【なるほどそういう一面も】
この日も朝から、ガルドの部屋の扉が軽やかにノックされた。
朝特有の少々掠れた声で返事をすれば、まるで何事もなかったかのように――いや、一切何も覚えてない顔で、ルシアンが顔を出す。
「おはようガルド、朝ご飯だって」
にこり、と笑う顔は、昨夜の名残を何も携えていない。
やや寝不足なガルドと、すっきりと目覚めたらしいルシアン。不公平である。
――ほんとに不公平である……。
ほぼ寝転がっているだけだったベッドから起き上がり、無造作に扉の方へと歩きながらため息をつくガルドを、ルシアンが首を傾いで見上げてくる。
「……眠れなかったかい?」
「……おかげさまでな」
ぼそりと返すのが精いっぱい。疑問符を浮かべたような銀の瞳を一瞥して、ガルドも部屋を出る。
不思議そうにこちらを見るその眼差しは、まったくの無垢そのもの。――本当に覚えてねぇのか、それとも、あえて知らん顔してるのか。
せめて"わかった上で知らん顔している"ほうであってくれ、という毎度ながらのガルドの願いは……どうやら今日も叶わなさそうだ。
並んで廊下を歩きながら、ルシアンも変わらずいつも通りだ。
「……へらへらしてんじゃねぇよ……」
「ええ?」
ぼやいたところで、笑みは止まらない。まるで何も起きなかった朝のように、まっすぐこちらを見るその表情に……ガルドはいつものように舌打ちをした。チッ。
ツガの梢亭から街道を徒歩で、二日。
ルシアンは、森を抜けた先、遥か遠くに見える街門に目を細めていた。
「あれがベルミードかい?」
「んん……日暮れ前には着くな」
同じく街門を見止めながら、ガルドも目を細める。
背を押すように吹いた風がその旅路を後押しするかに思えて……ガルドの隣では、淡い外套も同じように風に翻っていた。
ふと、赤い瞳がそれを見下ろす。
優雅な佇まいのこの男、やはり何度見ても冒険者には見えない。けれどガルドは、もはや気にしてすらいない。
ルシアンが様々なところで貴族だと思われ、それに周りが勝手に恐縮していくのを、どこか愉快にすら思っていた。
「……なんだっけ、"のんき"な街?」
「……覚えてんのかそれ」
笑いながら言うルシアンに、ガルドが眉の片方を上げる。そこまで覚えていて、何故その後のことは覚えていないのか。……まぁ言っても詮無いことだ。
「図書館があったはずだ。人も多い。……キレイな場所とやらの噂もあるかもな」
続く言葉に、ルシアンが満足そうに頷く。"それはいいね"とでも言いだしそうな顔だった。
ぎゅ、とガルドの眉根が寄る。こちらは"そんなに嬉しそうな顔を俺に向けてどうすんだ"、といった顔。
「ったく……」
小さく呟きながら、がし、と片手で首の後ろを掻き、先を見やった。丘陵の向こうに広がる街の輪郭は、柔らかく整っている。
防壁は低く、門の飾りも華やかで、遠目にも"人の暮らしの気配"が感じ取れる。
「今度はゆっくりできるといいね」
「…………」
その――"今度は"、が……あの街のことを言っているのだと、……すぐにわかったが。
ガルドはひとつ鼻を鳴らして、前を見据えたまま肩をすくめた。
「……お坊ちゃんのおめがねに適う街だといいな」
「あ、ふふ、からかってるでしょう」
「んなこたねぇ」
とぼけたように言いながらも、ガルドの声にはどこか柔らかい響きがあった。そのままふたり、昼下がりの街道をベルミードへと歩いていった。
そうしてしばらく歩いていくと、街道の端に乗合馬車が停まっていた。
この付近に停留所はない。馬車の傍らで、御者らしき男が頭を掻いているのも見える。
――何やら足止めを食らっているようだった。
「おや……困りごとだろうか」
首を傾いだルシアンを、ガルドが静かに片手で制する。ああいうのは往々にして、無害な人間を装った追いはぎや盗賊である可能性がある。赤い眼差しが、……ダメだと言っていた。
「見てくる。待っとけ」
「うん、わかった」
言葉少なに様子を見に行ったその後ろ姿を見て……ふふ、とルシアンが笑みを零す。
あんなに大柄で怖い顔の男が近寄っていったら、それこそ追いはぎか盗賊にでも間違われそうだ。
案の定、御者らしき男が驚いて肩を跳ねあがらせ、続けて慌てたように視線を巡らせ、身振り手振りをもってなんとか説明している。
しかしガルドも落ち着いてそれに頷いており、しばらくの後に、どうやらお互いに不審人物ではないと確認できているようだった。
肩越しに振り返ったガルドが手で合図をしてきたため、ルシアンも頷いて馬車のほうへと歩を進めた。
乗客だったのであろう何人かは、もうすでにルシアンの姿を見とめていた。とりわけ、この赤眼の男との取り合わせに目を丸くしている。
歩み寄っていったルシアンが柔和な笑みを以てして軽く会釈をすれば、それぞれからぺこりと一礼が返ってくる。
「……故障だとよ。後輪の軸受けが割れて動かせねぇらしい」
ルシアンの足取りを見ていたガルドが、そう言ってちらと後ろの馬車を振り返った。
