【蟲にな、蟲に。蟲にだぞ】
日も傾いてきたころ、ふたりは街道脇に野営地を設えていた。例の林道付近を通過するために少し長めに歩いたこともあり、すでに夕闇が迫っている。
天幕を張るガルドの傍ら……、いつもならふらりと薪を取りに行く背中も、今日はガルドのすぐ横にいた。
「……おい……」
「……一緒に行こうよ」
ごく……、至極真剣な顔が、杭を打ち込むガルドを見下ろしている。"あれ"がまたいたらどうするの、という訴えの目だった。
「お前なぁ……」
呆れ半分で言いつつも、ガルド自身ちょっとまんざらでもない。甘えか、我が儘か、頼られているのか、ともかく心理的にはもう完全に"寄りかかられている"。たとえ今だけだとしても、だ。
だが決して、そうされて"嬉しい"を……ガルドは表には出さない。が、足は勝手に林へと向いていた。
「……手でも繋いでやろうか」
「ん、ふふ、さすがにそこまで子どもではないよ」
茂みを割って進むガルドの背を追い、そう答えるルシアンの声は、どこか安心したようだった。
子どもではないなど、百も承知だ。――小さく、ガルドも舌打ちをする。口角は緩んだまま。
「……だから言ってんだ」
「うん?」
聞き返してくる声に、もう返事はしない。顔も向けない。ちょっとにやけているのを見られたら、それはそれでからかわれそうだからだ。
後ろから小さな衣擦れの音がついてくる。落ち葉を踏む音が柔らかく響く。
夕闇のせいか、少し空気が冷たい。
「……離れんなよ」
「うん、わかった」
後ろで笑う気配に、――ああ、敵わない……、と感じた。
野営の火に照らされながら、ルシアンは静かに手帳をめくっていた。
焚き火の向こうでは、ガルドが茂みのほうに目をやっている。何かの気配を察知しているのではない。今日は面白いもんを見たな――ただそれだけの顔だった。
「……なぁ」
「ん、なんだい」
「お前、俺が寝てる間にアレ来たらどうすんだ」
……その問いかけは、決してからかうつもりはなく、純粋な興味で聞いたもの。攻撃手段がなかろうと、"ルシアン"だ。何か、対処法があるに違いない。
手帳をぱたりと閉じ、ルシアン、沈黙。
――わずかにガルドを睨んでいる。察するに、どうやらその術は……なさそうだ。
「……現実的な話をすれば、君を起こして対処してもらうところだけれど」
「ああ。けれど?」
「……即座に撤退するかもね」
「俺を置いて逃げんなよ」
まさかの戦術に、思わずガルドの口角があがった。まじかよ、と片手で額を覆う。なるほどな、そりゃ一番だ。囮を置いて、自分はさっさと逃げる。くつ、とガルドの肩が揺れる。
それを見て小さく笑ったのちにルシアンも立ちあがり、ふ、とひとつ息をついて寝床の中へ。
「今日はお先に休ませてもらうよ。夜半過ぎに起こしてね、ガルド」
「……ビビって寝らんねぇんじゃねぇか」
「……しつこいね君も……」
じと、とまたルシアンから、笑み半分、睨み半分の視線が流れてくる。
焚き火の傍らに設えられた簡単な天幕の下、ばさりと毛布をかぶり、横に――なるその直前に、もう一度だけ、銀の瞳が振り返った。
「じゃあ一緒に寝てくれるのかい?」
は……、と止まったガルドを置き去りに、そのまま毛布の中へ。最後にちらりと見えた顔は、仕返しのようないたずら顔だった。
「……んの……バカ野郎がよ」
もはや苦し紛れのガルドの声は、焚き火に弾ける薪の音にかき消された。
だが口の端がほんのわずかに引きつっているのは、焚き火の光のせいではなかった。
「ったく……そういうとこがたちわりぃってんだ……」
自分のことは棚に上げ、ぶつぶつと呟きながら頭をかき、茂みに視線を戻す。蟲の気配も風の揺れも、とっくに頭には入ってない。あの無邪気な一言だけが耳に残っている。
"一緒に寝てくれるのかい?"
…………こっちが聞きてぇ……と頭を抱える。
耳を澄ませても、寝息は聞こえない。それでも、その静けさが心地よかった。
「……襲われても知らねぇからな」
――蟲にな、蟲に。と自分で自分に補足をする。
焚き火を見つめながら口元だけでそう呟いた忠告には、もはや怒気も呆れもなかった。
――朝になり、野営地の拠点を撤去して、それぞれに荷を背負う。
蟲魔獣の出る区画はやはり過ぎていたようで、夜番は何事もなかった。
「……おい、ねじれてる」
「うん?」
一歩踏み出しかけたルシアンに、ガルドからそんな声がかかった。振り返れば、後ろから伸びてきた手に、肩にかかった革鞄の紐を直される。
ありがとう、と口を開こうとしたあたりで、肩越しに一歩回り込まれ、胸元に寄ってくる顔。
――すん、と小さく鼻を鳴らす音。
が、して……、ガルドがそこから離れた。
その眼差しが何事か言いたげに薄く口を開いたが、……閉じる。歩き出すその背中からは、名残惜しさのようなものが滲んでいた。
「いくぞ。ツガだかなんだか」
「あ、うん」
大股で歩くその背に、ルシアンは足を速めて後を追った。
朝靄の残る街道に――足音が二人分。
(……今のは、紐と匂い、どっちが目的だ……?)
そう思ったのはガルドだったし、ルシアンだったかもしれなかった。
――【蟲にな、蟲に。蟲にだぞ】




