【拒絶の笑み】
戦況は、確実に押し返していた。西門はほぼ撃退。
その戦力は東門へ。
また南門も、明らかに魔獣の進行速度が落ちてきている。
肩で息をする無哭のそば、けれどその斬撃の邪魔にならない位置に、援護が並ぶ。
無言で、無慈悲で、涙もなく、断末魔もあげさせない。
これが彼が"無哭"たる所以だと、誰もが思っていたが。
この南門においては、それが少しずつ、変わり始めていた。
誰も泣かせない、悲鳴もあげさせず、守り抜くのがこの男、"無哭"なのではないかと。
東門の大型魔獣も、軋んだ声を上げていた。
防衛軍が防ぐ。冒険者が押す。
弓士の矢に魔術師たちの援護が乗る。
あれほどまでに混沌としていた防衛戦線も、今は足並みをそろえ街を守らんとしていた。
その最中、ルシアンは、ただガルドだけを見ていた。
感知魔法は張り続けているが、もう余波はない。
サイレント・ダヴも、もう生まれない。
岩場地帯の子どものもとへ、駆けてゆく気配もある。
「さ、早く帰っておいで、ガルド」
最後の防御魔法を、魔力の波に乗せて飛ばした。
ルシアンの指先から放たれた魔力は、空気を静かに震わせて、淡い光の層となり、ガルドの背にぴたりと張りついた。
斬撃の振りぬきにも、蹴り上げにも、その膜は一切の干渉をせず、ただ彼を密やかに守る。
刃の返しで魔獣の首を刎ねたガルドが、息を吐き出した瞬間――そのわずかな揺らぎにも、防御の膜は呼応して緩やかに再調整された。
……あんなにも遠くにあるのに、こうしてそばにいる。
――守っているのが、はたしてどちらなのか。
気づけば、南門の兵たちの足取りにも迷いがなくなっていた。
あの赤い瞳の男がどこにいて、どこへ進むのか。その一点だけを意識していれば、敵の位置が見える気がした。
後続の冒険者たちも、前線に舞い戻る者が現れ始める。
「こっちだ、通すな!!」
「おい、無哭の後ろ、空けんなよ!」
自然と、彼のまわりに陣ができた。決して口にはしないが、皆が理解していた。
――あの男の背を、敵に見せてはいけない。あの背の向こうに、街があるのだ。
……ここが、"支点"だ。
陽は、傾きはじめていた。
戦場の上に、赤金の光が落ちる。
遠く、南東の岩場に、旗を持った救援隊の姿が見えた。
その先、小さな子どもの腕が、高く振られている。
東門と、南門の事態は、ほぼ同時に収束した。
大型魔獣が地に伏せる。東門では歓声が上がる。
冒険者も防衛軍も関係なく、手を取り、肩を組み、互いに喜びを分かち合った。
南門でもまた、最後の魔獣をガルドの大剣が叩き伏せていた。
……しん、と音のない空気が戻る。
静寂の後、次第に周囲の呼吸が荒くなる。
終わった、終わらせた、この男が今、間違いなく。
それは歓喜にも似ていたが、――同時に、底知れぬ恐怖もあった。
昼の開戦から、今はもう夕暮れが丘陵地帯を染めている。
夥しい数の魔獣の亡骸、破片、血、骨、肉。ぐちゃりと地面が湿った音を立てる。
どこもかしこも血に濡れて、緑の草原はどこにもない。
防壁に背を向けて立っていたガルドが、……ゆらり、と振り返った。
全員が息をのむ。
出血と、魔獣の血と体液にまみれ、さらに真っ赤なその眼光は、夕暮れの赤に恐ろしく映えた。
ぐちゃ、ずしゃ、と足音をさせながら、その巨体が街へ向かう。
足取りはしっかりと、けれど――疲労の色が滲んでいた。
ルシアンが防壁の下でガルドを待つ。
全身に血を纏い、まだ戦いの色が抜けない赤い双眸を、微笑みで以て迎える。
防壁下にいた冒険者たちは、震えあがり後ずさっている。
様子を見に来たギルド職員も、引きつった表情をしている。
防衛軍は何人か目を逸らす。脳裏にそれを刻まないように。
「おかえり、ガルド」
「…………ああ」
ルシアンの横を通り過ぎ、ガルドが宿屋のほうへ歩き出す。
ぽたり、ぽたりと石畳に血が滴る。彼のものか魔獣のものかはわからない。
それを追うように一歩踏み出したルシアンが――ゆっくりと後ろを振り返った。
――怯え、震えあがり、無哭を見送る、有象無象ども。
にこり、と向けられた柔和な笑みは、拒絶そのものだった。
その微笑みは、あまりにも優雅で、静かで。
それなのに、背筋が凍るほどに冷たかった。
――お前たちがこれを望んだのだろう。
――ならばこれ以上は望むなよ。
誰も口にできなかった。歓声も、称賛も、ねぎらいも。
あの大きな背に何かを投げかけられる者も、あの銀の微笑と目を合わせられる者も、一人もいなかった。
ごつ、ごつ、ごつり。
ガルドの足音が遠ざかるたびに、石畳に新しい血の雫が落ちる。
音を立てて、静寂に刻まれる軌跡。
ルシアンが、淡く息を吐いた。
肩を落とすこともせず、ただ、少しだけ微笑を緩める。
その笑みは、どこか寂しげで――それでも、誇らしげだった。
誰が見ていようと、誰が怯えようと、この手は彼のそばにある。
淡い外套が夕風に揺れた。歩き出す先に、血の匂いがしていても、……今さら迷いはない。
自分が選んだ、自分の場所だ。
――【拒絶の笑み】




