【護衛、しんどい】
まだ日が暮れる前だったが、折角の温泉。まずは一度、湯に入って身体を緩めようということになった。
宿の部屋着を持ち、備え付けられていたタオルも持つ。廊下で落ち合い、浴場へと向かう。
「あとで、グリモのこと見に行ってみようか」
すっかり旅の同行者を気に入ったのか、ルシアンが楽しげにガルドを見上げた。それは、ガルドもそうだった。短く、頷く。
厩があるなら、ブラシも置いてありそうだ。後で宿から借りて、かけてやろう。
仕切り付きの湯場は、入り口、脱衣所、露天風呂まで、まるきり仕切られていた。
ルシアンからしてみれば、温泉にまで来て、ガルドが気を遣わないように、というところだったのだが。
隔てられたガルドのほうは、少々ムッとしていた。
――怒っているわけではない。理解もしている。大浴場だとそれはそれで困る気もする。
だが、ため息は出る。自分でもよくわからなかった。
ルシアンが脱衣所から浴場へ出れば、夕暮れが向こうの山を赤く照らしていた。
木でできた仕切りの向こう、扉の開閉の音がする。ガルドも浴場へ出てきたようだった。
ざぱ、ぱしゃ、と身体に湯をかける音。ルシアンも身体を洗う。魔力が滲んだ湯は、ルシアンの身体にひどく馴染んだ。
石造りの湯縁に指先をそっとかけてから、静かに湯に身を沈めていく。肌に絡む湯が――かすかに白く揺れる。匂いなどはない。
手のひらをかざせば、ようやく気づくかどうかの、微弱な回復作用があるようだった。湯気が肩口から立ちのぼり、ほのかに額に汗を滲ませていく。
湯の温度は高すぎず、しかし芯から解けるような熱。肌理の細かい魔力の粒子が、まるで身体の奥まで染み込むよう。
「……ふぅ」
仕切りの向こうで、ガルドの息がひとつ。
ざぶ、と背中まで湯に沈めた音。石に背を預けたらしい音が続く。
それを聞きながら、ルシアンは湯に手を滑らせた。
鏡面のように整った湯面が、指先の軌跡を残して揺れる。
風が吹き抜け、湯気をそっと撫でる。その合間に、グリモの鳴き声が遠く、ほんの小さく聞こえた。
どこか、安心しきったような鼻先の音だった。
しばらくの間、そうしてゆったりと身体をほぐし、ルシアンは浴場を後にした。
脱衣所で、部屋着に着替える。夏らしく軽い生地の、前開きの七分丈シャツ。緩いズボン。
まだ少し汗をかいていたが、部屋着の生地がさらさらとしていて、気持ち悪くはない。
髪を拭きつつ、脱いだ旅装を持つ。
廊下へ出ると、すでにガルドが長椅子に腰かけていた。
シャツの前は全開で、部屋着のズボンを履き、髪からポタリと水滴をたらしている。
「…………魔力泉ってのは……あれだな、熱い……」
ぼそり、とガルドが呟いて、それにルシアンがおかしそうに笑った。
「ふふ、そうだね。肌に慣れなかったかな。のぼせたかい?」
そう微笑みながら、手に持っていたタオルをガルドの頭にかけてやる。
ごし、と軽く頭を拭けば、……ガルドもそのまま黙って拭かれている。
逃げも拒否もせず、俯いて喋らない。
「……、……てめぇ恥ずかしくねぇのか……」
「宿の廊下がびしょびしょになっちゃうよ」
「そっ…………」
れはそう、――正論である。
ガルドが低く呻き、ことさらに俯いた。こうも当然のように拭かれてしまっては、動けない。……嘘だ、動けるが、動けない。もはや意志である。
「…………」
数日前の俺……見ているか……俺はそろそろ死ぬのかもしれない、と迷走する。
馬に相乗りして、ほぼ抱きかかえた状態で四日……、宿で風呂上がりに頭を拭かれて、そんでまた明日からの帰りも相乗りで四日……抱きかかえて……。
「宿のご飯、なんだろうね」
「…………さぁな……」
いつの間にか、両手で自分の顔を覆っていた。もう恥ずかしいのはガルドのほうである。どうしようもない。
