【剥がれたもの】
野営においても、ルシアンはその飄々とした態度をくずさなかった。
野宿がどうとか、虫がどうとか、そういう考えはないらしい。
「さすが、手慣れていますね」
野営地を設えるガルドの横で、ルシアンがそれを眺める。手伝いを申し出たところ、邪魔だ、とガルドに待機を言いつけられていた。
ちらりとそちらを横目で見て、ガルドが小さく鼻を鳴らす。
「……お前、そのむずむずする話し方は、ずっとか」
それは、何気ない問い。
普段であれば人の口調など気にならないが、どうにも隔たりを感じた。
すっ、とルシアンが、ガルドの横にしゃがみこむ。
微笑んだ銀の瞳が、責めるでもなく、問い詰めるでもなく、ガルドの視線を奪う。
ほんの少しの沈黙。の、のち。
「――この口調をやめろと言われたのは、初めてだね」
にこり。
それは、これまでの柔和な笑みとは、少し違う笑顔だった。どこか、おかしそうな、楽しそうな、笑み。
「けれど悪い気はしないね。君のその物言いは、とても好感が持てるよ、ガルド」
初めて呼ばれた名前は、優しくゆるやかに、手招きをするかのようだった。
ガルドの手が、止まった。薪をくべようとしていた指先が、わずかに空中で留まる。
「……っ、……は……」
肩が小さく震える。
そして、隣から目を逸らし、焚き火に薪を、強めに押し込んだ。
「……急に、馴れ馴れしいな」
吐き出すように言ったその声は、低く、掠れていた。
怒っていたわけじゃない。
けれど、その一言が内側に何を残したかは――自分でも分かりきっていた。
“名前”を呼ばれることが、こんなにも響くなど、思ってもみなかった。
あの銀の瞳が、責めも命令もなく、ただ“対等に呼んだ”だけだというのに。
「……そんな話し方でも、腹の中は割と黒ぇんじゃねぇのか、お前」
横目でちらりと見る。そうであってくれ、とも思う。
火の揺らぎに照らされ、しゃがみこんだ淡紫の髪が、またふわりと揺れていた。
「ふふ、よく言われるよ、なぜか」
「……チッ、調子狂う」
それだけ言い残して、ガルドは立ち上がる。空になった水袋を持って、川の方へと向かおうとする足。
背中に柔らかな視線を感じる。むずかゆい。
だがその一歩は、なぜか昨日よりも、少しだけ軽く感じられた。
何日か、そうして街道を歩いてきて――、ガルドは改めて隣の男を見据えていた。
野営を何度か挟んだ。弱いが、魔獣とも何度か遭遇した。
旅慣れていないお坊ちゃんだからこそ雇われたと思っていたが、ルシアンはそういったことにも眉一つ動かさなかった。
風のように抗わず、流れるようにそこにある。――どうにも、これまで係わったどの人種とも違う男だった。
かと思えば、様々なものに興味を持った。野草の種類、魔獣の生態、土地に残る人工物の過去。
そして、その合間にも、銀の瞳はガルドを見る。
その澄んだ声で名前を呼ぶ。少しずつ、こちらの中に居場所を作っていくように。
「ねぇ、ガルド」
ふいにルシアンが振り返り、また名前を呼んだ。
ガルドがほんの一瞬、ビクリと目を見開く。見ていたのがバレたかと思った。
「この辺りにしか咲かない花があると聞いたことがあるんだけど、君は知っているかい?」
――花。
正直ガルドには門外漢の話題だったが、ソロで活動していた冒険者として、噂だけは聞いたことがある。
「……ああ。わかる、多分」
わずかに声を落として、ガルドが応じた。
その視線はまだ逸らされたままだったが、確かに“答える”という選択をしていた。
「街道から外れて東側、丘の上。……この時期なら、咲いてるはずだ」
「本当かい?」
「……いや、多分な」
淡く白い花弁。夜明け前にだけ開き、陽が昇る頃には閉じてしまう。
誰が呼んだか“朝隠し”。
採ることも売ることも難しいが、美しいもの好きには知られた存在だった。
「……そんなもん、見てどうすんだよ」
ぼそりと付け足した問いは、冷やかしではない。ただ、純粋な疑問だった。
比較的安全な街道を外れて、わざわざ寄り道をしてまで――“花を見に行く”などという行為が、これまでの自分の人生には存在しなかった。
けれど、ルシアンの返答を待つまでもなく、もう分かっている気もした。
この男は、そういうものを見るために旅をしている。美しいもの。珍しいもの。知られざるもの。
戦うためでも、守るためでも、稼ぐためでもなく――ただ、“見るため”に。
「……物好きな旅路だな」
「ふふ、慣れてもらわないとね」
舌打ちをしながらも、脚は止まらない。足取りを切り替えて、街道から丘へと続く獣道へ。
赤い瞳は、ちらりと銀を横目に捉える。彼は案内を疑うこともせず、肩先に触れるか触れないかの距離で、名も知らぬ白い花の群生地へと向かっていた。
――【剥がれたもの】




