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ルシアンの物見遊山【毎日更新/21:20】  作者: フジイさんち
余計なものが、またひとつ
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【黒い獣のルド】


「着替えてくるよ」


去り際にそう声をかければ、枕の底から低く声が聞こえた気がした。


――あれを覚えていたとは可哀そうに……と、ルシアンがやや肩をすくめる。


ガルドの部屋から出れば、廊下で朝の清掃をしていた宿の従業員と鉢合わせた。

時刻は早朝。まだ眠る宿泊客も多い中、ふと現れたルシアンに、従業員がぺこりと頭を下げて……、……はた、と出てきた扉を見て、……そろ、と目を逸らす。


「おはようございます」

「へっ、あ、おは、ようございます……」


口ごもる従業員と、そんな短い挨拶をして、ルシアンが隣の自室へと帰っていく。


――ぱたん。



閉じられた扉と、……今出てきた扉を……交互に見やる、従業員。

あれ、この二部屋って冒険者の二人組が泊まってなかったっけ……と思考を手繰るが、確かではな――


――ガチャ。


見つめていた方の扉が開いて、ぬっと強面の冒険者が顔を出した。やや、気だるげで、やや、汗ばんでいらっしゃる。……ちょっと男の色気。そしてさっきの朝帰りのお仲間さん。

赤い瞳が、箒を持っている従業員を見てぴくりと眉を動かし、ちら、と隣の部屋の扉を見る。


「……おい」

「あっはい」

「わりぃが、清拭持ってきてくれ……汗かいてよ」

「ッ……はっ、はいっ……」


あ、汗かくことを……!?などとは声に出さず、何度も頷く。ダメだ。お客さまのプライベートな部分は、さっ、サービス業従事者として立ち入ってはいけないところ……。

箒を壁に立てかけ、慌てて立ち去ろうとした背中に、ガルドがもうひとつ声をかけた。


「あ、おい」

「はいぃっ」

「シーツも頼む」

「ンぐっ……」


どこから出たのかわからないうめき声をあげながら、その従業員は首がもげるほどに頷いて階下へ去っていった。






その日の午後には、ガルドの熱は穏やかに引いていった。

体調自体は回復の兆しを見せてはいたが、……これ以上伏せっていては、また何をやらかしてしまうかわかったものではない。ほぼ、ガルドの意地と根性で風邪を治したようなものだった。

ガルドが受けた精神的ダメージ――そして人知れず被弾した宿従業員の精神的ダメージは計り知れない。


厨房で作ってもらった夕食をガルドの部屋で食べながら、ルシアンがちらりとガルドを見る。


「昨夜はあんなに熱があったのに、治るのも早いんだね。やはり戦士は身体も強いんだろうか」

「……さぁな」


まだ少し掠れの残る声で、ガルドが答えた。

――"昨夜"……。どこか他人事なルシアンの発言にも、もう慣れたものである。


このアウルグレイに来て、今日でもう三日目。今までであれば、三日も街にいれば、何件か食事処を回り、街の中を軽く観光し、近郊の"美しい景色"についての聞き込みを終えている頃合い。

……それが、今回ばかりは、宿にこもりっきりで……加えて例の暴挙……。肩で、ため息をひとつ。


「……。……街の探索、できてねぇな」

「そうだね。でも、面白いものは見れたよ」


す、とルシアンが首を傾げながら笑う。ぐ、とガルドの眉間に皺が寄る。

てめぇ、と口の端がぴくりとする。ゆらり、と窓の外でルドの尾が揺れた気がした。


「……お前、ほんとに……楽しんでやがったな……」


低く唸るようにぼやいたガルドが、スプーンを持つ手を止める。皿の上では、温かいスープがほのかに湯気を立てていた。ルシアンはそれには答えず、水を一口。罪の意識などまるでなさげだ。

その柔らかな仕草に、さらに眉間が寄る。けれどそれを見て、ルシアンの笑みがまたひとつ、深まった。


「……チッ……」


目を逸らして舌打ちを落としたその瞬間、風がふっと吹き抜ける。

ルシアンが窓辺に置いていた水のグラスが、ほんの少し減って、ぴちゃ、と小さく音を立てていた。






結局、このアウルグレイは、四日ほどしか滞在しなかった。


街で得られる、不思議な場所、美しい場所に関する噂話が乏しかったこと。

体調不良により珍しくダウンしたガルドと、いつもどこかに姿を見せた、ルド、という美しい獣を見て、ルシアンが満足したことが大きかった。


荒事もない穏やかな数日間は貴重で、最後に軽く食事や露店巡りを楽しんで、ふたりは街を出ることにした。




朝靄の中、街門へ向かうガルドに、背後からルシアンの柔らかな声がかかる。


「体調は本当に大丈夫かい?もう少し、休んでいってもいいんだよ」


平気だ、と答えようとしてガルドが振り返れば、微笑みながらこちらを見るルシアンの後ろに――ルドが佇んでいた。

黒い、大きな体。豹のようで狼のようで、毛並みは夜のように艶めいて。



――燃えるような、赤い瞳をしていた。



そうしてひとつ、ゆっくりと瞬きをして……ルドはそれきり、立ち消えた。



「……やっぱり、まだ体調悪いのかい?」


心配そうにガルドを見上げてくるルシアンは、後ろのルドには気づかなかったようだった。

銀の瞳に視線を落とし、ルドが消えた街並みを、もう一度だけ一瞥して。


「……いや、……大丈夫だ」


……小さくそれだけを答え、ガルドがまた歩き出す。




アウルグレイへの道中に立ち寄った、廃祠のそばにあった……願いが叶う泉。

あの水を飲んで、ガルドは願った。"――こいつを、そばで見守りたい"と。


仮に、……ルシアンの「美しいものが見たい」という願いと、自分の……その願いが、……あの獣を生み出したのだとしたら。



「不思議な子だったね、ルド」

「……、ああ……」


街を振り返るルシアンの目に、もうルドの姿は見えない。朝陽がうっすらと石畳を照らす。二つの影が、街門を抜けていく。淡く差し込む光に包まれ、淡色の外套が風に揺れた。


歩きながらもガルドの横顔を見上げ、打って変わっての顔色の良さに、ルシアンがほっとしたように小さく息をつく。その瞳には、相変わらずの穏やかさと、どこか名残惜しさのようなものが滲んでいる。

気づいたガルドもそちらを見下ろし、片眉だけで返事とする。――にこり、の笑みが返ってきた。


それきりふたりは、街を振り返る気配もなく、ただ、街道を進んでいった。どの視界を切り取っても、もうあの黒い影は見えないし、何より……。


(……死んでも言えねぇ……)



……たまには不思議は不思議のままで。それでもいいかと、ガルドは思った。


次の美しい景色を見れば、彼はきっとそちらに夢中になるだろうから。






――【黒い獣のルド】

【旅人の街アウルグレイ】

滞在:四日間/宿代:銀貨二十四枚(銀貨四枚×二部屋×三泊)

景観:露店の賑わい、石畳の路地、夜の気配に寄り添ってくる黒い獣

人間:過干渉もあったが、親切な人も多かった

食べ物:ポルンの実。赤くて、甘くて、瑞々しい


次の目的地:未定。ひとまず西へ


……ガルドが熱を出した。無理をさせず、休ませられる街でよかった。



——ルシアンの手帳より

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