【放蕩者で、結構です】
持ち直したのか、西門に集中していた魔獣の気配がわずかに引き始めた。
おや、間に合ったね、とルシアンも小さく息をつく。
まったくどうして、こんなにも人がいて混戦することがあるのか、と。
零れた魔獣が南の防壁へと迫る。
咆哮を上げつつ、冒険者たちがそれに応戦する。
いつの間にか、南門のほとんどの戦力が、――防壁まで"後退"してきていた。
前線にはガルド一人。これは大変に、……馬鹿馬鹿しい。
"――防衛軍、統率なし、無哭孤立"
(ふふ、このくらいの告げ口、かわいいものでしょう?)
すり、とルシアンが、魔術の小鳥を撫でつけた。
と、またもや感知に強い反応が出る。
今度は東門方面。
北東の山脈方向から、大型魔獣の気配。
ここまでくると、もはや可笑しさすら湧き上がってくる。
(さて、軍政指揮官殿はどのような采配を見せてくださるのか……)
二羽の小鳥が、また軽やかに空を舞った。
――軍政指揮官の陣幕内に、羽ばたく音が舞い降りる。
一羽、また一羽。
空気がわずかに震え、幕がふわりと揺れた。
「報告、二件!」
副官がすでに書板を構えている。
「南門、無哭孤立。防衛軍の指揮統制に乱れあり!東門、北東山脈より大型魔獣接近中!」
即座に陣図を睨み、軍政指揮官が短く命を飛ばす。
「西門の弓隊、南門へ移動。防壁上から援護しろ。魔術師隊、東門後方へ。大型対応陣へ移行」
即応、即断。
迷いのない命令は、即座に幕舎を駆け出す副官たちに引き継がれた。
執政官が、隣でぽつりと漏らす。
「……まるで、戦場の形が見えているようだな。まさか、占術士か?」
軍政指揮官は黙して答えない。ただ、もう一度だけ陣図に視線を落とした。
――そういえば、妙なのが一人いた。杖すら持たず、動揺すら見せない、いやに穏やかな魔術師が一人。
「…………」
……いや、まさかな。無哭を護衛につけた、ただの放蕩者だろう。
そう、処理された。
南門、防壁上――。
二羽の小鳥を送り出したあと、ルシアンはそっと片手を下ろしていた。
すでに陽は天を過ぎ、魔獣たちの影が伸び、戦場の地面を斑に染めている。
感知魔法の波が、また肌をかすめる。――変わらず、前線に一人。
斬り、砕き、
殴り、蹴り飛ばし、
それでもなお後ろを見ない剣士の姿がそこにある。
(……一歩も、下がってない)
息をつきながら、ルシアンはもう一度、手を掲げた。
魔力の膜が、うすく淡く、空気の層のようにガルドを包む。
傷を防ぐというより、暴風を受け流すための膜。
押し寄せる有象無象の波を前に、彼が崩されないための支え。
――と、足元、防壁の下。
防衛軍の指揮官らしき者が、部隊を率いて再び前線に向かおうとしている。
(……ようやく動いたか)
まるで微睡むような目で、ルシアンが彼らを見下ろした。
戦場の流れは、少しずつ、こちら側へと傾き始めている。
その傾きに気づく者が、何人いるかはわからないけれど。
東門から怒号が上がる。
防衛戦線と大型の魔獣が、接敵し始めたようだった。
南門にも後衛が集う。
そうだ、お前たちが出るんだよ、とルシアンが小さく笑む。
西門は完全に押し返している。あちらは士気も上がっている。
もう手出しは不要だろう。
だが。
(おや、参ったね――)
ふと、ルシアンの感知に引っかかったものがあった。
魔獣の群れに埋もれていて、……気付くのが遅れた。
それは魔獣ではない。兵士でも冒険者でもない。
南東の岩場地帯、あれは恐らく人間。
封鎖に間に合わなかったか、そもそも封鎖に気づかなかったか。
小さい子どものようだった。たった一人だけ。
(――さすがにあれを見捨てるのは、夢見が悪い)
何より、"子どもを無視した"は、ガルドに怒られてしまいそうで。
小鳥を二羽。――これもそろそろ終わりにしとこうか。
一羽は軍政指揮官へ。
"南東岩場に住民あり。気づいているか"
もう一羽はあの子のもとへ。サイレント・ダヴに、防御魔法を付与させる。
"大人が迎えに来るまで、そのまま隠れておいで――"
「……ガルド、早く終わらせてくれないかなぁ」
ぼやいた言葉は誰にも届かず、けれど確かな信頼の滲む甘えだった。
軍政指揮官のもとへと舞い降りた、一羽の小鳥。
「南東……岩場に住民、だと……?」
副官が即座に地図を見下ろす。
そこは、本来ならもうすでに封鎖されているはずの領域。
だが、先の混乱に紛れて監視が遅れたか、確認が不十分だったか。
「すぐに救援を――!」
指揮官の声が飛ぶとほぼ同時に、近くに待機していた弓兵が駆け出していた。
背中に索具と滑車を担ぎ、機動重視の装備。万一の岩場の登攀を想定して、あらかじめ配備されていた数少ない隊のひとつだった。
南門を滑り出していく、複数のその影。
防壁の上からそれを見て、ルシアンが目を細めた。
(ああ、良かった。……ガルドに怒られないで済む)
もう片方の小鳥は、静かに南東へと進んでいた。魔獣の気配を慎重に避け、弧を描くように地を滑空する。
やがて、小さな陰のそばに舞い降りた。
岩の窪みに、怯えきった子どもがひとり。
手も足も泥まみれで、顔には涙の跡。
だが、その目前にふわりと光る小鳥が現れたことで、その表情に驚きと……わずかな安堵が浮かぶ。
空中に浮かぶ魔力の文字。
――動かないで。ここにいて。大人が迎えに来るよ――
その子が、こくり、と首を縦に振るのを見届け、小鳥はふわりとその子の頭上で防御膜を張り、見守るように羽をたたんだ。
――【放蕩者で、結構です】