その向こう側、馬車の前方では、馬の尾が振れている。
「おやそれは……。馬の回復ならできたけどね」
「俺も御者も応急処置ならできるが、……お前なんか……こう、固める魔法とか使えねぇのか」
「固める……強化魔法のことかい?……ちょっと得意じゃないね」
そうか、とガルドがすんなりと馬車に向き直る。聞いてみただけであてにしていたわけではなかったらしく、だからといって特に何ということもなかった。
もうすっかり"手伝う"つもりになっているようで、御者と何やら話し込んでいる。ほう、とルシアンの視線も、やわく細まった。
見れば、馬車の乗客には幼い子どもや老人の姿も見える。加えて、街道とはいえ、魔獣が出ないとも限らない。なるほど、ガルドが立ち止まるのにも納得がいった。
どれどれ、と興味本位でルシアンが車体の下を覗き込んでみたが、……素人目にはどこがどうなっているのかいまいちわからない。
ザ、と靴音がして横合いを見上げれば、ガルドが傍らに立ってルシアンを見下ろしていた。――引っ込んでいろと言う目。
かと、思ったが。
同じようにしゃがみ込んで、車輪と軸を繋ぐ部品を指さす。
「……おら、ここが割れてる。このまま走りゃぶっ壊れる」
「……なるほど」
言われてみれば確かに、軸受けの木にヒビが入っていた。……こと、よりも。
教えてくれるのか、ということのほうが、なんだか。
「……客連中とオハナシでもしとけ」
「うん」
……揃って立ち上がり、ガルドは御者のもとへ。ルシアンは馬車を降りた乗客のもとへ。
御者が安堵した顔を見せ、道具袋をガルドに渡している。ガルドが紐を解いて口を開けば、工具や革紐、布、楔形の木片や金具が出てきた。
「旦那ァ、車体浮かせられますかい?」
「ああ」
そんな会話を背にしながら、ルシアンはきょとんとしている乗客たちにもう一度会釈をした。
「こんにちは。皆さん、お怪我はありませんでしたか」
「え、ええ」
「どうも……」
柔和な笑みに、客たちの視線もやや泳ぐ。警戒の視線ではなく、どこか照れたような、安心したような眼差しだ。
「い、いやぁ、さっきは追いはぎかと思ったよ……」
「ええ、ほんと……でもよかったわぁ」
「ふふ、彼、顔怖いですものね」
声を潜めたルシアンに、母親の影に隠れていた子どもがくすくすと笑った。こら、と母親になだめられ、人々に柔らかな笑みが広がる。
「見た目はあの通りですが、中身は良い男ですよ」
「はは、違ぇねぇ」
「野宿するはめになるかと思ってたとこだったのよ」
一人、また一人と口を開く。ちらと一度だけガルドが視線を向けてきたが、ひとつ確認をしただけですぐ作業に戻った。
ガルドを見やり、ルシアンに視線を戻した子どもが、母親の後ろから首だけを覗かせる。
「……お兄さんたち、たびびとさんですか?」
「ええ、そうですよ」
小さなその問いかけに、ルシアンも小さく答えた。
子どもの目線の高さまでしゃがみ込んだルシアンが、そっと両手を差し出す。
おずおずと歩み寄ってきた子どもが静かにその手を重ねれば、緊張で冷えた小さな手が、じんわりとした温もりに包まれた。
「わぁ……お手てあったかい……」
「ええ、魔法使いなので」
うわぁ、と子どもの目が輝いた。母を振り返り、ルシアンを振り返り、もう一度母を振り返り、すごいよ!と言うような眼差し。
母親が慌てて呼び戻そうとするが、ルシアンも、そして周りの大人たちの眼差しもどこか柔らかかった。
(…………)
――ガキが苦手なのかと思っていたが、と……ガルドもまた目の端で、作業の傍らにそれを見ていた。
何も"苦手だ"とか"嫌いだ"とか、そういう話をルシアンとしたことがあるわけではない。ただ、"話が通じない相手"を嫌煙しそうだなと勝手に思っていた。
もちろん過度に可愛がるような姿勢を見せているわけでもなく、あくまで老若男女すべてにおいて、等しく"ルシアン"であるかのよう。
差があるとすれば、言葉の伝え方を多少変えている程度か、と、……ガルドがそんなことを考えているうちに、御者が車体の下から這い出てくる。
「旦那!軸皿固定できましたんで、手ェ離して大丈夫でさ!」
「おう」
ぎちり、と片側を持ち上げていた車体を、ガルドがゆっくりと降ろす。乗合馬車はギイッ、と一度大きく軋んだものの、ぐらつくことなく地にその身を落ち着けた。
乗客らも安心したように胸を撫でおろし、御者もほっと一息をついていた。
――【なるほどそういう一面も】
《旅の記録》
・場所名(通称):ツガの梢亭
・最寄り街:ベルミード
・景観種別:静
・特徴メモ: 街道沿いに建つ素朴な宿。旅人や商人の憩いの場となっていた。
・時期・時間帯: 晩夏・一泊
・再訪:可
・個人的メモ:
「馬匹宿の厩務員さんのおすすめ。食事は炭火を使ったもので、店主のこだわりが見て取れた。
いくら野営慣れしてきたといえど、やはりベッドには敵わない。彼も少しは休めただろうか。」
――ルシアンの手帳より