だからといって、髪を拭かれるタオルを払いのけるなんてできない。これに関しては甘んじて受け入れたい。
細い指が、濡れた黒髪を軽く持ち上げ、形を整えるようにタオルを動かす。
その仕草が、どうしようもなく――やさしい。
「……てめぇ、ほんと……油断させんの上手ぇよな……」
「うん?……そう……?」
呟く声は小さく、ルシアンの首をわずかに傾げさせただけだった。やがてガルドの首にタオルをかけ、別のタオルで自分の髪も拭きながら、ひらりと部屋へ戻っていく背中。
残されたガルドは、しばしタオルを見つめたのち――、深く、息を吐いた。
「……参った……」
声は、零れたのかどうかすら怪しかった。ぎし、と立ち上がり、ガルドも部屋のほうへと歩を進めていった。
先に戻ったルシアンに続き、ガルドも自室の扉を開ける。まっすぐに窓に向かい、全開。夕暮れの風が涼しい。
ルシアンにはあの湯はちょうどよかったのかもしれないが、もともと魔力を持たず、普段から魔力に触れることも少ないガルドには、まだ少々ほてりが残った。
羽織っていただけの部屋着をベッドに放る。窓のそばに椅子を引きずっていき、そこに腰かける。――ふぅ、と息を吐けば、室内は静寂に包まれ……、隣の部屋で何やら話をしている気配がした。
……ルシアンと……、あの感じは女将か……と、ぼんやりとしながらも夕風を受ける。……そのまま涼んでいると、部屋の扉がノックされた。
「……開いてる」
返事をすれば、顔をのぞかせたのはルシアンだ。
「ガルド。夕食、食堂かお部屋か選べるって。君、どっちがいい?」
「……あ?……んなもん、どっちでも……」
素っ気なく答えながらも……ガルドは視線を外へ戻した。窓の外では山影が深くなり、空には早くも一番星が瞬いている。
肩にはまだ汗が残っていたが、――涼しい風で、身体の火照りもようやく薄れてきた。ぼんやりとしていた頭も、クリアになってくる。
「……お前は、食堂がいいんじゃねぇのか」
入り口に立つルシアンに、そう問う。ほんの少しの期待もあったが、だがもう今の時点で"充分"だ。
「私はどっちでも構わないよ。部屋のほうがゆっくりできるし、部屋にしようか」
は……、とガルドが、顔を向けたままに固まる。
いや……それはまぁ、部屋で飯を食うなんて、……何も今に始まったことではないが……。
「…………じゃあ、……部屋な」
仕方ない、と言い訳をつけるようにぼやいて、ようやく腰を上げた。部屋着を手に取り、肩に羽織る。
「部屋食でお願いします。……ええ、こちらの部屋で」
扉のそばのルシアンが、廊下の向こうにそう声をかけている。恐らく女将がいるのだろうが、そんなこと今はどうでもいい……さも当然のように、ガルドの部屋をご指定だ。
……ぐり、とガルドが指先で目頭を擦る。――しんどい。
何がしんどいって、何とも絶妙に"期待できそう"なのがしんどい。……これに関しての分析は、実のところ完了している。
改めて護衛契約を結んで、期限のない旅の道連れとなり。
この関係性に"バディ"だなんて名前を付けられて、風邪でダウンしたクソださいところを見られ。
加えてこの四日間の道程で物理的な距離がおかしくなっており、恐らくルシアン自身距離感がわからなくなっているのだ。
だから頭を拭かれる。だからこちらの部屋で飯を食うという。きっとそうだ。そうでなくては困る、と。
……ぐり、と指先で目頭を擦っている次第である。
……だからと言って"距離をとれ"と言いたくはないのが自分の欲でもある。
だからもう、ガルドは一切合切を目の前の主に任せることにした。
ルシアンが、自ら気づいて慌てて距離をとろうとも、そのまま真横で笑っていようとも――、自分が間違えなければいいだけだから。
――【護衛、しんどい】




