【軍都クレストン】
馬匹宿を、発って。
ルシアンとガルドは、また徒歩の旅に戻っていた。
馬での旅は確かに快適ではあったが、ルシアンはやはり足で歩く方が好みに合っていた。
近辺の地理が載っている地図を眺めながら、ルシアンが小さく首を傾ぐ。
「クレストン……あと四日くらいかい?」
「……ああ」
「ガルドは、行ったことは?」
ぱさ、と地図を畳みながら、歩き続ける。目線は肩越しに、後ろを歩く護衛の男を見ていた。
その眼差しを受けて、ガルドも視線を周囲に巡らせる。
「……まぁ、昔にゃあるが……行っても、ギルド寄って、それだけだ」
――それは、なにもクレストンに限った話ではなかった。
街の飯を食って、宿屋に長く滞在をしたり、露店の通りを流したり……。そういったことは、ルシアンと旅をするようになってから身についた習慣だ。
「街並みはごちゃごちゃしてた。……軍も常駐してたな。観光向けじゃねぇ」
「国防軍か……軍都かい?」
ぽろりとルシアンの口から零れた単語に……思わずガルドが目をやった。
軍といえば、それは確かに国防軍の事である。国の直下の組織で魔獣の侵攻や災害などから街や民を守る象徴。その一角がある街、軍都クレストン。
――だが、どこか冷たく重たいその言葉は、ルシアンの柔らかな口調とこの旅に、あまりに似合わなさ過ぎた。
ああ、と小さく答える声に、地面の小石を蹴り飛ばす音が混じる。
「……いやに、整ってた。規律がどうたらって街だ。……だから、今みてぇな旅には向いてねぇかもな」
そう言って、ちらとルシアンの背を見る。淡い背中は、それでも街道を進んでいく。
「……お前が見りゃ、なんかしら"綺麗"が見つかりそうだな」
ぼそりと、呟くように付け加えたあと、ガルドは無言で歩調を合わせた。わずかに振り返った後ろ姿が、柔らかな笑みを伴って風に乗った。
のんびりと歩き続け、時折足を止めて景色を望み、また街道に戻る。魔獣を狩り、植生を眺め、また歩を進める。
途中で強い雨に降られ、道脇の木の下で雨宿りをする。
通りがかった馬車の厚意に甘え、そこに便乗などもさせてもらった。
陽が落ち、また昇り、歩き始める。――そんな日常もまた、旅の醍醐味であった。
「天気よさそうだね」
「んん」
そんな言葉を交わしながら、ふたりは三度目の野営の撤収作業をしていた。
途中で馬車に乗せてもらえたこともあり、当初の予定よりもやや旅程が短くなりそうだ。毛布をくるくると巻き、焚き火の跡を始末する。
荷物を足元にまとめたガルドが、無表情のままに近づいてきて――ルシアンの胸元ですん、と鼻を鳴らす。いつの間にか、すっかりと日常の習慣とされている、その行為。
その意図はよくわかっていないが、健康管理でもされているのだろうか、とルシアンは思う。
「……何度嗅いでも同じ匂いだと思うけどね?」
嗅がれるがままに、ルシアンが可笑しそうに笑う。使っている香油も清拭の薬草水も、何一つ変えてない。
ガルドも鼻を鳴らしたまま、じろりと銀の瞳を見返した。
「……ああ」
ぼそりと返し、だが視線は離さない。肩越しに朝の陽光が差し込み、淡紫の髪がわずかに揺れていた。
「……だからだ」
「ふうん……?」
言いながらガルドは、背を伸ばしてからほんの少し距離をあけて、すん、と鼻先に指をやった。ルシアンのその胸元、布越しに感じる木と花の落ち着いた香りは――すっかりこの身体に馴染んでしまった。
「お前の……いや……」
「うん?」
「……いや、わりぃ、もうしねぇ」
「何もやめろと言ったわけではないけれど……」
なおも首を傾ぐルシアンに、ガルドもわずかに言葉を呑み込むように黙る。どこか笑みの名残が残るその表情が、……どうにも目を逸らさせた。
「……そっかよ」
「何かの確認だろう?」
「……、……まぁ……なら逃げんな、よ」
