【潮待ちの護衛】
夕陽が影を長く伸ばす中、ルシアンとガルドは商船が停泊する港湾へと足を運んでいた。
船乗りや人夫たちが忙しなく走り回る。嵐にも負けない海の男たちの中で、それでもガルドの体躯は目立っていた。
「お、あんたらかい、護衛の冒険者さんは!」
威勢良く、船乗りの男が声をかけてきた。やはり、先日茶屋で見た船乗りの内の一人だった。焼けた肌、赤い髪、人懐っこい笑顔。
向こうはふたりのことなど知らないかもしれないが、ルシアンの風貌にも、ガルドの威圧にも屈していない。それがまた、ルシアンの笑みを穏やかにさせる。
「ええ、よろしくお願いします。護衛対象の船はどちらですか?」
「ああ、こっちだ!いやぁ、先日座礁しちまってなぁ!造船所で修理中なんだ!」
港湾の端に位置する造船所へ向かうと、修理中であろう船は水から引き上げられて、船底が見えていた。
船体はそのままに、破損箇所だけを修理する技法。その作業の終盤だったようだった。
「明日か、遅くとも明後日には修理が終わる見込みなもんでな、夜間の船の護衛は今日だけでいい。まぁどっちにしろ、潮の流れが落ち着かなくて出航できねぇんだがな!」
そう、豪快に笑う。船乗りの男にぺしぺしと叩かれた船体は、水面から引き上げられたまま、乾いた音を立てて波間の風に軋んだ。
「――夜になりゃあ、作業員は全員陸に上がる。たまに部品盗もうとするバカがいるから、それだけ見張ってもらえればいい」
「ええ、わかりました」
ルシアンが船乗りとやりとりをする横で、ガルドが船体をぐるりと回る。
船の甲板までの高さを見上げ、周囲の足場や機材の配置も目に刻む。……もう、癖のようなものだった。
「……船室は施錠されてんだな」
「おうよ。渡し板も外しちまうから、誰も船上には上がれねぇようにしとく」
「ああ、それでいい」
にかっと笑った男は、同僚に声をかけつつ、切り上げの作業へ戻っていった。
造船所の片隅では、すでに荷を下ろされた帆布と木箱が影を作っている。そこに吹き抜ける潮風は、どこか生臭く、いつもと違う湿気を帯びていた。
……すん、とガルドが鼻を鳴らす。
「……潮の匂いが重い」
「……重い?」
怪訝そうにして、ルシアンがその隣に並んだ。それ以上言葉を重ねるでもなく、けれどひとつ頷いて、赤い瞳が港の喧騒の向こう、遥か沖合を見つめる。
「問題ありそうかい?」
「……大丈夫だ」
「そう」
ガルドの視線の先を同じように見つめていたルシアンだったが、その一言を聞いて、すっとそちらに背を向けた。
夕陽に照らされた水平線の下、見えない海底が、まるで静かに脈打っているようだった。
夜になれば、海鳥の声も聞こえなくなった。海へ交わる河口と、そこへ流れていく河川。
潮風と河風が混じって、淡い色合いの外套を揺らす。銀の瞳は、空の月を捉えている。まるで月の光を湛えたかのような、冷たくも穏やかな眼差し。
(――綺麗なもんなんて、鏡見りゃ事足りそうだな)
ふとそう思ったガルドは、……む、と眉を動かして、すぐに視線を逸らした。
周囲に不穏な気配はない。水面も穏やかで、少し夜風が冷える程度。
赤い瞳が船底を見ながら、ぐるりと船の周囲を歩く。長い航海で命を抱く器は、今はただ静かに回復の時を待っていた。
修復途中の箇所で、真新しい擦傷が目に入り、指を伸ばす。指先に、荒い木の感触が触れた。
……座礁したと言っていた。よく商船の通る、この海域で。
「なにかあったのかい」
船体の影にいたガルドに、ルシアンが歩み寄ってきて、隣に立った。
その指先にある擦傷を見て、――瞬きをひとつ。
……ふたつ。
ルシアンの指先も、同じように傷をなぞる。恐らく数日前にできたばかりの傷。
「魔力の残滓があるね。もう消えかかっているけれど」
「……あ?」
ガルドの視線が、淡紫に落ちた。果たしてそれは……座礁、なのだろうか。何も重大ではないことのように、すり、とルシアンの爪の背が、その擦傷を滑っていく。
やがて踵を返したルシアンが、外套の裾を払いながら近くの木箱に座った。その眼差しは……もう船底の傷痕から、興味をなくしている。
今は、月と、水面と、眠った船を愛でていた。
「……お前は……ったく」
ぽつりと呟き、ガルドも船底から指先を払った。残ったのは木のささくれと、わずかな違和感。
――ガルドに、魔力のことは、わからない。だが、ルシアンの言葉を疑う理由もなかった。
しかしだからと言って、それ以上にもそれ以下にもならない。
淡く笑む男が、外套の端を整えて座っている。淡紫の髪が夜風に揺れ、月の光を受けて白く煌めく。船には魔力の残滓が残っている。ただそれだけ。
「部品泥棒が来ねぇと、暇だな」
気づけば口に出していた。
ふ、とルシアンの眼差しがおかしそうに細くなり、それだけで会話が成立したような気がした。
夜が深まり、港の明かりが徐々に減っていく。
潮の音が、少し大きくなった気がした。
――【潮待ちの護衛】




