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ルシアンの物見遊山  作者: フジイさんち
濁潮の咆哮
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【魔術師を振り向かせるために】


宿にて仮眠を取り、ふたりは少し遅めの昼食を、ルシアンの部屋でとっていた。

ルシアンはまだ少し眠たげで、ガルドも少々静かだった。


「二日続けて夜の依頼は、ちょっと疲れたね」

「……ああ。今日は休むか」

「ふふ、それもいいかも」


微睡(まどろ)むような陽気と、静かな部屋に響く食器の音。穏やかな会話を交わしていると、部屋の扉がノックされる。……宿の従業員だった。


「お食事中、失礼いたします。冒険者ギルドの方々がお越しになっており、ルシアン様へ、急ぎお話ししたいご用向きがあるとのことでございます」


ぴたり、とガルドの手が止まる。

赤い瞳がぎろ、と従業員を見るが、……残念ながらこの宿の従業員は洗練されていた。

ルシアンはそちらに目を向けることもせず、ほんの少しだけ肩を落とした。


「……。では、食事が終わるまでお待ちいただきましょう」

「承知いたしました」


音を立てずに扉が閉まり、部屋に再び静寂が訪れる。おい、というガルドの視線に、ルシアンがひとつだけ微笑んだ。


「ふふ、君と私、どちらに用事だと思う?」

「……どっちにしろ、クソだな」


乱暴なその物言いにも、階下の客人の気配にも、ルシアンは変わらず優雅にそこにあり……ガルドが大きくため息を吐くのに、十分な理由となる。


「……寝不足だって言ってやれ」


ぶつぶつと零れる文句に、銀の眼差しがわずかに細められる。昼の日差しが、カーテンの隙間から柔らかく差し込む。

テーブルの上、湯気の立つスープと、焼きたてのパン。――いつものように、静かで優雅な食卓。


だが、階下に感じるわずかな緊張は……天気の話ではなさそうだ。食事を口に運び、微笑んだまま、ルシアンの首がそうっと傾ぐ。


「……さぞ、睡眠を削らせる価値があるんだろう」


それはまるで、観劇でも始まるかのような口調だった。






ルシアンがガルドを連れ立って宿屋一階の受付へ降りてくると、ロビーに肩を並べて待っていたギルド職員たちが、総じて姿勢を正した。

呼んだのは、ルシアン。けれどもこうして、”無哭”も付いて来た。……やはりここは常に”セット”か、と身構える。資料の束を持った指先に汗が滲む。

ロビーの応接ソファに、ルシアンが黙したまま座り。一言も交わさずに、宿の従業員がその目の前に紅茶を添えた。


「……失礼、紅茶をいただきますね。少々寝不足でして」


その涼やかな声に、ギルド職員が膝から崩れそうになる。

一晩中働いた。あなた方は睡眠の邪魔をしている。――そんな幻聴すら聞こえた気がした。

その背後に立つガルドは、腕を組んで、職員らを見下ろしている。こちらも夜勤明けで、いつもより双眸(そうぼう)が鋭い。


「どうぞ、おかけください」


すらりとルシアンの手が、向かいのソファを示す。

誰が行く、と一瞬だけ職員らで目配せをしたのち、……「お前が一番会話を交わしている」と無理やり引っ張ってこられた受付男性が、おずおずと腰かけた。


「――しッ失礼いたします、ろ、ロンドと申します。お休みのところ、大変申し訳ございません」

「ええ」

「っ……し、沈みゆく船が、海に花を咲かせる――そんな、話でした」


唐突に始まった歌詠みに、ルシアンがやや、目を丸くした。

はぁ、と深くため息をついたガルドが、心底面倒そうな顔をして、どす、とルシアンの横に腰かける。

まだがちりと腕を組んでいる。その視線は、凍ったように固まる職員たちに。


――頭湧いてんのか。……そういう顔だった。が、それを見て、ルシアンが軽く肘でガルドに触れた。


――まぁ、聞いてみようよ。そんなことを言っているかのような、面白そうな顔をガルドに向けたのち、……柔和な微笑でロンドに向き直る。


「ええ、それで?」

「きっ、記録には残せませんでした……海の上でのみ、花開いたからです……。“魔力の爪痕”と、……そう表現した者も、いました」

「なるほど」