苦し紛れにそう返したものの、初めから逃げたり拒絶されたりといったことがなかったことも、ガルドはわかっていた。きっとルシアンの中で、"必要なことらしい"という区分にでも入っているのだろうと思う。
――はぁ、とひとつため息をつきながら、旅の荷物を肩に担ぐ。
「クレストン、今日中に着く」
「うん、わかった」
背を追ってくる軽い足音に、ガルドは舌打ちを鳴らして、やれやれといったふうを装った。
軍都クレストン。
この街は、国の中央軍が直轄する都市であった。
近隣に魔獣が多いこともあり、クレストンの常駐防衛隊が街を守り、常に百名規模の兵士を抱えている。
加えて有事の際には冒険者ギルドと連携をして、冒険者を外部戦力として招集可能な条例もあり――この街の防衛は強固なものとなっていた。
だがしかし、冒険者ギルドとの関係性は対等かつ緊張状態。
実質的に街の治安の一翼を担っている冒険者ギルドは、街を取りまとめる執政官からの依頼も多かったが……それがギルド側からしてみれば、"民兵扱い"の鬱憤が溜まる要因にもなっていた。
とはいえ、より住民と近いのは間違いなく冒険者ギルド。
有事の際に防衛軍に手を貸すのは、たとえ条例がなくとも、住民を守るためには致し方なし、という風潮もあった。
そんなクレストンの街門は、東、西、南に計三か所。
ルシアンたちがたどり着いたのは、南門だった。
検問所には五人ほどの兵と監視塔があり、旅人、商人、輸送隊、すべての目的と身分、持ち物をチェックしている。
書類不備やランク不明、怪しい言動が見られれば別室送りに。
一見厳重に見えるこの検問も、国の中央軍が直轄する街ならではだった。
「まるで警戒態勢だね」
「……いつもこんなだ」
検問待ちの列に並び、ルシアンとガルドがそんな立ち話をする。
やがて順番が回ってきて、ルシアンを前にした門兵が警戒したような顔を見せた。
「……身分証を」
「はい」
柔和ににこりと笑い、ルシアンがギルドカードを差し出す。隣ではガルドも同じように、別の門兵にカードを提示していた。
また別の兵士がふたりの荷物を検め、身分証、顔、身なり、言動を観察される。
「……"無哭"か……?」
隣でガルドの検問をしていた兵士がぼそりと呟き、ガルドに軽く睨まれていた。さっと荷を返され、通される。
「問題ない。よい滞在を」
――門を抜けた途端、景色が変わった。
石畳は隅々まで整備され、建物の配置にも無駄がない。軍都の名に違わぬ、整然とした街並みが広がっていた。
無駄口を叩く者もなく、騒がしさのない街の音。通りを行く者の多くは、武具を携え、鋭い目つきをしている。
住民でさえ背筋の伸びた者が多く、どこか空気が張りつめていた。
街に着いてすぐ、ふたりは冒険者ギルドへと向かった。道中で魔獣を狩った際に出た素材を売って、荷物を軽くするためだ。
「すぐだ、待ってろ」
「うん」
ガルドが一人でギルドの建物へ入っていき、ルシアンはその間、ギルド前の広場で少々の休憩。ついでに街並みも少し眺める。
「……なぜ貴族が……?」
通りがかった兵が目を留めたのは、そんなルシアンの姿だった。ルシアンを知っていて話しかけられたわけではない。ただその立ち姿に、ぼそりと疑問が零れてしまっただけのようだった。
ローブの裾、手入れの行き届いた旅装、静かにそこにあるだけの姿。
芸のないいつもの視線にルシアンも気に留めることもなく――そのうちギルドの大扉を押し開けて出てきたガルドが、当然のように隣に並び立つ。
それがあの"無哭"であると気づいた瞬間、兵は何かを言いかけて喉奥で止めた。
「宿をとりに行こうか」
「ああ」
揃って歩き出せば、二つの外套が揺れる。歩幅は違えど、歩みは同じだった。
ガルドも周囲に一切の目もくれず、ただ歩く。ルシアンがそうしていたからだ。
誰一人として声はかけない。どこか異質なものを見たように、ただ見送るだけだった。
――【軍都クレストン】




