己にはわかる。斑が放つこの独特の雰囲気は人が持つ"命の覚悟"と全く同じなのだ。
「斑の頭領。ご無沙汰」
『おう、灯子ちゃんじゃあねぇか。見ねぇうちに別嬪さんになったのぉ』
府釣間神社の社殿の前に座る巨躯の狸、斑に話しかけると、ゆったりとした口調でほかの狸同様に人の言語を口にする。ニィと浮かぶ笑み。口角が上がると、一撃で人を殺しかねない白い大牙がちらりと見える。
「別嬪って。私は最初からずっと別嬪だっての。ほほぅ?世迷言の一つも言やぁ酒が出てくるとおもってるんじゃねぇぞ頭目ぅ」
『そうかそうか。灯子ちゃんはずっと別嬪じゃったのぉ。しかし、そこにあるのは一体何なんだい?とってもいい匂いがするじゃねぇか?』
「あれぇおっかしーなぁ。これは府釣間神社の神様へのお供え物をいつの間にか持ってきてしまったみたいだ」
『ほぉ!府釣間神社の神へのお供え物か。そりゃ殊勝なことよ。それで灯子ちゃんよ、わしが誰だかわかるかい?』
「美月寿水郷が府釣間神社の守り神。斑六郎右衛門狸様だ。ほら、お酒の追加だよ」
灯子は見せてやんな、とばかりに己へと目で合図する。わかり切ったような三文芝居を見せられた己はやれやれと一つ息をついて、手に持っていた風呂敷を広げた。緋森華蓮から持って行けと言われた日本酒と干し芋、干し柿の詰め合わせがどさっと広がる。
『結構結構!やや、干し柿も干し芋もあるじゃねぇか!こりゃ愉快愉快!はぁっはっはっは!』
それを見て豪快に笑う斑。社殿ほどの体格もあって灯子と己にかかる息が豪風にも感じられるほどに強い。機嫌がいいのは灯子や己にとってはいいことだ。これで機嫌でも悪くしたらその大口で噛みつかれるか飲み込まれるんだろう。ひとたまりもねぇなと己は内心で思う。
『さぁ酒と肴の追加だ。ほぉら持って行け!』
斑が近く飲んで騒いでいた狸に言うと、ぱぁっと明るく『やったぁ!『『酒だぁ!』
と喜びながら灯子の側に駆け寄ってくる。そのまま器用に後ろ脚だけで立ち上がるとキラキラした目で前足を器用に叩きながら「くりゃさんせー!」「くりゃさんせー!」とおねだり。そしてぱぱっと風呂敷ごと酒と干し芋、干し柿を器用に口に咥えて持って行った。
「随分と芸達者じゃねぇか。アライグマのなんとか君なんざ目じゃねぇほどだな」
「酒と食い者の前だけね」
『いいじゃねぇか。それだけでわしらは幸せなもんよぉ。それで灯子ちゃん』
「ん?」
『珍しくお連れさんがいるじゃぁねぇか。どこのどいつだい?』
斑の黒い目が己へと向けられる。灯子は一言「腐れ縁」とだけ言うと自己紹介しなさいよとばかりに視線を己へと向けた。その視線を受けると己は敬意を払い、少し頭を下げた。普段ならば初対面に頭を下げない己だが、相手が狸であろうと、既に格上であることは理解しているし、今回は頼るべき相手。上下関係で言えば頼む側の己が下になる。無駄な争いをする気もないので円滑に運ぶべきだと己は理解していた。
「名乗り遅れました。自分は灰鳴己と申します」
『もう灯子ちゃんから聞いておろうが、わしは斑六郎右衛門狸と言う。この美月山を牛耳ると言われとぉ山の古狸じゃ。まぁ柔らかくいこうや。わしのことぁ斑でも、頭領でも、狸の親分さんでも好きに呼んどくれ』
「はい。御配慮痛み入ります。狸の親分さん」
『ほぉ』
己がもう一度頭を下げると、その頭に軽く斑の前足が乗る。今一気に力を込めれば平らに踏みつぶされてしまいそうなほどの威圧感を頭上に感じるが、斑にその気がないのを知り、己はそのまま受け入れる。斑はそのまま軽くぽんぽんと二度ほど己の頭を叩いて前足を下げた。これが斑流の挨拶らしい。
