【看板ガルド】
そこからさらに二日ほど。
ルシアンらは次の街にたどり着いていた。
街道の途中にある都市、セレス。大きくはないが、あらゆる機能が整った街。
街門を抜けて街の通りを歩く頃には、日はすっかり傾いて、石畳の通りに夕陽が赤く差していた。久々の営みの気配に、ほんの少しふたりの肩が緩む。
ざわめきの中、ルシアンが横合いのガルドをわずかに見上げた。
「ガルドは、この街に来たことはあるんだよね?」
「ああ……まぁ、」
「だったら、私は宿屋を取ってくるから、君は夕飯を食べるお店を探してくれるかい」
街の中を柔らかく風が通り、淡紫の髪が夕陽で橙に染まる。それすら見ないふりをして、ガルドは短く返事を返した。
「いいが……文句言うなよ」
「言わないよ。お肉でもお魚でもお酒でも。またここで待ち合わせしよう」
小さな広場の、その足元を示してルシアンが微笑む。ふん、と小さく鼻を鳴らし、ガルドも踵を返して街中へと歩き出した。
同じく別の通りへと肩を向けたルシアンも、また歩き去っていく。それを、目の端だけで確認して。
――ふむ、とガルドが小さくため息をついた。飯、飯な、と。
屋台で食べてもよかったが、歩きの道程で何日も野営が続いた。どこかの店でゆっくり座りたい。柄の悪い店は――避けておくか。
街の空気の中、鼻をくん、と鳴らす。
ガルドは、獣並みの感性を持っていた。それは戦闘における危機察知や直感だけでなく、音、光からの情報、果ては食べ物の匂いにも適用される。
要は、美味いものを嗅ぎ分けるのが得意だった。
通りを歩く人々の間を縫いながら、街路の匂いに意識を澄ませる。
乾いたパンの焼ける香ばしい香り。染みついた油の匂い。酒場の開いた扉から漂う蒸気と酢のような刺激臭。
――全部、悪くない。だが、気を引くものはない。
「……ん」
風が一筋、鼻先を掠める。それは、焼き物でも煮込みでもない。
炭火の焦げと、香草と、肉の脂が混ざった……上質な香り。
首を巡らせる。通りの奥、灯りのまだ少ない脇道に、ぽつりと一軒の店があった。
扉は開いているが、客の気配は少ない。どちらかといえば常連向け。だが、内装に無駄な派手さはなく、使い込まれた木の看板には手間の跡がある。
「……あそこだな」
扉の横に控えた若い店員が、少し驚いたようにこちらを見る。
でかい男が無言で現れれば無理もない。だが、ガルドは無造作に声をかけた。
「二人だ。……この後、一人来る」
一瞬だけ不安げに目を泳がせた店員が、奥を振り返り、すぐに笑顔を戻す。
「はい、お好きなお席へどうぞ!」
木のテーブルと椅子が並ぶ落ち着いた店内。入り口近くの席を避け、奥まった壁際の席を選ぶ。
ガルドは一度、そこに座りかけて――思い直した。
「……ちげぇ、待ち合わせか」
言ってから、慣れない響きに眉をしかめる。再び緩慢と立ち上がり、足を返す。選んだその店を背にして、夕暮れの街へと戻っていく。
夕方の街の喧騒は、うるさかったが、悪くはなかった。きっとあの小さな広場では、橙の陽が、石畳を赤く照らしている。
――あいつは戻ってきてるだろうかと……、そんなことを考えるのは、きっと"護衛だから"だった。
ガルドが広場に立てば、ちょうど通りの向こうからルシアンも戻ってくるところだった。
髪にかかる夕陽の残光。すぐにこちらに気づいたのか、柔らかな外套の裾をはためかせ、歩み寄ってくる。
「お待たせガルド、お店あった?」
「ああ」
その微笑に、ガルドはわずかに視線を逸らした。――そんな、親しそうな笑みを向けられる筋合いが、ない。
「……炭火と酒だ。文句ねぇな」
「いいね」
言いながら歩き出す。すでに、歩幅は自然とルシアンに合わせていた。
ガルドに案内され、ルシアンが店に入る。客はぽつぽつと。冒険者風もいれば、地元の夫婦らしき客もいる。賑やかだが、騒がしくはない。
店の奥の店主と目が合えば、軽く返される会釈。無愛想な顔をしていたが、それがかえって信用できる。
「いらっしゃいませ……えっと」
先ほどの店員が、戻ってきたガルドと、その前にいるルシアンを見てやや固まる。気まずそうに一言。
「も、申し訳ありませんが、当店、貴族様のお口に合うかどうか……」
消え入りそうなその声に、ルシアンが柔和に微笑んだ。
「おや、貴族だなんてよしてください。私は一介の冒険者です。ほら、仲間もおります」
つい、と後ろのガルドを手のひらで示しながら、小首を傾げる。またか……とガルドが、ぐ、と顎を引いた。
店員はというと、ルシアンの微笑みに肩の力が抜けたのか、すみません、と謝って空席を示した。
奥の壁際、窓のそばの席に案内される。視界に通りが映る、静かで落ち着いた席だった。
「本日のおすすめは、鹿肉の炭焼きと、串盛り三種になっております」
店員にそう言われ、ルシアンがガルドを見やる。
好きにしろ、という赤い瞳。思わず、微笑む。
「では、そちらのおすすめを。果実酒を一つ。それと、焦がしガーリックの――」
メニューを見ながら、ルシアンがさらさらと注文をしていく。まるで、何年か通っているような振る舞い。
ガルドも追加で二、三品注文し、手元の水を飲む。相も変わらず目の前の魔術師は、意図せず視線を集めていた。
視線。息を呑む音。手が止まる音。そのすべてが、ルシアンの存在に惹きつけられていた。
――だが、本人はそれに気づいても気に留めない。
ましてや、見せびらかすような素振りは一切ない。ただ、笑っているだけ。あくまで自然に、あたたかく。
ガルドはもう一口、手元の水を飲み、赤い瞳を軽く伏せた。
街で、ギルドで、宿で、食堂で。どこに行ってもこの男は、風のように注目を集めてしまう。
少々の違和感をおぼえた。彼が視線を集めることにではない。
視線を集めるその男が、自分のそばで、静かにこうしていることに。
「……さっきの、ずっとやんのか」
「うん?」
ぼそりと呟く。返ってくる銀の瞳は、きょとんとでも言いたげだった。
「いちいち俺を……看板みてぇに」
ああやって、毎回"仲間がいます"と紹介されるのか、と。
そのたびに、何を言われるでもないのに、胸の奥がざわつく。"紹介される"ことに慣れていないのは、自分の方だ。
「ううん、必要がなければ言わないんだけれどね」
「……こりゃしばらく使われるな」
呟きとともに、ふっと吐き出された息は、どこか、火照りを抑えるような仕草にも見えた。
――【看板ガルド】




