【何見てんだグリモ】
翌朝、旅装を整えたふたりは宿の廊下で落ち合っていた。
宿の帳場でガルドの身分証……冒険者ギルドのカードを使い、馬を借りる。
揃って厩舎へ赴けば、昨夜の厩務員が件の元軍用馬を馬房から連れ出しているところだった。
深い栗色の毛が、艶めいており、肌に張りもあって健康的な馬体。体高がガルドの首ほどまであり、ルシアンはほとんど見上げる形になった。
「これは……大きいですね……」
「ええ、当宿で一番の力自慢でしてね、グリモと言います。利口な馬ですよ」
グリモ、と呼ばれたその馬を、ガルドの視線がひとつひとつ確認していく。良く動く耳はこちらの声を聴いている。相乗り用のロングサドルをつけているが、不快がっている様子もない。
黒い瞳はルシアンのほうに向いており、落ち着いた表情で彼を見ている。ガルドが鼻先に手を伸ばせば、静かに額を預けてきた。
「……いい馬だ」
「ええ、道中頼りになるかと」
「ふふ、よろしくね、グリモ」
首元をルシアンに撫でられ、グリモが小さく頭を振る。その腰に旅の装備を括り付け、ガルドが鐙に足をかけてサドルの後方に跨った。
ガルドの巨躯を以てしても揺るがない、どっしりとした馬体。耳と尾がふわりと揺れるがいななきはせず、小さく鼻を鳴らした。
傍らの足場に登ったルシアンへ、馬上からガルドが手を伸ばす。腕の力で軽く引き上げ、胴体を支えて膝の間に横乗りにさせた。
「……大丈夫そうか」
「うん、平気だね。では、お借りしますね、グリモ」
「お気をつけて」
ルシアンの笑みに、厩務員がぺこりと頭を下げていた。にこやかな声に見送られ、ルシアンも合図のようにガルドを見上げた。
頷いたガルドが腰をずらし、より重心を取って座り直せば、グリモが一歩、二歩と滑らかに歩き出していく。
抱えるように座らせた細身の身体越しに、ガルドが手綱を操る。護衛の腕の中にすっぽりと収まっているルシアンは、先の道程とゆっくりと上下するグリモの頭を眺め――。
「……ガルドに寄りかかってしまった方が安定するかい?」
「……、……勝手にしろ」
「そう?じゃあ」
――そんな断りを入れ、肩をガルドの胸元に預けた。銀の瞳が、楽しそうに後ろを見上げる。
「楽しみだね、星見の湯」
「……気が早ェな」
……ガルドが呟き、小さくわざとらしい舌打ちをした。
だが身体はルシアンを自然と収めるように屈められた姿勢で、手綱を握る指先も揺れを抑えるような細かな調整がされている。
「……のんびり景色でも見とけ」
そんなぼやきと共に、グリモの歩みは山間への街道へと踏み出していく。
厩舎の前で見送っていた厩務員が、安心したように頷いてゆっくりと踵を返す。
早朝の光に、栗色の毛並みが柔らかく光った。
グリモに揺られ、すいすいと道程をこなしながら。
(これは……快適だね)
――ルシアンは、とても満足げに景色を眺めていた。
元来、馬に乗ることはできる。衝撃の少ない厚みのある鞍を以てして、なおかつ直には座らず、少し腰を浮かせれば乗れる。
そもそもの嗜みとして乗馬を心得てはいるものの、魔術師はその身体的構造上、馬との相性は最悪。
よって好んで乗らなかったし、乗る必要性もなかった。
だが、このグリモがとても賢かった。
どっしりとした体躯を揺らさぬように使いこなす。悪路を避け、少し揺れれば耳をこちらに向ける。それに加えて、揺れる肩を預けている護衛の身体がこれまた大きい。
(とてもいい背もたれだ……)
言えば仏頂面で怒られそうで、ちょっとそれは口にできない。けれど多少寄りかかってもびくともせず、自分の足も使わずに景色だけに専念できる。
ルシアンは、――ほくほくであった。
やがて夕闇も迫り、広い草地を見つけたガルドがグリモを止める。
「ここらで野営する」
「うん、わかった」
旅程は行きだけでも四日。足場の悪い山道と、決して消耗品ではない馬がいる。夜を通して歩く利もない。
山間だから馬を狙う獣もいるだろうが、魔獣避けの香を焚いて、夜はいつも通りに夜番をすればいいだろう。
鐙に足をかけてひらりと降りたガルドが、馬上のルシアンを見上げて――止まった。
「…………」
「……?」
不思議そうに首を傾げる銀の瞳に、……見下ろされる。
ルシアンに飛び降りてもらうのは、論外である。
自分の手を踏み台にさせるか……いやグリモに屈んで――もらうのは厳しそうだ。
ガルドはしばし考え、一度視線を逸らし、そして戸惑いながらも両手を伸ばした。
「……気をつけろよ」
「ふふ、ありがとう」
伸ばされた手の意図を察したのか、ひとつ笑ったルシアンの身体がふわりと腕に落ちてくる。片腕をその背に、片腕を腿の下に。
馬上から降ろすのに思いのほかもたつかなかったのは、ルシアンが完全にガルドに身を任せてきたからだ。
