【剥がれたもの】
道中の野営においても、ルシアンはその飄々とした態度を崩さなかった。
旅慣れない者にありがちな、野宿がどうとか、虫がどうとか、そういう考えは持ち合わせていないらしい。
「さすが、手慣れていますね」
野営地を設えるガルドの横で、ルシアンがそれを眺める。何か手伝いをと申し出たところ、邪魔だ、とガルドに待機を言いつけられていた。
ちらりとそちらを横目で見て、ガルドが小さく鼻を鳴らす。
「……お前、そのむずむずする話し方は、ずっとか」
「…………」
――ひとつ、ルシアンが瞬きをする。
それは、ガルドにとっては何気ない問いだった。
普段であれば人の口調など気にならないが、この同行者に限っては妙な壁を感じ、……それがどうにも隔たりに思えた。
「……と、言いますと」
「……護衛相手に繕ってなんになんだっつってんだ」
「ふむ……」
……すっ、とルシアンが、ガルドの横にしゃがみ込む。
微笑んだ銀の瞳が、責めるでもなく、問い詰めるでもなく、ガルドの視線を奪う。
ほんの少しの沈黙。の、のち。
「――この口調をやめろと言われたのは、初めてだね」
「……、……」
にこり。
それは、これまでの柔和な笑みとは、少し違う笑顔だった。どこか可笑しそうな、ひどく楽しそうな、笑み。
「けれど悪い気はしないね。君のそういった物言いはとても好感が持てるよ、ガルド」
ただそこへ置くように、初めて呼ばれた名前は……優しく緩やかに、手招きをするかのようだった。
ガルドの手が、止まる。薪をくべようとしていた指先が、わずかに空中で留まる。
「……っ、……は……」
肩が小さく震える。
そうして隣から目を逸らし、焚き火に薪を、強めに押し込んだ。
「……急に、馴れ馴れしいな」
吐き出すように言ったその声は、低く、掠れていた。なにも怒っていたわけじゃない。けれど、その一言が内側に何を残したかは――自分でもわかりきっていた。
"名前"を呼ばれることがこんなにも響くなど、思ってもみなかった。
あの銀の瞳が、なんの含意もなく、ただ対等に呼んだだけだというのに。
「……そんな話し方でも、腹の中は割と黒ぇんじゃねぇのか、お前」
ガルドが文句のように言いながら、じろりとルシアンへ視線をやる。そうであってくれ、とも思う。
火の揺らぎに照らされ、屈み込んだ淡紫の髪が、またふわりと揺れていた。
「ふふ、よく言われるよ、なぜか」
「……チッ、調子狂う」
それだけを言い残して、ガルドは緩慢と立ち上がる。空になった水袋を持って、川の方へと向かう足。
背中に柔らかな視線を感じ、これがまたむず痒い。
だがその一歩は、なぜか昨日よりも、少しだけ軽く感じられた。
何日かそうして街道を歩いてきて――ガルドは改めて、隣の男を見据えていた。
野営を何度か挟んだ。脅威ではなかったが、魔獣とも何度か遭遇した。
旅慣れていないお坊ちゃんだからこそ雇われたと思っていたが、ルシアンはそういったことにも眉ひとつ動かさない。
風のように抗わず、流れるようにそこにある。――どうにも、これまで関わったどの人種とも違う男だった。
かと思えば、様々なものに興味を持った。野草の種類、魔獣の生態、土地に残る人工物の過去。
そうしてその合間にも、銀の瞳はガルドを見る。
その穏やかな声で、ガルドの名を呼ぶ。少しずつ、こちらの中に居場所を作っていくように。
「ねぇ、ガルド」
背を向けていたルシアンが柔らかく振り返り、またひとつ呼ばれる名前。
ガルドがほんの一瞬、びくりと目を見開く。……見ていたのがバレたかと思った。
「この辺りにしか咲かない花があると聞いたことがあるんだけど、君は知っているかい?」
「……は、」
――花。
正直ガルドには門外漢の話題だったが、ソロで活動していた冒険者として、噂だけは聞いたことがあった。
「……ああ。わかる、多分」
わずかに声を落として、ガルドが応じる。
その視線はまだ逸らされたままだったが、確かに"答える"という選択をしていた。
「ちっと戻るが、街道から外れて東側の丘の上だな。……この時期なら、咲いてるはずだ」
「本当かい?」
「……いや、多分な」
確か――淡く白い花弁。夜明け前にだけ開き、陽が昇る頃には閉じてしまう……誰が呼んだか"朝隠し"。
採ることも売ることも難しいが、珍しいもの好きには知られた存在だった。
「……そんなもん、見てどうすんだよ」
ぼそりと付け足したガルドの問いは冷やかしではなく、ただ純粋な疑問だ。
比較的安全な街道を外れて、わざわざ寄り道をしてまで"花を見に行く"などという行為が、これまでの自分の人生には存在しなかった。
けれど、ルシアンの返答を待つまでもなく、もうわかっている気もした。
この男は、そういうものを見るために旅をしている。美しいもの。珍しいもの。知られざるもの。
戦うためでも、守るためでも、稼ぐためでもなく――ただ、"見るため"に。
「……物好きな旅路だな」
「ふふ、慣れてもらわないとね」
舌打ちをしながらも、歩みは止まらない。足取りを切り替えて、街道から丘へと続く獣道へ。
赤い瞳は、ちらりと雇用主を横目に捉える。彼は案内を疑うこともせず、互いの外套の端が触れるか触れないかの距離で、名も知らぬ白い花の群生地へと向かっていた。
――【剥がれたもの】




