【行動、開始】
ルシアンが選んだ宿は、看板に冒険者ギルドの印章が入っていた。慣れない街では、これが一定の指標である。
部屋を二つ取り、荷物を置き、廊下で落ち合う。
「街を散策しに行こう」
いつも通りの提案に、ガルドもわずかに肩を下げた。ひとつ頷く。
「……西の通りに、露店が多い」
「うん、いいね。じゃあそっちかな」
時刻は、昼を過ぎていて、けれども夕飯にはまだ早い。そろって宿の玄関を出て、通りを歩く。
午後の日差しが、整然と並ぶ建物の壁を白く照らしていた。
クレストンの商業区は、軍都とは思えぬほど活気に満ちている。
とはいえ、そこかしこに武具店があり、露店にも軍用品が混じっているのが、この街の特色かもしれなかった。
道の両側に並ぶ鮮やかな布地、香辛料、薬種店、革工房。鉄製の装具を売る店先では、訓練帰りの兵士らが品を手に取り、じっくりと眺めている。
ルシアンもその波に紛れ、やがて布地を扱う店先で視線を止め、――ふと横顔を緩めた。
「……外套の新調か?」
ガルドが隣に並び、ぼそりと問う。仕立ても行っているその店先には、軍用の黒布の隣に、珍しく淡い青緑や薄藤の反物が並んでいた。
「というわけじゃないけれど……色が好みだったかな」
「……まぁ、好きそうだな、お前」
まじまじと見つめながら、ガルドが続ける。
通り過ぎる者がちらとルシアンを見て、その服装に同じ色味を見出したのか、目線を落としていった。
「買うのか」
「ふふ、買わないよ。今あるので十分だからね」
ルシアンの指先が、肩から緩く落ちる外套をつまんだ。その動きにつられてガルドも視線を落として、すぐに目を逸らす。
「……、……飯、屋台でもいいかもな」
「うん、それもいいね」
目を合わせるでもなく、頷き合う。ガルドがそのまま自然に立ち位置をずらし、人混みの中でも視界を確保するように歩を合わせた。
露店巡りを終え、夕食は屋台で買ったものを、その場で楽しんだ。肉ひとつ、飲み物ひとつとっても様々な種類がある。
常にあちらこちらに兵士の目が光っていることを除けば、思っていたよりも楽しめそうな街ではあった。
この日は旅の疲れもあり、ふたりとも早い時間にそれぞれの部屋へ戻ることに。
目的も、依頼もない。少し、ゆったりとした街滞在になりそうだった。
「明日、冒険者ギルドを覗きに行こうね、ガルド」
「……ああ」
「おやすみ」
隣室の扉に手をかけたガルドにそう言って、ルシアンが自室に引っ込んでいく。
扉が閉まる音を確かめ、――ガルドも自室へ踏み入れる。
肩と首をごきりと鳴らし、装備品を外していく。外套は椅子に。大剣は壁に。窓から外を眺めれば、夜の中、白い街路灯が街を照らしていた。
「……明日、な」
当然のような明日の約束がむず痒い。共にギルドへ行き、少しざわつかれて、依頼掲示板を覗いて――。
気に入った依頼があればどこかへ出かけて、またここへ帰ってくる。当たり前のように"隣"に据え置かれている。
(……やれやれ……)
わずかに、口角が緩んだ。
――朝。
ルシアンはいつものように、日の出前に目が覚めた。
街が目覚める前の早朝の散歩は、街に滞在している時の楽しみのひとつだった。
手際よく身なりを整え、部屋を出る。いつものように隣室の前に行き、……ノックはしないと決めている。
「ガルド、散歩に行ってくるね」
小さく、声をかける。護衛からの返事は必要ない。声をかけた、という建前が必要なだけだった。
たまにこの護衛が起きていたりすると、眠たげな顔で渋々ついてくるのだが、この日はガルドがついてくることはなかった。――恐らく、まだ眠っている。
