【ごめんねガルド】
ルシアンが宿へ帰れば、ガルドは相変わらずベッドに沈み込んでいた。
低くこもった咳をしている。額に触れれば、まだまだ熱い。
ルシアンの手の感覚に、薄く、目が開いた。視線だけで、戻ったか、と語りかけてくる。
「熱ひどそうだね?市場にポルンっていう実が売ってたよ。一緒に食べよう」
「……んん……、食う……」
低く唸るような返事の後、上体だけがのそりと起きた。
ルシアンが紙袋からポルンの実を三つ取り出し、ひとつをそのままガルドに手渡す。
――三つ?とガルドの目が細まった。それに、ルシアンがにこりと笑う。
「ふふ、さっきね、あの黒い子に助けてもらったから。一個あげようかなって」
「……なん……なに、あった……」
掠れた声で、ガルドが問い詰める。……迫力は、皆無である。
「市場でね、冒険者に声をかけられたんだ。遊ばないか、退屈させないぞって」
「……ああ?……」
「そしたらあの黒い子が間に入ってくれてね、その人逃げて行ったよ。……あの子、まるでガルドみたいだった。――ルドって呼ぼうかな」
窓辺にひとつ、ポルンの実を置きながら――ルシアンが、そう笑った。
ベッドの傍らにある椅子へ戻り、ルシアン自身もその実をひとかじりする。……しゃく、と軽い音を立てた果実は、瑞々しくのどを潤した。
「……な……」
蚊の鳴くような声で呟いたガルドが、ほんの少し眉をひそめる。けれどすぐに、それすらも億劫そうに片手で顔を覆った。
「…………バカじゃねぇの……」
「嘘じゃないよ。すぐ隣で見れたんだ」
「……ちが……いや…………バカだろ……」
息がこもる。言葉の端に滲むのは呆れか、別のものか、それとも熱のせいか。ポルンの実を持ったまま、ガルドは片肘をついて身体を支えた。
唇に実を運び、しゃく、と鈍く噛みつく。果汁が喉に落ちるたび、熱で痺れた感覚がわずかにほどけていく。
「……お前……禁止だな……一人歩き」
「ええ……」
笑ったようなルシアンの声に目を細めて、ガルドが窓辺の果実を一瞥する。
ルシアンが置いた"ルド"への供物。黒い獣が、そこにいる気配はない――けれど、不思議と否定する気にもなれなかった。
「…………」
ルド、かよ、と呟きかけて、飲み込む。それを口にしたら、認めそうで……認めたら、"何"を認めたのかまで自覚させられそうで、飲み込む。
視線の先には、椅子に腰かけ、果実をかじる淡紫の横顔。まるで当たり前のように、そこにいる。
「……チッ、……野郎、役に立ちやがる……」
吐き捨てたはずのその言葉に、どこか針の抜けた柔らかさが混じっていた。唇を拭い、もう一口、赤い実をかじった。
――しばらく、寝ていたか。
熱にうなされながら、ガルドはゆるりと薄目を開けた。
傍らでは、椅子にかけたルシアンが本を読んでいる。時折、ガルドのほうを見て……にこりと笑う。
――バカバカしい、と思った。
素性の分からない、存在すらも危うい獣に、名前を付けて。当然のように、……この名前から、文字を取って。
(……護衛といえば俺ってか……)
そんなくだらない仮説が立つ。
時間は静かに過ぎていて、眠ったり、おぼろげに目覚めたりしているうちに、外は陽が落ち始めていた。
「……マジで、ルドって呼ぶ気かよ……」
つい、……そう口にしてしまう。半ば眠っていたガルドから零れた声に、特に驚く様子もなく、ルシアンが顔を上げた。
窓際に置いていたポルンは、いつの間にかひとかじりされている。それに疑問を抱く、元気すらない。ルシアンも、気にしていないようだった。
「ぴったりじゃないか。真っ黒で、大きくて、強い。君みたいだよ」
「…………チッ……」
それは明確に、照れの混じった舌打ち。何をどうしても熱が上がりそうで、それ以上は考えないことにする。
ぱたん、と本を閉じたルシアンが、椅子をぎしりと鳴らして立ち上がり、ガルドの頬に手を当ててきた。
「また熱が上がってきたね。つらいかい?」
「…………」
……ガルドは、声を返せなかった。返さなかった部分もある。
ただ、触れられた頬にわずかに眉を寄せ、熱に浮かされた瞳を細める。
頬から額へと滑る、冷たい手のひら。ひやりとしたその感触が、火照った皮膚に心地いい。
「……寝てりゃ、治る……」
掠れた声が、わずかに漏れた。喉の奥でくぐもったような音になって、それ以上の言葉にはならない。
会話はそれきり、もうなにも足さない。なにも引かない。今だけは、銀の瞳がこちらだけを見ているような気がしたからだ。
(……わるかねぇな……)
熱とだるさに沈む意識の中で、そんな思考がふと浮かんでは、すぐに流れていった。
するりと離れていく指先。陽はすっかり傾き、窓の外は静かな茜色に染まっている。街の喧騒が遠くなり、優しい風鈴のような音がどこかから、かすかに届く。
「……回復魔法で、治るよ、ガルド」
「……、……てめぇ……」
ちょっと申し訳なさそうに言うルシアンに、ガルドの口角がぴくりと上がった。やっぱり遊んでやがったな、という、ほんの小さな笑み。
けれど、ゆる、と首を振られる。
「いらね……」
「……でも、つらいだろう」
「……いい。……お前、風邪……移んなよ……」
ルシアンが、やや眉を下げて微笑んだ。それは肯定か、あるいはただの慈しみか……どちらともつかない。だが――その笑顔が、すべてを包んでいた。
再び眠りに落ちる前。
ガルドは、頬に残った手の温度だけを、ゆっくりと思い出していた。
――【ごめんねガルド】