「……っう、“美しいからこそ、恐ろしい”と、感じたんです」


ガルドが、天を仰いだ。……こいつら、攻略法を携えてきてやがる、と。

じわりと横の魔術師を見ると、その横顔は、ロンドではなく遥か彼方の海を見ていた。


「あなたの記録に、あの水紋が残ったなら……沈んだ船も、無駄じゃないのかもしれないと――そう、強く思いました」

「…………」


それ以上、加えるでもなく、引くでもなく……(そら)んじ終えたロンドの言葉に、ルシアンが、にっこりと、笑った。

紅茶のカップが静かに持ち上げられる。その指先は揺るぎなく、けれどもどこか、音楽の終わりを告げるように優しかった。


……沈黙。


だが、それは拒絶ではなかった。

伏せられた銀の瞳、頬はわずかに緩み、紅茶を含む唇が柔らかな弧を描き、……ガルドが舌を打つ。ルシアンのその微笑みは、あまりにも“肯定”に近すぎた。


「……こちら、失礼します……」


ロンドから震える手で差し出されたのは、水紋の図案を写した報告用紙だった。目撃した船員たちの記憶を元に、複数の証言を重ねて描き起こされた模写。

円環と……波か、連なる光のような文様。それはたしかに、“美しい”と言いたくなる何かを秘めていた。


ルシアンが手を伸ばし、紙面をそっと撫でる。その指先は、まるで水面をなぞるかのようで。


ロビーの空気がかすかに変わる。まるで、ひとつの扉が風の音とともに開いたような、そんな心地。

赤い瞳が、横目でちらりとルシアンを見る。そして、腕を組んだまま、低く一言。


「……それで?」


ハッと息をのむ音が、気配としてたゆたった。ここからはもう、開いたその先……”無哭”の面前。

ロンドが資料を手にしたまま固まっていたが、思い切ってもう一歩、踏み込んだ。


「はい、……詳細な依頼書をお持ちいたしました」


卓上に置かれた書類群を、ルシアンはすぐには取らなかった。代わりに受け皿にコト、とカップを置き、その紙束へ視線を落とす。

……そして、紅茶を飲んでいた方とは逆の手で、ゆっくりと資料の束を手に取った。


「……くそが」


ぼそり、とともに、ガルドが組んでいた腕を解いた。たっぷりと大きなため息、ついで背もたれに手をかけ、ルシアンの横からその束を覗き込む。

――書類の中から、折りたたまれた紙を抜き取る。ばさ、と広げたそれは近海の海図や図面で、……ともに記された航路記録を眺め、低く、短く、吐き捨てた。


「……水紋の出た座標。全部、地図に起こせ」


職員たちが一斉に息を吸った。


「敗走した奴らが遭遇した場所、そのときの潮流、出せ。船は二隻。一隻は遠くにつけとけ。沈没したらこいつだけでも連れ帰れ」

「しょ、承知しました!」

「すぐ手配をっ……あ、明日朝までにはなんとか!!」


わたわたと頭を下げる職員たちをよそに、ルシアンは再び、そっとティーカップを口元に運ぶ。熱くもない紅茶の香りが、かすかに立ちのぼった。

隣を見れば、心底面倒そうな、けれど窓から海を見据える赤い瞳。


「ふふ、明日は朝から忙しいね」

「…………チッ」


いつもの舌打ちに、ルシアンは柔らかく笑った。


ロビーの空気は、がらりと変わっていた。それは、潮の流れが反転するような、目には見えぬ圧の変化だった。

職員たちは、踵を返しつつも、無言の歓喜を隠しきれずにいた。背筋は伸び、足取りに迷いはない。――濁潮の海に、ひとつ、確かな希望が灯ったのだ。


「地図班、記録班、準備急げ!」

「座標、今すぐ洗い出す!潮境の推移も添えるぞ!」

「失礼いたしました、ガルドさん、ルシアンさん!よ、よろしくお願いします!」


口々に礼を述べながら、職員たちは宿を後にした。

その背が見えなくなってからも、その場にはまだ紅茶の香りが残っている。


窓の外では、午後の日差しが波を撫でていた。静かな港町。けれど、その海の下には、沈んだ船が眠っている。

ガルドが重たげに立ち上がり、窓へと歩を進める。組み直した腕の中で、またため息がひとつ、零れた。


「……結局こうなる」


背中で呟いたその声に、ルシアンはカップを置いたまま、小さく目を細めた。瞳の奥に、次の波を見据えるような静謐(せいひつ)が宿っていた。


沈みゆく美を見届けるために。


恐ろしいほどの情緒に、立ち向かうために。