朝の街はしんと静まり返っていて、時折見回りの兵士とすれ違うだけだった。兵も一瞬、何事かとルシアンに目を向けるも、にこりと柔和な笑顔を向けられ、
「おはようございます。朝からお疲れさまです」
と声をかけられれば、少々毒気が抜かれたように咳払いをして、目礼をひとつ落とし、通り過ぎていく。
むやみやたらと人を疑うような組織ではなさそうで、ルシアンの肩がほんの少し緩んだ。
――ふと。
広場の地面、かすかに砂塵が浮いていた。
風は吹いていない。おや、とルシアンが足を止める。
そのまま広場にあるベンチに腰掛け、――しんと静まり返る空を見上げた。
朝の空気は澄んでいる。だが、どこか……鋭くすら感じられる。
「…………」
そうっと、目を閉じる。
誰にも気づかれぬよう、まるでベンチでうたた寝をするように、薄く、薄く――感知魔法を張る。
街中、城壁、周辺の森、山々、はるか遠くまで。
普通の魔術師であれば、あり得ない範囲の感知。だがルシアンにはそれができた。
だからこそ、"わかった"。
「……スタンビートだね」
優雅に微笑む口から、そんな言葉が滑り落ちる。
有象無象の溺れるような気配。朝の静かな広場。ぐらぐらと遠くで沸き立つ魔力の歪み。
零れたこの言葉を聞いている者はいない。ゆえに決断は早い。
面倒ごとに巻き込まれるつもりはない。この街は去るべきだ、と。
さらり、と外套を揺らしながら立ち上がる。淡紫が朝陽に揺れる。
遠くから歩いてきた兵は、見回りのルートを守っている。目が合い、にこりと会釈をした。
「おはようございます。朝からお疲れさまです」
そうして、穏やかな足取りで歩き出す。来た時と同じように。慌てれば怪しまれる。
いつも通りに朝食をとり、露店に出かけるふりをして、ふと、まるで何かを思い出したかのように去ればいい。
まずは宿屋へ戻る。護衛に伝えるのだ。街を出ようと、ただその一言だけを。
宿屋の部屋では、陽の光が窓から差し込んでいた。
眠っていたガルドがわずかにまぶたを開け……、かすかに眉を寄せる。
(……、なんだ……)
……静かすぎる。
ぎしり、と身体を起こし、窓の外を一瞥。いつもの朝と、何かが違う。
「……ん、いねぇのか……」
隣室の気配が感じられず、そうぼやく。また"散歩"とやらか、と頭をかいた。
舌打ち混じりに乱れた黒髪をかき上げ、身支度を整え始める。あくびをかみ殺せば、一段意識が覚めた気がした。
廊下に足を踏み出すと、ちょうどルシアンが階下からの階段を上がってくるところだった。
目が合い、にこり、の挨拶がくる。ガルドも片眉を以てして返事をすれば、すぐ隣でルシアンが立ち止まった。
「街を出よう」
ルシアンからの言葉は、囁くように、ただそれだけ。目線は柔らかく、口調もいつも通り。……だがガルドには、十分すぎるほどだった。
この街での物見遊山を捨て、ここを去る。それだけの何かが、これから起こるのだ。
「物資の補給と、朝食。それが終わったら、ね、ガルド」
「……物資。買いそろえるのに、半刻はかかる」
「急がなくていい。"いつも通り"に」
「…………」
――そうか、ならば。
ガルドの眼差しが、スッと引いて、"落ち着いた"。無言で視線を絡め、歩き出す。宿を出て、市場通りへ。
商人の多い街だ、早朝からやっている店もある。物資の補給も、慌てずに済ませられる。
……何がある、と、ガルドは聞かない。それは後からで構わないし、何よりこの男の判断を、疑う必要がない。
街を出る必要がある、それだけがわかればいい。
「ギルドもいらねぇか」
「うん、そうだね」
いつも通りの、のんびりとした会話だったが――ふたりにしか通じない、かすかな張りつめがあった。
――【行動、開始】




