【重たい外套】
――夜。
簡単な食事を済ませ、ガルドは焚き火に薪をくべていた。その傍らでは、ルシアンが小さな手帳を開いている。
何かを書き込むでもなく、しばしそれを眺めていたようだったが……ぱたりと表紙を閉じ、柔らかく笑んだ銀の瞳がガルドを向いた。
「今日の夜番はどちらからにする?」
「ん……」
笑顔のまま当然のように問いかけられ、ガルドがそちらに目をやる。
ルシアンは、夜の見張りも進んで受け入れた。片方が見張り、片方が仮眠。それをいつも夜半過ぎに交代する。順番はその日の気分。
元来ガルドは他人の前で眠れる質ではなかったが、この夜番は自然と受け入れられた。
「……俺が先にやる」
焚き火に火の粉が舞う中、低い声が短く応じる。
気遣ったり、順番を気にしたり、そういうつもりはない、が。
「……昨日はお前が先だったろ。順番だ」
「うん、わかった」
適当に言い訳をつければ、穏やかな一言だけが返ってくる。焚き火の炎が、赤い瞳をちらちらと照らす。
手帳を革鞄にしまい、仮眠の支度をし始めたルシアンを見て、ガルドの手がおもむろに足元にあった外套をつまみ、それを軽く放ってみせた。
「わ、なんだい」
「……夏でも高地は冷える。寝るなら羽織って寝ろ」
ぶっきらぼうな声。視線はあくまで炎に向けたまま。
天幕下の仮眠用の寝具は一通り揃えてはある、が……それでも、この時はそうしたかった。
ルシアンも特にそれを気にするでもなく、足元に乱雑に落ちた大きな外套に手をかける。両手で持ち上げ広げてみようとした、が、……重い。
重厚な作りで、厚手の防刃布。裏地には断熱素材。重量もなかなかだった。
それを見て、ガルドが鼻を鳴らす。さながら――非力め、というような顔。
ふふ、と小さく笑いながら何とか肩にかければ、全身がすっぽりとくるまれた。
ガルドの長身を易々と覆えるマント型のそれは、そこらの毛布よりも暖かい。
「……うん、重いけど暖かいね。ありがとう、借りるよ」
柔らかく呟いたルシアンが、そのまま天幕の下へもぐりこんでいく。
どうやらそれを、気に入ったようだった。
「…………」
焚き火の向こう、天幕の中へすっと消えていく淡い影。
その背に外套がふわりとかかって、地面まで引きずっているのが見えた。
――"どちらからにする?"
笑顔でそんなことを聞かれる日が来るとは、思ってもいなかった。
焚き火の薪をもう一本足せば、パチ、と音が鳴る。
ガルドはあらためて静かに腰を落ち着け、見張りの構えに入る。だが意識は、隣の柔らかな気配を最後まで追っていた。
「……寝てる間に蹴飛ばすなよ」
ぽつりとそう捨てながらも、ガルドの口元はわずかに緩んでいた。ほんのひと欠け。無意識に近い形で。
風が、森を撫でるように通り抜ける。火の粉が揺れて、灰がひとつ、空へと昇った。
視線は焚き火から外さない。耳は天幕の気配を聞いている。
衣擦れの音、寝返りを打つ音。息を整える音、何も異常のない"安心"の音。
――あんな奴が、旅なんかできるのかと思っていた。だがこんなもん、誰より野営に馴染んでやがる、と目を伏せる。
「……変な奴だ」
誰にも聞かれないように、そう呟く。炎の揺らぎが、ひときわ赤くなった。
ガルドは目を細め、ゆっくりと大剣の位置を確かめる。
その夜番は、妙に長く、妙に静かだった。
その後夜半過ぎにガルドが声をかければ、ルシアンはもぞりと天幕から這い出てきた。
外套をぐるりとまとったまま、護衛の横へ腰かける。
ガルドがそちらを見やれば、眠そうに焚き火を眺める横顔。
外套返そうか、という顔と、これ外したら寒いな、という顔、半々だった。
動きを止めたルシアンに、……やや口角も上がるというもの。
「……あったけぇか」
「……暖かいね……」
……沈黙。
そうしてしばしの逡巡のすえ、思い切ったようにルシアンがそれをばさりと外した。
引きずるようにガルドにそれを返し、焚き火の向こうへと腰かけ、笑う。
「"朝隠し"、ガルドも見るよね?夜明け前に起こすよ」
視界の端で、丘の上を見やる銀の瞳。
まだ月は天高かったが、その眼差しはもう夜明けの花を見ていた。
「……ああ。見る」
返された外套を無造作に背負いながら、ガルドも短く頷く。その声音には、いつもの無骨さと違う、どこか柔らかな響きが混じっていた。
火越しに向かい合う姿。静けさの中、風が木々の隙間を抜ける。ルシアンの淡い髪が揺れて、月明かりを柔らかく受けていた。
「……花なんざ、ただの草にしか見えねぇと思ってたけどな」
薪を組み直しながら、ぽつりと呟く声。
「お前とじゃなきゃ、わざわざ見に来なかっただろうよ」
火を弄ぶわけでもなく、そっと枝を寄せる手元。
その向こうの銀の瞳は、言葉の意味を理解しても、たぶん茶化さないだろうと思った。
だから言えた。
この旅が、"ただの護衛"ではなくなり始めていることを。
「……起こせよ。寝坊したら文句言うからな」
ひとつだけ、その赤い瞳が瞬いて、けれどすぐに逸らされる。
そのまま天幕へ引っ込んでいく背は、心なしか夜の空気に馴染んでいた。
まるで、"ここから見える景色"に、居場所を感じ始めているかのように。
――【重たい外套】