『それにしても灰鳴か。灯子ちゃんよぉ。まさかだがこの若いのは炎の血族かい?』
「でなきゃ連れてこないでしょ。これでも私よりも立場が上で、九重の家族が灰鳴家の現当主よ。しょーじきマジで超絶に忌々しいけど」
「灯子お前、そう思っていたのか」
「あっったり前じゃない。なんでおんなじ年齢で中学の時の同級生が先に当主になってんのよ。私はやりたくはないけどそれはそれでなんかムカつく」
「俺のは他に灰鳴の血縁がいねぇからだ。そこを当たってくるんじゃねぇよ」
『はぁっはっは!仲がええのぉ』
「よくないわよ」
「よくはねぇな」
『それも似た者同士と来たもんだ。痴話喧嘩は犬も食わんと言うが続けるか?』
「だ、誰が夫婦だ!こんな四角面間違ってもごめんだね!」
『しかし灯子ちゃんもそういう歳にはなったんだろう?早う子の一人もわしに見せてくれんか?』
「耄碌してんの?そんなこと言ってると次に来るときは手ぶらになっちゃうかもねぇ」
『はぁっはっは!灯子ちゃんには敵わねぇなぁ』
またも豪快に笑う斑。灯子も軽口をたたきながらにししと笑みを浮かべる。同じく年を取った灯子の祖父、萩原幻灯と話しているときとは大違いだなと灯子の様子を見て己は思った。それに随分と慣れてやがる、とも。
『さて、灯子ちゃん。それに灰鳴の若いの。ここに来たのは宴会やってるからじゃなかろう?土産までもってくるとなると、このわしに頼み事かなにかかい?』
「あーそうそう。斑に聞きたいことがあってね」
『土産に炎の血族連れてとは、大層な用事に見えるな』
「事が事ならね」
『ほぉ?』
「美月山に虎が現れたって噂になってるんだ。なにか知らない?」
灯子は九重の家族の会合で話した内容を斑にそのまま伝えた。一月前の二十八日に美月山で虎っぽい影の目撃があってから同じようなことが二度起きた事。まだ虎の確証を得たわけじゃなく、それを確かめるために斑に会いに来たこと。灯子が当主たちに一芝居打たれて担当になったということ、それに付き合わされることになった己を含めて愚痴交じりに言う。
斑は一通り話を聞き終わると、虎ねぇと空を仰いで少し考える。数百年生きた神様狸と言えど歳も取れば記憶が曖昧になるのか?と己は思うが、どうやら思い当たる節が無いだけのようだった。
『わしはこの神社から出ることがないからのぉ。虎ん気配は今んとこ覚えがない』
「気配がないときたか。子狸たちは?」
『ちと待て。おい、虎ん見たことあるもんはいるか?』
斑は人間がいるのにそっちのけで宴会を続ける狸に向かい一言声を掛ける。酒や肴、お囃子に夢中とはいえ、狸の総大将である斑の声に一斉に首を向けて反応する。その声はまるで居酒屋で飲んでる中年男性の酔っぱらい声の如くだった。
『虎?見たことある?ウチないわぁ』『あるある!』『ほんとかい?』『知りたい。教えて』『体躯はでかい』『どれくらい』『そら大きい』『それじゃわからん』『巨躯じゃ。普通の虎じゃない』『してどれくらい』『人も狸も一飲みじゃ』『二十尺を超えちゅうと』『あっちゅう間に食われてもう』『おぉ怖い怖い』『でも血の臭いはせん』『食うとらんの?』『木の実を食べちゅうところは見た』『狸は虎に手を出さん』『狐も探しちゅうもんよ』『なんために』『ほかのもんの事はわからん』『山中に出くわそうなら震えて動けん』『でも見晴岩に居ると?』『見たんか?』『そこでいっつも寝とるわい』『おぉ怖い怖い』『酒の肴に虎話』『怖くて酒も進もうもんよぅ『『はーっはっはっは』
