【逃亡は、失敗につき】
市場通りの露店は、まだ朝の準備の最中だったが、常連客らしき者がちらほらと買い物を始めていた。
魚を並べる桶の水音、干し肉を切り分ける包丁の音、荷台を押す車輪の軋み。
その中を、ルシアンとガルドはゆるりと歩いていた。
香辛料の小瓶をいくつか。保存の効く干し果実とパン。まとめて買えば、店主が色を付けてくれた。合わせて袋に収めてもらう。
小さな露店の朝食屋、足を止めたガルドが、"いつも通り"ルシアンへ視線をやる。
「これ食ってみるか」
「うん、いい匂いだね」
ルシアンの返事に頷いて、ガルドが炒った玉子を挟んだパンを指差せば、店主が笑って包みを差し出し、銀貨と引き換えにガルドへ手渡す。
「今日もいい天気ですね!お客さん方もよい一日を!」
――にこり、と。
ルシアンが柔和な笑みで以て返す。パンを口へ運びながら、ガルドの視線が通りを巡る。
近くのベンチに腰掛け、買ったものにふたりで目を通す。ふりをして。
「……西門から出る。東はギルドが近い。南はでかい」
「うん」
パンを三口ほどで平らげながら、ガルドが低く告げる。
この街を抜けるには、どこかで検問を通らなければならない。ならば、少しでも兵の数が少なく、監視の緩い道を選ぶ。
くしゃ、とパンの包みを手のひらで丸めれば、ルシアンは半分を食べ終えたところだった。
「……ガルドって早食いだよね」
「……口がデケェんだ俺は」
軽口の応酬も、"いつも通り"。そうして昼までに、街を出る。目線だけで、そう合図をした。
荷物を取りに一度宿へと戻れば、宿の主人が外にある井戸の前で水汲みをしていた。
街から戻ってきたルシアンとガルドを見て、にこりと笑みを向けてくる。
「これはおはようございます!街の散策を?」
「ええ。この街は物資も豊富で、旅の荷物が多くなってしまいますね」
涼やかな笑みでルシアンが答えれば、店主もひとつ頷いてみせた。
「安全な街だってんで、行商人も多いですからな。五日後には夏の市も開かれますよ」
「ほう、それはいいですね」
「……部屋に行ってるぞ」
するり、とルシアンの横を、ガルドが通り過ぎていく。ルシアンも視線だけでそれに返し、水汲みをしている宿の主人に、ゆるりと振り返った。――急げば、慌てる。慌てれば、目につく。
「夏の市、ぜひ見てみたかったものですね」
「おや、ご出立されるので?」
「ええ、そういう旅ですので」
柔らかく微笑む銀の瞳に、主人が名残惜しげに肩をすくめた。その足元の下草が、ちり、とわずかに揺れる。ルシアンはちらりとだけそれに目をやり、ついで宿の主人の方を向いて、「では」、と宿の中へと引っ込んでいった。
荷をまとめ、大剣を背負い、外套を羽織る。肩の荷帯を確認し、ガルドは自室の窓から外を眺めた。
兵士たちは巡回のルートを辿っており、街は規律正しく回っている。
焦りはない。異様なほどに、頭は落ち着いていた。隣の部屋で、カタン、と椅子を正すような音がする。
やがてその気配が廊下を伝い、ガルドの部屋の扉を三度叩いた。
「……開いてる」
低い返事に、扉が開く。銀の瞳がにこりと微笑み、
「お待たせ、行こうか」
そう、手を招いた。
宿を出る。足取りは緩やかに。まるで初めから、一泊だけの旅程だったように。
食事の話などをしてみる。露店で見た交易品の話も。
合わせるように、ガルドも二、三言返してくる。穏やかな旅の一幕。邪魔は、いらない。
やがて西門が見えてきたが、――どうやら、一歩だけ……遅かった。
兵士が十人以上いる。街の外の人間を、次々と街門の中へ呼び込んでいる。
旅立ちのため、街を出ようとしている冒険者や輸送隊、商人も、そこで足止めを食らっている。
兵士の怒号と輸送隊の言い合い。一触即発だった。
それでもルシアンとガルドは歩みを止めない。
西門へと赴き、慌てる兵士に声をかけた。
「街の外へ出たいのですが」
「な、ダメだ!城外の者は全員中へ!冒険者は街の外へ出られん!」
ガルドが小さく舌打ちをする。ルシアンは、柔和な笑みを崩さぬまま。
互いに目を合わせる。――遅かった。言葉にせずとも、それが伝わる。
「冒険者は全員ギルド前広場へ!さぁ行け!」
その号令に、周りにいた冒険者たちも、渋々といった形で踵を返す。
同じように進路を変えつつ、やっとガルドが口を開いた。
「……で、なんだってんだ」
「うん、……スタンビートだよ」
囁くようなルシアンの声は、ガルドだけに届いた。
「……そりゃ面倒だ」
低く、短く、吐き捨てるようにガルドが言った。そのまま無言で歩を進める。
ルシアンの髪を風が揺らすたび、柔らかな香油の香りが漂った。
――【逃亡は、失敗につき】




