【手のかかる主】
翌日の夕方には、ふたりはツガの梢亭にたどり着いていた。
森沿いの街道が一旦拓けた場所にある宿には――ぽつん、という表現がよく似合った。
建物は木造の平屋で、入り口には手書きの看板がかかっている。"炭火焼あります"の文字に、ルシアンが護衛を見上げてにこりとした。
中に入ればすぐに帳場だったが、どうやら食堂と一つになっているようだ。訪れたふたりに宿の主人が顔を上げて、ぶっきらぼうに、けれど笑う。
「いらっしゃい。泊まりかい」
「ええ。お部屋、開いてますか」
柔和な笑みで、ルシアンも会釈を返す。帳簿をめくりもせず、主人が奥の方を顎で示した。
「おう。四部屋あるがな、二部屋開いてるよ」
「では、二部屋お願いします」
ルシアンの返答に帳簿を開きながら、主人が小さく頷いてみせる。一人でやっているようで、すぐ脇の厨房ではもうすでに火が熾され始めていた。
「右手奥の二部屋だ。内装はどっちも変わりねぇ」
ちら、とその目がルシアンを見る。どこか、"文句言うなよ"、のようなその顔。恐らくだが、また見た目で"貴族かもしれない"という勘違いをされているようだった。
鍵を二つ受け取りながら、ルシアンが首を傾いで笑う。ガルドも小さく鼻を鳴らしていた。
「風呂は裏手。他のお客さんはもう入ったから、兄ちゃんたちも入るなら入っちまいな」
「はい、ありがとうございます」
丁寧すぎず、かといって無遠慮すぎず、特別愛想がいいわけでもないのに、どこか優しいその応対。
加えて踏み込まず、決めつけず。――ふむ、とルシアンが口元を緩めつつ、廊下の奥へと歩を進める。
歩きながら、受け取った鍵の一つをガルドに渡し――ハッとそのままガルドを見上げた。
「……そうか、宿のご主人、ちょっとガルドに似ているね」
「ああ?」
ぎしぎしと廊下を歩きながら、ガルドが隣を見下ろした。何が誰に似てるって、と。
「……俺は……多分あそこまではハゲねぇ……」
「ふふ、こら」
ぼやくガルドに、ルシアンから静かな笑みが返ってくる。厨房からは、香ばしい炭火の匂いが漂ってきていた。
夜、夕食前に風呂を終えたルシアンは、ガルドの部屋を訪れていた。
扉を軽く叩けば、部屋の中からは短い返事がくるだけ。ルシアンが扉の取っ手を引くと、すでに入浴を終えていたガルドが窓辺で風に当たっていた。
「宿のご主人が、ご飯もうすぐできるって」
「んん」
低く頷いたガルドが、みしりと椅子を鳴らして立ち上がる。窓を閉めてから連れ立って部屋を出ると、食堂の辺りからはささやかな夕餉の気配が漂っていた。
帳場横の食堂には、親子と旅の商人がいた。特に話をするでもないが、同じ夜を過ごす者同士、軽く会釈だけをする。
運ばれてきた料理は、山鳥の炭火焼やキノコのバター煮といった素朴なもの。ハーブの効いたスープや焼き立てのパンも、これまた美味かった。香りもよく、どれもルシアンの好みの味。
目の前の護衛に、美味しい、の笑顔が飛ぶ。交わされる言葉は少なくとも、それだけでガルドには十分通じた。
ガルドも黙って、手元の串を一つ取る。
肉厚の山鳥にかぶりつきながら視線を正面にやれば――銀の瞳が、柔らかな灯りの下で細められていた。
「……顔に出すぎだな、お前はよ」
「ええ?」
「……へらへらしやがる」
ぼそりとガルドが呟くも、声に刺はない。むしろどこか、呆れか甘やかしに似た温度だ。
パンの端を千切り、スープに浸して口へ運ぶ。食堂の片隅では、親子連れが楽しげに談笑し、旅商人が帳面をめくっている。だが、ガルドの意識はただひとつ、向かいの笑みに向いていた。
「……毎度うめぇ飯食って、次が不味いと困るな」
口元を拭いながら言うと、ルシアンが楽しげに肩をすくめてみせる。
こうやって正面で"美味い顔"をされているから食事も美味いのだと――ガルドは、気づかないことにした。
食事も終え、宿の主人が出してくれた果実酒を飲みながら、ふたりは明日以降の旅程について話をしていた。
次の街へは、ここから二日ほど。
ルシアンは当然行ったことはなく、ベルミード、という名前だけを知っていた。
「どんな街なんだい?君、行ったことある?」
「ああ……」
片手に果実酒の杯、もう片手で頬杖をつき、ルシアンがゆっくりと瞬きをする。
自分が訊ねた話に興味はあるものの、ほんの少し眠い。そんな顔だった。
カウンターで帳簿をつけていた主人が、それを見て眉を吊り上げる。
角度的には、ちょうどルシアンとガルドを真横から見る立ち位置。
その視線に気づいたガルドが横目で見ると、宿の主人はくい、と顎でルシアンを示した。
――兄ちゃん寝そうだな、の仕草だ。
ガルドも短く鼻を鳴らし、持っていた杯をコトリとテーブルに置く。
「……ま、のんきな街だ」
「ふふ、のんきって」
果実酒の淡い香りが鼻をくすぐる中、ルシアンが緩く笑う。その視線は手元の酒に落ちているようで、もう対面のガルドには向いていない。
ゆっくりと瞬きをする姿は、明らかに――眠たげだ。
「住んでる奴らがのんきなんだ。お前、ウマが合うんじゃねぇか」
そう言いながら、ガルドがそっと腰を上げる。卓の上の器をひとまとめにして寄せれば、宿の主人が静かに頷く仕草。
「オヤジ、ごっそさん」
「ああ」
ガルドは主人と一言だけを交わして、卓を回りルシアンの椅子に手をかけた。肩先に指を乗せ、その背を促す。
「……部屋行くぞ。まだ寝んな」
「ん?……うん」
ぎ、と椅子が引かれ、ルシアンもゆらりと立ち上がる。反応は鈍いが、ガルドの話は聞こえているようで。
――まぁ、転ばれても困る、と……ガルドもその肩に軽く手を添えて、食堂をあとにする。
それを見送った主人が、帳場から笑ったようなため息をひとつ。
綺麗にまとめられた食器を片付けながら、けれどどこか温かな眼差しだった。
――【手のかかる主】




