【絶対の壁】
各門に轟く、魔獣の息遣い。
それとほぼ同時に、冒険者ギルド前の広場、軍政指揮官の陣幕へとその鳥が舞い降りた。
ふわりと消えたその鳥は――魔力の文字となって空中にゆらりと浮かび上がる。動揺を走らせつつも、迅速にその文字を、副官が読み上げた。
「みっ、南門、接敵!西門、二分遅れッ……ひ、東門、六分遅れにて到達……!」
魔術の小鳥に、半ば驚いたような表情をしていた軍政指揮官が……小さく目を細め、頷いた。
――誰の仕業かは、わからない。だが、戦況を読む者がここにいる。今はそれが誰でも構わない。
確実なのは、今は間違いなくこちらの陣営にあるということ。
大気の震えに目をやる。……スタンビート――これは単純な獣の群れではない。
なんらかの異常に狂わされ、暴走状態に陥った魔獣たち。理性も方向も見失い、ただ突き進む。
「……市民に動揺を伝えるな」
軍政指揮官の言葉が、重く幕の中に漂った。
皮肉なほどに、晴れた晴天の下。
無哭が剣をひと振りすれば、
――魔獣が、虫けらのように飛び散った。
その拳は硬い甲殻を破り、
易々と、肉と骨に達する。
巨躯を乗せたひと踏みで、
まるで花瓶のように、獣の頭蓋が割れた。
魔獣に後ろを取られた者がいれば、さらにその後ろから重い斬撃が飛ぶ。
圧に押され地面に伏せる者を、乱暴に引き起こして放り投げる。そのたびに短く低い声が地を這う。
「邪魔だ」
「どけ」
「くそが」
「止まるな」
元々援護など期待していない。だが、この練度の低さはあまりにも。
その苛立ちは、隠すどころか増す一方だった。
――南門の前線が、ある種の恐怖に満ちていく。
そして次第にそれが、防衛軍の兵士を中心に伝播していった。
「な、なんなんだ、人間じゃねぇ……」
「巻き込まれる、こ、零れた奴を狙え!」
戦慄する兵士や冒険者たちが、一人、また一人とそのそばを離れていく。
赤い瞳はただただ前を見据え、雑音など耳にも入らない。
そうだ、それでいい、誰もいらない、全員邪魔だ。
その戦いぶりは、戦鬼であった。
唯一その心を読むように、ルシアンの防御魔法がまた飛んできた。
わかっている、見ているよ、そんな気配がガルドの肌を這う。
(腑抜けばかりだね、ガルド)
ルシアンは、攻撃魔法を使わない。
あんなにたくさん戦士がいるのだ、いちいち手を煩わせるな。
またもルシアンの思考が感知の波に沈む。
(……おや)
銀の瞳が、撫でるように流れる。
サイレント・ダヴ――愛らしい小鳥が、またひとつ生まれた。
(西門、崩れそうだ)
……教えはする。
だがまぁ、それ以上は知ったことではなかった。
西門――。
繰り返される有象無象の波と防衛の中、すでに瓦解の予兆は始まっていた。
森の縁から現れた魔獣の中に、群れを率いるかのような個体がいた。統率ではない。ただの脅威度の違いだが……魔獣群がそれに続く。外皮が鉱石のように硬質で、それ自体が斜面を踏み砕いて、進む。
西門の冒険者たちは、それに気づくのが遅れた。
「デカいの来てるぞ!!」
「前線、退避!……おい、退けって!」
「誰か報告に……いや援軍を……!」
西の空がざわめく中、冒険者ギルド前、広場。軍政指揮官の肩先に、またもその小鳥が降り立つ。
空中に魔力の文字。副官が即座に叫ぶ。
「西門、隊列崩壊の兆候あり!指揮官、再配置を!」
「――弓部隊、南から回せ。防壁を越えさせるな。歩兵は広場に一段下がらせ、後衛を保護しろ!」
軍政指揮官の声が鋭く飛ぶ。もうあの小鳥を疑う余地などない。即応だった。
「この状況を見て、なお戦う者にこそ支援を」
執政官がぽつりと呟いたが、それに答える者はいなかった。
南門――。
斬撃。斬撃。圧倒的な斬撃。
ガルドの武器は大剣であって、大剣ではない。
もはやそれは、剛力を乗せた鉄塊であり、斬るというより砕くものだった。
「――背中見せんな」
吐き捨てるような一言。特定の誰かに向けたものではなく、周囲にいるすべての、腰を抜かした兵士や冒険者たちへの最低限の忠告。
ひとつ、またひとつと、魔獣の骨が砕ける音が響く。
(見てやがるな……)
思わず奥歯を噛みしめる。魔獣ではない。周囲の兵でも冒険者でもない。ただいつもの慣れ親しんだ眼差しを、ずっと背中に感じている。
どんな顔をしているのか。だがまぁどうせ笑っている。防壁の上に見えたその姿が、脳裏に焼き付いて離れない。
「……せめて、見る価値でもあれよ」
言葉にはせず、口元でぼやく。
当然返答などない。だがもはやそれだけが――ここで暴れる理由であった。
――"無哭"。
誰もがその名を、噂でしか知らなかった。ただの符丁だと思っていた。
だが今、戦場の最前線にいるその男が、全てを証明している。
彼の剣がある限り、魔獣は越えられない。
防壁よりも堅い"壁"が、そこにあった。
――【絶対の壁】




