【星見の宿の夜】
――夕食は、護衛の部屋で。
ルシアンが女将にそう伝えると、ほんの一瞬目を丸くしながら、女将はにこりと頷いた。
ガルドの部屋に、すぐに食事が手配される。山菜や、川魚、山の獣をつかった山間の料理が、部屋のテーブルに並ぶ。
「ごゆっくり」
ぺこ、と過不足なく一礼をし、女将が部屋をあとにする。向かい合わせに卓に着き、地酒の入った杯を合わせた。――カン、と乾杯の音が鳴る。
食事はどれも、沁みる味だった。食材は新鮮、種類も様々、それでいて彩りもいい。普段小食で、でもたくさんの種類を食べたいルシアンには、ぴったりだったようだ。
一口食べ、一口飲み、ガルドを向いて"美味しいね"、の顔をする。……ったく、と思いつつも、ガルドもどこか楽しんでしまっていた。
「これ食べたらグリモのとこ行く?回復魔法かけてあげなきゃ」
こく、とまた一口地酒を含み、ルシアンが頬を緩める。
「ああ……行くか」
低く応じながらも、ガルドは目の前の皿をひとつ、ルシアンの方へ押しやった。
鹿肉の炭火焼。香ばしく、だが塩気は控えめで、淡い風味の酒に合っている。
クセもない。柔らかく、食べやすい。少しばかり脂が乗っていて、ルシアンの口にも合うはずだ。
「お前、これ好きそうだ」
「ん、うん」
「つか……飲みすぎんなよ」
「ふふ、うん」
目の前の男は、湯上がりだからか、ほんのり赤い頬。その上に、少し酔いもまわってきている。
咳払いで視線をそらしながら、自分の杯にもう一度酒を注ぐ。
「足もつれても抱えねぇぞ」
「ええ……?」
ぽつりと、こぼすように言ったその言葉に、帰ってきたのが半笑いの声で――やはり眉間を揉んだガルドは、酒を呷ってそれきり黙った。
さすがにな、と、ガルドが前開きのシャツのボタンをひとつだけ閉じる。
ルシアンと連れ立って部屋から出て、宿の玄関へ。
帳場で、グリモ用にブラシを借りる。こちらも、と従業員が、りんごをひとつ持たせてくれた。
厩は、玄関から建物を回ってすぐ脇にあった。少々窮屈そうに、木の囲いの厩でグリモが静かに飼い葉を食んでいたが――、ルシアンとガルドに気づいて、顔を上げて小さく鳴いた。
湧き水から引きこまれた水が、水桶を静かに揺らしている。ほろ酔いのルシアンが、機嫌よさそうにグリモの隣に立つ。
「お利口にしてたかい、グリモ。長旅ありがとうね。回復しよう」
柔らかなその手が額、首、馬体を撫でるごとに、淡い光が舞う。長いまつげを伏せたグリモも、手のひらに口先を預けて心地よさそうだった。
ブラシを持ったガルドも、ぽん、とグリモをひと叩きしたのちに、毛並みに沿って硬いブラシを撫でつける。そちらにも顔を向け、ブルル、とひと鳴き。
このふたりにこんな好待遇をうけるのは、恐らく後にも先にも彼だけだ。
宿から預けられたりんごをルシアンが差し出せば、グリモは興味深げに鼻先を近づけてきた。
大きな口が、しゃく、とりんごを丸かじりする。
それを見て、またルシアンが目を細める。
「ふふ、グリモはお口も大きいねぇ」
甘やかすような声は、きっと酔いのせいだった。
わずかに息をつめたガルドが、……肩をすくめた。
安堵のため息が漏れる。"あれが俺に向かなくてよかった"、だ。
「……そのうち噛まれるぞ」
そう言いながらも、グリモの脇腹を撫でるブラシは優しい。じわりと微笑む銀の瞳は――、直視できない。
ざくざくとブラシで毛並みを整えつつ、腹や腿の裏まで丁寧に梳かしていく。
――風が吹いた。
夏といえど、山の夜は冷える。酒の火照りも、そろそろ引いてくる頃だった。
「……戻るか、身体冷える前に」
「うん、わかった」
ブラシはかけた。回復も入った。りんごも食った。グリモもまた静かに藁に口を突っ込み、十分満足しているように見える。
背中を見せて歩き出しながら、ガルドがちら、と振り返る。まだ名残惜しそうに鼻先を撫でていたルシアンが、おやすみ、と小さく笑っていた。
グリモの様子にほっとしつつ、ふたりは宿の中に戻ってきていた。
そのまま、本命の夜の風呂へ向かう。そもそもの目的。星を映して光るという、星見の湯。
「……んな酔ってんのに、風呂入んのか、お前」
ガルドが眉根を寄せて、並び歩くルシアンを見下ろす。きょと、と振り返ったルシアンが、にこりと笑ってみせた。
「風情のないことを言っていいかい?」
「……ああ」
「酒酔いってね、状態異常だから、回復魔法で治るんだよ」
「…………そりゃあ……風情がねぇ便利だな」
おかしそうにするルシアンの隣、こちらもやや笑いかけているガルド。何でもありだな、と思ったが、まぁ言われてみれば確かに、"状態異常"ではあるのかもしれない。
現に二日酔いのルシアンはお目にかかったことがない。そういうことだったのか、と。
考えながらもたどり着いた浴場の扉の前、そうだ、と、ルシアンがガルドを振り返った。
「部屋に戻ったら、もう一杯飲んでもいいかもね」
そう笑い、仕切りの向こうに消えていく雇用主は、なんともにこり、と上機嫌な顔だった。
一拍、ガルドがそこに取り残される。また俺の部屋で飲むってか、とため息が落ちる。
「……勝手にしろ」
届きやしないぼやきを、呆れたように呟いて、……仕切りの別側へと向かう。
隔たりの向こうからは、どこか楽しげな気配が漂ってきていた。
――【星見の宿の夜】




