【寄り道はこちらです】
アウルグレイを発って、二日。
ゆっくりと陽が落ち始める中、ルシアンとガルドの前方、街道沿いに二階建ての建物が見えてきた。
建物のすぐ隣には大きな平屋が設えてあり、手押し車に藁を詰め込んだ男性がその中へと入っていくのが見える。
壁に鞍と手綱が掛けられているのが見え、――厩舎だとわかった。
「……あれは?」
隣を歩いていたルシアンが、そう尋ねながらガルドを見上げる。同じく宿を見ていたガルドが、片眉を上げて口を開いた。
「ありゃ馬匹宿だ。ちょうどいい、今日はあそこで泊まるか」
「街道宿のようなものかい?」
「ああ。冒険者ギルドと……街道管理局、だかが、共同で運営してるらしい……」
普段は気に留めることもないのか、ガルドがわずかに首を傾げた。その宿は、旅人と商人のための中継宿だった。
通りに面した木造の二階建て。外壁は素朴な土色で、軒先には馬留めの杭がずらりと並んでいる。隣接する厩舎からは、時折馬のいななきが聞こえた。
夕暮れの陽が差し込む中、宿の入り口では、若い男性が箒を片手に掃き掃除をしている。
「あ、いらっしゃいませ、お泊まりですか?」
近づいてきたふたりに、男性が穏やかな笑顔を向ける。ルシアンを一目見て、よもや貴族か、と思わず手が止まるが、……それ以上は何も言わず、にこにこと迎え入れた。
「こんばんは。部屋は開いていますか?」
「ええ、今日はまだ空きがあったかと!馬のほうは……、あ、お客さま方は歩きですね。馬匹宿へようこそ」
軽く会釈をしたルシアンが宿へ入れば、帳簿をつけていた女将がパッと顔を上げた。
宿の中は、木の温もりが残る造り。ロビーの片隅には小さな炉があり、もうすぐ火が入れられそうだった。
数人の客がすでに腰を下ろしており、道中の埃を落とすようにくつろいでいる。
「いらっしゃい、お泊りかい」
「はい、宿泊でお願いします。部屋は二つ」
ちら、とガルドがルシアンを見やる。――そういえば、常に別室だな、と。
まぁ……あくまで雇用主と護衛なのであって、……たとえば一緒の部屋でもいいぞとか、そういうことを進言する立場でもない。宿泊費も常に、というかいつもルシアンが先に支払ってしまうので、ガルドは用意された部屋を使うだけ。
加えて、ルシアン自身”金に困っている”という素振りもないし、ガルドも金に困っているわけではない。宿代節約のために同室で……という考えも、ちょっと自分たちには縁がない。
……いや……だからといって”同室”にされても…………あの”嗅がせろ”をやらかしてしまった手前……気まずいのだが……。――などと、ガルドが淡紫の後ろ姿を見下ろしている間に、ルシアンは宿泊費の支払いを終えていた。
「部屋は二階の奥、夕飯はもう少しで出来上がるよ!風呂は順番だから、風呂前にかかってる予約表に名前書いといてね」
にこにこと話しながら、女将は帳面を書き込み、二本の鍵を手渡してきた。ルシアンがそれを受け取り、片方をガルドへ。
ちゃり、と手の中で鍵が鳴り、ガルドはその重みにほんのわずかに肩の力を抜いた。……いい、これでいい、と。
ルシアンが荷物を置いて部屋から出ると、向かいの部屋からちょうどガルドも出てきたところだった。大剣や外套は部屋に置いてきたようで、身軽な格好をしている。
「ガルド、厩舎のほう、見てきてもいいかい?」
「……ああ。風呂の予約表、見てくる」
そんな会話をしながら途中で別れ、ルシアンは宿の隣に建つ厩舎へ。大きく開かれた入り口から中を覗けば、厩務員が夕方の給餌をしていたところだった。
馬房は十ほどに区切られており、半分はここで管理されている馬。もう半分は旅人用の馬房のようで、数頭の馬が丁寧に手入れをされている。
ルシアンに気づいた厩務員が、おや、と目を丸くしたのちに、笑顔で会釈をしてきた。
「こりゃどうも、気づきませんで。馬房をご利用ですか」
「ああ、いえ、私たちは徒歩で。……馬匹宿が初めてで、ちょっと見学に来てしまいました」
「そうでしたか。よろしければどうぞ、中まで」
ルシアンの柔和な笑みに、厩務員も和やかに手で通路を示した。藁の香りと獣の匂い、厩舎の木の香りが、歩を進めるごとにルシアンの肌に触れる。
高い位置につけられた水桶、壁に掛けられたハミや蹄鉄。高くとられた採光窓からは夕陽の赤が差し込んでいる。鹿毛の馬、葦毛の馬、多いのは栗毛で、一番奥の馬房にはひときわ大きな馬もいた。
「歩きの旅もいいものですねぇ。どこかの街へ向かうところで?」
厩舎内を興味深げに眺めるルシアンに、大きな三叉の農具で藁をすくいながら、厩務員がそう声をかける。
「いえ、美しい景色や不思議な場所をみてみたくて……ふふ、道楽ですがね」
「いやいや、素晴らしいことで」
話しながらも、馬たちへの給餌の手は止まらない。馬房の中の馬たちも、見慣れないルシアンに騒ぎ立てる様子もなかった。――が、ぴくりと彼らの耳が触れ、一様に顔を上げて厩舎の入り口のほうへと顔を向ける。
ルシアンも同じようにそちらを向けば……重い足音がして、ガルドが厩舎の入り口に姿を見せた。
――いななきこそしないが、数歩引いたもの、耳を立てたもの、それぞれの反応。だが、ガルドが身じろぎもせずにそこにあり、空気はすぐに落ち着いた。
赤い瞳に見えたのは、圧と鋭さではなく、ただ、重さ。馬たちはその存在を脅威と捉えず、“上”と感じたのかもしれない。老馬がひとつ鼻を鳴らしてから、またゆっくりと干草を噛みはじめる。
「……飯もうすぐだとよ」
「わかった、ありがとうガルド。……見学させていただき、ありがとうございました」
「は、ええ、またどうぞ」
……馬たちの様子を眺めていた厩務員に一礼をして、ルシアンは宿へと戻っていった。
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