……夜、ルシアンは、宿の自室の書斎机に座っていた。

小さな革の袋を取り出す。そこに、金貨を四枚入れた。


もうすぐ、ガルドと契約してひと月が経つ。

契約金は、月に金貨五枚。契約の初めに、試し金として、金貨一枚を渡していた。

この一か月は、雇用主に値するか、判断してもらう期間だった。


ガルド自身、それを覚えているのかは定かではない。……だが。


『ひと月、付き合ってやる。それ以上は、その時だ』


契約の際に、試すように言われた時のあの視線を、ルシアンはまだ忘れていなかった。


もちろん、ルシアンがガルドを見限る、という想定もしていた。

だが、粗野な男は思いのほか実直で、こちらの意図を汲み、つかず離れず、それでいて遠慮のない物言いをする。

――心地よかった。


それと同時に、高い実力を持つ彼を、この奇妙な旅に縛り付けておいていいものかと……ルシアンは、そうも思っていた。


「……手放すのもまた一つだね」


きゅ、と革袋の口を閉じる。

選ばれればそれまで。……選ばれなくとも、それまで。


ならば、残り数日を、楽しんで過ごそうと思った。




ガルドは宿屋の前の石段に座り、眼下に見える河口、そしてその先に広がる海を見ていた。

昼にギルドの職員らが来た時も、さっき夕食を食べたときも、ルシアンの口元に浮かぶのは相変わらずの笑みだった。

明日の目的地は、……今は漆黒に広がる大地のように、波を湛えている。


「…………」


ちらりと見上げて、ルシアンの部屋に目をやった。灯りは灯っていて、窓は閉まっている。上着から煙草を取り出せば、しばらく用のなかったそれは、紙箱の角が潰れていた。

……別に控えていたわけではない。元々大して依存もしていなかった。なによりあの魔術師に、こんな匂いは似合わないと思って取り出すこともしなかっただけ。だが今は、気持ちを落ち着けるのに必要だった。


……明確に、戦いに(おもむ)く。


この穏やかな旅路では、縁遠いものだったからこそ、少し心がざわついた。

ぱち、と焚きつけた火種が、煙草の先に朱を灯す。それを咥えたまま、ガルドは再び海へ視線を戻した。


(……水紋、だとよ)


良いように使われたな、と思った。……いろいろな意味でだ。


ひと月付き合ってみて、あの雇用主がどんな男なのか、わかってきていたつもりだった。

等しく柔和な仮面を被っているのかと思えば、無差別に人助けをするような”偽善”の仮面は持ち合わせていない。


誰にでも崩さぬ態度は博愛のようでいて、その実、すべてを平等に切り捨てるかのように一線を引いている。

ならば自分もその”一線”の向こう側かと思いきや、どうやら”内”に入れられているようだ。


前回の星花や、今回の水紋のように……己の琴線に触れる景観や不可思議を追う欲望に忠実かと思えば、迷子の子どもにひそりと寄り添い、道を照らす。


――次々と見えてくる彼は、その度にガンと頭を殴っていくかのよう。宵に浮かんだ紫煙を、夜の潮風がさらっていく。


(……、続きの話、されねぇな)


消えていった煙の名残を目で追いながら、心に浮かんだのは、いつかの契約の言葉。


『ひと月、付き合ってやる』


それを言ったのは、自分だった。だが、その節目を目前にしても、あの男は変わらず微笑んでいる。

変わらず、気ままで。変わらず、優雅で。変わらず、どこか届かない。


「……くそ」


低く呟き、最後の煙を吐き出す。潮風に混じった煙草の香りは、すぐに夜気へ溶けた。

どこかの家の窓が、かすかにきぃ、と軋んだ気がして、火の始末をした。


二階の窓に淡紫の影は見えない。その眼差しが何を見たがっているのかも、まだ自分には捉えきれていない。

ただ、……美しいものを見るために、必要なんじゃないのか、”俺”が、……とも、思う。


「……手放せるもんなら、手放してみろ」


誰にも聞こえない声は、深まった夜にたゆたって消えた。ゴキ、と首を鳴らす。

道を切り開く切っ先として、最初に自分を選んだのは向こうだ。


……ならば、力で証明するだけだった。






――【魔術師を振り向かせるために】

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