口々に虎のうわさを話し出す狸たち。怖い怖いと口にはするが、それすらも酒の肴とばかりにばか騒ぎ宴会に戻っていく。狸達にとっては今は楽しいが全て。宵も暮れずに酔い良いと。
『だそうじゃ。山を歩けばよう見るらしいぞ?』
「うーわ、目撃証言ありすぎじゃない」
「こっちでの目撃が少ねぇのは麓にまで降りて来ねぇからか。しかし二十尺を超えるか。虎にしちゃ随分とでかくねぇか?」
「六メートル超えね。シベリアトラでもそんなに成長しないわよ。それが本当ならギネス記録級かぁ」
『まぁ子狸の事じゃて嘘は言うとらんはずじゃ。虎はいるという事じゃな。それでそん虎をどうするつもりじゃ?今から探しに行くのか?』
「いや、自分で見に行く。だから斑、私と己がこの先に入るのを許可して」
「行くのか灯子」
「ふん、生で檻の外にいる虎が見れるんだし、いい機会よ、いい機会」
にししと興味津々で笑みを見せる灯子。だがその一瞬、灯子の視線が僅かに斑へと動いた。それを見ることができたのは己だけ。何かある、と己だけに向けた灯子からの合図を己は無表情のまま読み取る。
「まぁ、灯子がそう言うなら御守の俺は付いていくしかねぇな。親分さん。山に立ち入る許可はもらえねぇでしょうか?」
『ふむ、まぁ灯子ちゃんの言う事であれば聞かんわけにもいかんが……灯子ちゃん』
「ん?なに?」
『灰鳴の若いのもかい?』
「違うけど、一緒に行かないとうちのジジイに何言われるか」
『まぁそういう事なら仕方あるまい』
許可は出るらしい。まぁ悶着が無いのはいいことだと己は思うが、同時に斑と灯子の会話に不自然さがあったことを認識した。灯子の言う違うという言葉が何を示すのかは今のところわからない。
「虎の件何かわかったら連絡するよ」
『神社の裏手から道が出とる。そこから見晴岩を目指すといい』
「ありがとう斑。またお土産とか持ってくるから、そんときはよろしくね」
『ま、期待せんと待っとるよ。っと、そうだ、灰鳴の若いの』
灯子と己が神社の裏手へと足を向けようとして斑は己に声を掛けた。俺に?と己は思って斑の言葉を聞く。
『虎の件、狐も探しちゅうことじゃて気を付けぇ。見晴岩付近に虎が居るんじゃっらたなおさらじゃ。奴らもその付近にいるじゃろうて。今の狐の頭領はずいぶんと気が荒い』
「狐の頭領……美月二頭領の一匹ですかい?」
『そやつは、わしの話もよう聞かん。山を血で汚すなよ?』
最後は己を心配してのことではなく、神域を汚すなと言う警告だった。斑の温和な雰囲気に紛れ、威圧が己へと向けらる。それに対し己は「忠告痛み入ります」と素直に頭を下げた。灯子に言わず己に言ったのは、灯子はそのことをわかっていると斑が知っているからだろう。
この先は狐も出てくる。しかも、話が通じない可能性もある。虎の件といい物騒になってきたな。己は余計な荷物を降ろしたことで空いた手に持った刀を持ち、それを抜くかもしれないという覚悟を決めた。獣であろうが命を斬るということに変わりはない。
「気を張りすぎると疲れるわよ?」
そんな己に灯子は声を掛け、横に並び立つ。紅葉降りしきる神社を背に更なる山登りへと進む灯子と己。今だ虎は見ておらず目指すは美月山の見晴岩。ただの虎話で終わることは絶対にありえないだろうと、すでに事の時灯子と己は頭のどこかで理解していた。
お読みくださりありがとうございました。