一瞬、胸の前に収まる柔らかな重さ。香油の香りが、風に乗る間もなく鼻先をくすぐる。
ぐっ……とガルドが顔を背けた先で、グリモと目が合った。――何見てんだコノヤロウ、と完全に八つ当たりの感情を抱く。
腰に触れないように片腕をずらし、膝を軽く曲げて地面へと降ろしてやる。
ふう、と背中を伸ばしたルシアンからやわく向けられる眼差しは、ただ純粋な"ありがとう"だ。
小さな咳払いとともにガルドも顔を逸らし、グリモの背にくくった荷袋へと手を伸ばした。
「……火ィ熾す。薪、拾っとけ」
言いながらもひとつひとつグリモの背の荷を外していけば、長い尾がくるりと振られ、静かに鼻が鳴らされた。その口元を軽く撫でてから、ルシアンも改めてガルドを振り返る。
「じゃあ、ついでに水場も探してくるね」
ガルドの頷きを確認して、ルシアンがグリモのそばを離れる。山道脇の茂みへと入っていく淡い背中は、もうすっかりと野営慣れしていた。
一方ガルドも野営地を設えながら、馬具を外したグリモを横目に見ていた。
元軍用馬とはいえ、人間を二人乗せてほぼ一日歩き通した。疲れているだろうに、大人しく道草を食んでいる。
手早く拠点を組んだのち、荷の一つをほどく。馬匹宿から持たされた乾草のブロックは、水を加えれば膨らんでグリモの餌となる。
ひとまず二つに割り、片方は荷物の中にしまった。あとでルシアンに水場を聞くことにする。
栄養補助用の飼い葉もあり、これはそのまま与えられるものだ。少量を持ちグリモの鼻先に持っていけば、黒い瞳がちらとガルドを見てからゆっくりと口元を寄せてきた。
「……いい子だ」
呟いて、額を撫でてやる。背後で笑う気配。
ぎくりとして肩越しに振り返れば、薪を手にしたルシアンが笑っていた。
「ふふ、私も褒めてもらったことないのに」
「……ンだそりゃ……」
可笑しそうに笑いながら、ルシアンが持っていた薪を地面にガラリと置いた。
携帯用の木桶と水袋を手に、また林のほうへ向き直る。
「水場、すぐそこにあったよ。汲んでくるね」
「……気ィつけて行けよ」
思わず口をついて出たその言葉に、ルシアンが振り返って、柔らかく片手を上げる。
歩みはそのまま、足取りだけがやけに軽く見えた。ガルドは舌打ちもせず、鼻から細く息を吐いた。
「……褒めるも何も……」
最初っから出来過ぎてんだよお前は、なんて……言ったところでまた笑われるだけだ。
飼い葉の袋を結び直し、ガルドが空を仰ぐ。夕暮れの茜が、山際を赤く染めていた。
焚き火の柔らかな光に照らされながら、ルシアンの横顔がグリモを見ていた。
巨馬は、ガルドが用意した乾草を食んでいる。時折水桶に口を入れて静かに水を飲む。
木にくくった縄が擦れる音がする。鼻を鳴らす仕草が、どこか穏やかだ。
足を浮かせる仕草や、尾が振れる音。いつもの野営にはない音、いない気配だが――ひどく馴染んだ。
「馬って、鼻がいいんだっけ?」
焚き火の向こうのガルドに、ふとそう尋ねる。ちろ、と赤い瞳がグリモを一瞥し、次に片眉を上げた。
「……らしいな。人間よりもよっぽど利く」
「ふむ……グリモに乗せてもらっている間は、香油をつけるのはやめようかな」
呟くように言いながら、ルシアンが立ち上がって外套の裾を均した。グリモのそばへゆっくりと歩を進め、その馬体に手のひらを触れる。
グリモも頭だけをルシアンに向けて、さようですか、なんていった顔をしていた。
「明日も歩いてもらうから、回復魔法をかけようね、グリモ」
まるでガルドに話しかけるような柔らかさで、野営地にルシアンの声が響いていた。
馬体をひと撫でするごとに、蛍のように淡く白い光がほのかに舞う。そのたびに、グリモが心地よさそうに目を閉じた。
焚き火が弾ける音と穏やかな光が、夜の中に漂う。
「……明日乗るときも、抱き上げてくれるのかい、ガルド」
はた、とガルドが顔を上げれば、……振り返ったルシアンの顔は、どこかいたずらっぽく笑っていて。
一度だけガルドの口元が、はく、と動くが。
「……そりゃ、仕方ねぇだろが」
焚き火越しにぼそりと返しながら、ガルドはぶっきらぼうに顔を背けた。耳がやや赤いが、きっと焚き火に当たっているからで。
薪をつつけば、焚き火の中で火の粉が爆ぜる。パチ、という音の向こうで、白い光がまた一つ、グリモの背中を優しく撫でた。
どこか居心地の悪そうなガルドが、ちらと目だけを動かして、グリモの隣に立つ細身の影を見やる。淡く光る魔力の名残が、夜の空気に溶けていく。
「……今さら、嫌とは言わせねぇぞ」
小さく呟いたその声は、焚き火の音にかき消されるほどだった。ルシアンには聞こえていなかったようだったが、グリモがふるりと尾を揺らして小さく鼻を鳴らしていた。
まるで、その言葉に相槌でも打つかのように。
――【何見てんだグリモ】




