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ルシアンの物見遊山【毎日更新/21:20】  作者: フジイさんち
余計なものが、またひとつ
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【嗅がせろ】


夜半――。



ルシアンは、再びガルドの部屋を訪れていた。

熱は夜にかけて上がり、夕食はスープとパンを少し。やはり、少々つらそうだった。


新しい水桶とタオルを手に、ベッドの傍へ寄る。

相変わらず沈み込んでいる護衛は、息こそ荒いが、それでも薄目を開けてこちらを見た。


「すまないね、起こしたかい」


囁くようにそう笑い、濡れたタオルを額に当てる。

その冷たさに一度すっと閉じられた瞳が、またじわりと開いた。


いまいち焦点は定まっていないが、そのままガルドがゆるゆると上体を起こす。

ベッドに座り、一度うなだれるようにがくりと垂れた頭が、のろ、と持ち上がっれば。



据わった目が、ルシアンを見ていた。



「……、……嗅がせろ……」

「えっ」


掠れた声がそう言うや否や、ガルドに腕を掴まれ、手荒にベッドに引き込まれてしまう。

半ば押し倒される形になり、ルシアンも少々ぎょっとした。


上に覆いかぶさる護衛は、明らかに高熱で意識が朦朧としている。


(こ、れは……熱で……まともじゃないね……?)


どこか、じっくりと見下ろすような視線に、ルシアンがそっと寝間着の胸元を緩めた。

一言も喋らず、そこを見下ろしていた眼差しごと、ゆっくりと顔が近づいてきて――肌に触れる寸前で止まる。

黒い髪が口元に触れそうで、……なんとなく、ルシアンも顔を横に逸らす。


ふ……、と胸元に、熱い息がかかった。



――うん、やはり熱が高いね、と思った。

というか、お風呂上がりで香油つけてないんだけど、とも思った。……が、はたしてそれどころなのだろうか。

しばらくの間、そのまま匂いを嗅がれて――ぎしり、とガルドがルシアンの横に倒れこむ。



……すうすうと……寝息を立てている。

本当に、朦朧としていただけのようだ。

問題は、右腕が巨躯の下敷きになり、抜け出せないことか。


「ええ……」


微動だに、しない。




月明かりが、綿のカーテン越しに差し込んでいた。

薄く、白く照らされた部屋の中、ベッドの上で、ふたりの影が静かに重なっている。……ううん、一体どういう状況なんだろうか……と、ルシアンが月を見上げる。


その細い肩の上、すっかり被さった大きな身体は重く、そして熱い。

首元に額を預ける形で、頬は鎖骨のあたりにあり――まるで、そこで静かに呼吸を整えているかのようだった。


寝息は安定している。熱はまだ高いが、先ほどのような強い荒れはない。意識を朦朧とさせたまま、ただ"好きな匂いの場所"に身を預けたようだった。


犠牲となった右腕は、ちょうど脇腹から背中のほうへ回されている。

筋肉の圧に抜けることも叶わず、なんとかタオルを握っていたが、やがてそれも力なく落ちた。



(…………)


不可抗力……って……使い方あってたかな……と。銀の瞳がぼんやりと、天井を眺める。多分あってない。

あれは確か……予期せぬ災害や天変地異で……予見も回避も不能な……外的要因による事態……ああ、そうだ、まさに泉で腰が抜けたのが"不可抗力"だ……うん。――冷静を装う。いや、冷静は冷静である。


ならばこれは事故……と言い切ってしまってよいのかどうか、それもちょっと判断に迷う。万が一"力ずく"などということになったらまずいと思って、胸元を開いたのは、自分。

まがりなりにも……誘ったわけではない。何故なら相手は病人で、どう見てもまともではなかったし、何より"ガルドなら絶対にしないこと"をしていた。

よってこれは、事案回避における非常に合理的な判断。


(……だよね……?)


開けた首元に、寝息がかかる。外では風の音がふと止み、向かいの屋根に黒い影が静かに降り立っていた。

窓の隙間から、夏の夜の涼しい風がふたりに届く。それを合図にしたように、長い尾がそっと揺れた。


まるで、安心したように。……まるで、そこに在ることを許されたように。


静かな夜の、静かな影。

ぴたりと視界の端に伏せ、"もう一頭の護衛"が、息をひそめて夜明けを待っていた。




朝――。


覚えのない温もりにガルドが目を覚ますと、目の前に、鎖骨があった。

一度、目を閉じる。



――しばし熟考――。



――ついで黙考――。



…………もう一度目を開ける。



「……おはよう……?」

「…………な、なん……」


何でここに、というよりも前に、細い身体にのしかかっていた自分に気づいた。熱の汗とは違う汗が出る。


ぎしりと、身体を浮かせる。

そろりと、腕が引き抜かれる。



――ガルド沈黙――。



「……さすがに痺れたね……感覚がないや」

「お、おま……っいや、わりぃ……ッ……わりぃ……」


いやもう、もはやそれしか言えない。そしてギクリとする。

ルシアンが寝間着だ。胸元が少し開いている。っおはようって言われた?

いやそうじゃない、待てよ、記憶が、――記憶がある……。


(……嗅いだ、俺ッ……!!)


めくるめくやらかしの記憶に、ガルドがズン、と枕に突っ伏した。


だいぶ荒めに引きずり込んだ。押し倒した。ルシアン自身に胸元を開かせた。

その……素肌に触れこそしなかったが、今朝までの暴挙を含めれば、これは多分、きっと、恐らく、とてもアウトだ。死ぬ。


枕に顔を埋めたまま、ガルドの肩がじわりと熱を帯びていく。額に浮いた汗は、もはや風邪のせいではない。思い出せば出すほど、自分が何をやらかしたのか、脳内で鮮明になっていく。


(嗅いだ。嗅がせろっつって嗅いだ。ボタン開けんの見た……俺それ待ってた……!)


「……くそ……蹴りゃよかったんだ……」


枕の中から聞こえるしぼんだ声に、どこか悲壮感すら漂う。

痺れた手を揺らし、寝間着の胸元を直しつつ、ルシアンが小さく笑った。


「ええ?蹴らないよ……」


返ってきた穏やかな反応で、わずかにガルドが顔を上げる。対象はベッドに腰かけており、怒っている顔ではない。それが余計に、くるものがあった。

そして邪な考えも沸く。


――寝間着ということは、あの腰装備は今――。


……ガルドの思考がそれ一色に染まりそうで、もう一段深く、枕に埋まった。


「……わりぃ……」


そしてやはり、それしか言葉が出てこなかった。






――【嗅がせろ】

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