【護衛、しんどい】
まだ日が暮れる前だったが、折角の温泉。
ふたりは飯の前に、まずは一度湯に入って身体を緩めようということになった。
宿の部屋着を持ち、備え付けられていたタオルも持つ。廊下で落ち合い、浴場へと向かう。
「あとでグリモのこと見に行ってみようか」
すっかり旅の同行者を気に入ったのか、ガルドを見上げてくるルシアンは楽しげだ。短く頷いたガルドも、たかが馬に、などとは思わない。
「……宿に馬のブラシもあんじゃねぇか」
「いいね。あとで借りてかけてあげようか」
旅に連れ合いの馬がいたらこうして可愛がるのだろうか、と――互いに思った。
「じゃあね」
「……ああ」
仕切り付きの湯場は、入り口から脱衣所、露天の風呂に至るまでのまるきりが仕切られていた。
ルシアンからしてみれば、温泉宿に来てまでガルドが気を遣わないように、というところだったのだが――。
――隔てられたガルドのほうは、少々ムッとしていた。
(……いや、まぁ……)
怒っているわけではない。理解もしている。これまでの旅の宿も、時間ごとで順番に入る宿が多かった。
だからもしここで急に同浴だと言われても、それはそれで困る気もする。
だが、ため息は出る。自分でもよくわからなかった。
ルシアンが脱衣所から浴場へ出れば、夕暮れが向こうの山を赤く照らしていた。
木でできた仕切りの向こうで、扉の開閉の音がする。ガルドも浴場へ出てきたようだった。
ざぱ、ぱしゃ、と身体に湯をかける音が空に溶ける。ルシアンも湯を被り、旅の塵を落とす。噂通り魔力が滲んだ湯は、魔術師であるルシアンの身体にひどく馴染んだ。
石造りの湯縁に指先をそっとかけてから、静かに湯に身を沈めていく。肌に絡む湯はかすかに白く揺れ、けれど濁りや香りはない。
そうっと手のひらをかざせば、ようやく気づくかどうかの微弱な回復作用がある気配がする。
湯気が肩口から立ちのぼり、ほのかに額に汗を滲ませていく。
湯の温度は高すぎず、しかし身体の芯からほどけるような熱。肌理の細かい魔力の粒子が、まるで身体の奥まで沁み込むようだった。
「……ふぅ」
仕切りの向こうから、ガルドの息がひとつ。
ざぶ、と背中まで湯に沈めたような音と、石に背を預けたらしい音が続く。
それを聞きながら、ルシアンも湯に手を滑らせた。
鏡面のように整った湯面が、指先の軌跡を残して揺れる。
風が吹き抜け、湯気をそっと撫でる。その合間に、グリモの鳴き声が遠く、ほんの小さく聞こえた。
どこか、安心しきったような鼻先の音だった。
しばらくの間、そうしてゆったりと身体をほぐし、ルシアンは浴場を後にした。
脱衣所で部屋着に着替える。宿の部屋着は夏らしく軽い生地の、前開きの七分丈シャツと緩い下履きだ。
まだ少し汗をかいていたが、生成りのさらさらとした生地は肌にまとわりつくこともなく、心地悪さはない。
タオルで髪を押さえつつ、脱いだ旅装を持つ。そうして廊下へ出ると、すでにガルドが湯場前の長椅子に腰かけていた。
シャツの前は全開で、膝に両肘を預けて屈みこんだような体勢で、髪からポタリと水滴をたらしている。
「…………魔力泉だかってのは……あれだな、熱い……」
ぼそり、とその低い声が呟いて、ルシアンが可笑しそうに頬を緩めた。
「ふふ、そうだね。肌に慣れなかったかな。のぼせたかい?」
柔らかく微笑みながら、足は自然とその面前へゆく。手に持っていたタオルをガルドの頭にかけ、ごし、と軽く頭を拭いてやる。
ルシアン自身、自分より年上で頼りになる冒険者の世話をやこうだとか甘やかそうという気はない。……けれど、アウルグレイで看病をした時の距離がまだ少し残っていた。
ガルドも逃げも拒否もせず、しかし俯いて喋らないまま――黙って拭かれている。……突然のことに処理落ちしていただけかもしれなかった。
「……、……てめぇ恥ずかしくねぇのか……」
「宿の廊下がびしょびしょになってしまうよ」
「そっ……――」
れはそう、――正論である。
ガルドが低く呻き、ことさらに俯いた。こうも当然のように拭かれてしまっては、動けない。
……嘘だ、動けるが動けない。もはや意志である。
「…………」
数日前の俺……見ているか……俺はそろそろ死ぬのかもしれない、とは額を抱えたガルドの迷走である。
馬に相乗りをしてきて、ほぼ抱きかかえた状態で四日。
宿で風呂上がりに頭を拭かれて、そんでまた明日からの帰りも相乗りで四日……抱きかかえて……。
「宿のご飯、なんだろうね」
「……、……さぁな……」
いつの間にかガルドは、もう両手で自分の顔を覆っていた。恥ずかしいのはガルドのほうである。どうしようもない。
だからといって、髪を拭かれるタオルを払いのけるなんてできない。これに関しては甘んじて受け入れたい。他に人がいなくてよかった。
細い指が、濡れた黒髪を軽く持ち上げ、形を整えるようにタオルを動かす。
その仕草が、どうしようもなく――やさしい。
「……てめぇ、ほんと……油断させんの上手ぇよな……」
「うん?……そう……?」
文句のようなガルドの声は小さく、ルシアンの首をわずかに傾げさせただけだった。そのうち満足でもしたのか、タオルをガルドの首元にかけ、別の布で自分の髪も拭きながらひらりと部屋へ戻っていく背中。
残されたガルドはしばしその背を見つめたのち――深く、息を吐いた。
「……参った……」
声は、零れたのかどうかすら怪しかった。やがてガルドもぎしりと長椅子を軋ませて立ち上がり、やや重たそうな足取りで部屋のほうへと歩を進めていった。
先に部屋に戻っていったルシアンに続き、ガルドも自室の扉を開ける。まっすぐに窓に向かい、全開。涼を運んでくる夕暮れの風が、汗ばんだ肌に心地いい。
ルシアンにはあの湯はちょうどよかったのかもしれないが、普段から魔力に触れることが少ないガルドには、まだ少々ほてりが残った。
(……多分"ねぇ"んだろうな)
――魔力が、である。
その辺の赤ん坊にもそれはあるという。けれど己の中に、そういった何かを感じたことがない。そういう体質の者が一定数いるという話も、まぁ聞いたことがある。
とはいえ、魔術師でもなければその魔力の使い道がないというのもまた事実の一つ。ほとんどの人間が、魔力を持ち腐れて生きている。だからガルドも気にしたこともないし、悲観するようなことでもなかった。
軽く羽織っていただけのシャツを脱ぎ、ベッドに放る。窓のそばに椅子を引きずっていき、そこに腰かける。
――ふぅ、と息を吐けば室内は静寂に包まれ……、……隣の部屋で何やら話をしている気配がした。
……ルシアンと……、あの感じは女将か……と、ぼんやりとしながらも夕風を受ける。……そのまま涼んでいると、部屋の扉がノックされた。
「……開いてる」
返事をすれば、顔を覗かせたのはルシアンだ。
「ガルド。夕食、食堂か部屋か選べるって。君、どっちがいい?」
「あ?……んなもん、どっちでも……」
素っ気なく答えながら、……けれどガルドは視線を外へ戻した。窓の外では山影が深くなり、空には早くも一番星が瞬いている。
肩にはまだ汗が残っていたが、ゆっくりと吹き込んでくる涼しい風に、身体の火照りもようやく薄れてくる。
ぼんやりとしていた頭も、だんだんとクリアになってきた。
「……お前は、食堂がいいんじゃねぇのか」
入り口に立つルシアンに、そう問う。ほんの少しの期待もあったが、もう今の時点で"充分"だ。
「私はどっちでも構わないよ。部屋のほうがゆっくりできるし、折角だから部屋にしようか」
は……、とガルドが、戸口へ顔を向けたまま固まる。
当然、部屋で飯を食うということなんて、今に始まったことではないが。
「……、……じゃあ、……部屋な」
まるで自分に言い訳をするようにぼやいて、ガルドがようやく腰を上げた。ベッドに放り投げていたシャツを手に取り、肩に羽織る。
「――じゃあ部屋食でお願いします。……ええ、こちらの部屋で」
扉のそばのルシアンが、廊下の向こうにそう声をかけている。恐らく視線の先に女将がいるのだろうが、そんなこと今はどうでもいい。
さも当然のように、ガルドの部屋をご指定だ。
……ぐり、とガルドが指先で目頭を擦る。――しんどい。
何がしんどいって、何とも絶妙に"期待できそう"なのがしんどい。……これに関しての分析は、実のところ済んでいる。
改めて護衛契約を結んで、期限のない旅の道連れとなり。
この関係性に"バディ"だなんて名前を付けられて、風邪でダウンしたクソださいところを見られ。
加えてこの四日間の道程で物理的な距離がおかしくなっており、恐らくルシアン自身距離感がわからなくなっているのだ。
だから頭を拭かれる。だからこちらの部屋で飯を食うという。きっとそうだ。そうでなくては困る、と。
……ぐり、と指先で目頭を擦っている次第である。
……だからといって、"距離をとれ"と言いたくはないのが自分の欲でもある。
だからもう、ガルドは一切合切を目の前の主に任せることにした。
ルシアンが自ら気づいて慌てて距離をとろうとも、そのまま真横で笑っていようとも――自分が間違えなければいいだけだから。
――【護衛、しんどい】




