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ルシアンの物見遊山  作者: フジイさんち
潮風の地にて
48/53

【明くる夜】


朝食を終えて宿を出る。


街は朝を少し過ぎていて、けれどまだ昼の陽気はなかった。

昨夜とは断絶された、昼の世界。だが確かに、昨日と何も変わらない街だった。


冒険者ギルドへの道を歩く。今日は少し、のんびりと街を歩いてもいいかもしれない。


「報告書をだしたら、市場の露店を見にいっても?」


隣を歩く護衛に許可を取ると、ちらりと横目で見られた。


「……また変な奴に絡まれるぞ」


言外の、”俺も行く”が滲む。ルシアンの表情が、ふわりと微笑んだ。


冒険者ギルドは今日も朝から賑わっていて、生に溢れていた。

大扉を開けてルシアンらが現れると、一瞬だけ静まり、しかしまたすぐに空気が戻る。皆、慣れてきたようだった。


ルシアンは依頼掲示板を覗きに。

ガルドは依頼報告のために、受付担当の男性のもとへいった。


「お、おはようございます、ガルドさん」

「ああ……港の迷子の件だ」

「はっはい」


依頼書を受付に置き、ガルドがそのままカウンターに肘をついた。

受付担当が慌てて調書を取り出し、ペンを手に持つ。


「……生きた奴じゃなかった。現場で鎮静処置、消失確認済み。目撃証言との一致あり」


受付の男性は一瞬だけ眉を動かしたが、すぐに表情を戻す。勤務が長い職員ほど、“そういう事案”があることを知っている。


「あの近辺で、子どもの落水事故は」

「……ありました、三年ほど前に、当時八歳だった少年が……遊んでいて」

「身体はあがってんだな」


こくり、と受付の男性が頷けば、ガルドも納得したように頷いた。……心だけが、あそこに置き去られていたのだろう。


「ならこの件はしまいだ」

「……承知しました。霊的反応の鎮静処置とのこと、……“霊障の懸念なし”と記録いたします」


淡々と、だが敬意を込めて処理を進める手元。

ガルドはそれを黙って見届けた。


「報酬対象外。依頼達成度も、未満でいい。備考欄に記録残しとけ」

「はい。……ご対応、ありがとうございました」


帳簿に書き込まれた文字は、ほんの数行。

だがその背後に、ひとつの夜と、一人の子どもの“帰り道”があった。


ぺこ、と一つだけ会釈を受けて、ガルドは身体を起こし、背後を振り返る。依頼掲示板の前、ルシアンは指先で何かをなぞるように、依頼書の角を押さえている。

その表情は柔らかく、そしてどこか“終わり”の余韻を纏っていた。


(……んな顔してっから、変な奴が寄るんだ)


そう思いながら、ガルドはゆっくりと彼のもとへ戻っていった。

昼の街は、すでに次の営みへと動き出していた。




「あ、ガルド。ほら見て」


戻ってきたガルドに気づいたルシアンが、掲示板から離れながらも、依頼書を一枚見せてきた。

また面倒ごとか、と、ガルドの眉が一瞬だけ寄る。




――《潮待ちの護衛》

【依頼内容】

潮流の関係で出航を見合わせている商船の停泊中護衛を行う。船体は修理中。夜間の船体の安全確保を目的とする。


【目標】

・指定された商船の監視と異常発生時の対応

・部品の盗難防止


【報酬】

銀貨三十枚


【注意事項】

・護衛時間は日没後~日の出前までとする

・船員は夜間、全員陸上にて待機のため、船は完全に無人となる




「これ、あの座礁した人たちの依頼だろうか?」

「……お前の”お気に入り”か」

「あ、ねぇ、ふふ、からかってるでしょう」


依頼書を掲示板に戻しながら、ルシアンが笑う。

その親しげな応酬に、周囲の目が少し集まる。


「ちょっと見つけただけだよ。行こう。市場、着いてきてくれるんだろう?」


歩き出しながらも、する、とその手が、ガルドの外套を揺らした。

ガルドの肩が、わずかに揺れる。振り返ることなく、そのまま隣に並び、低く応じた。


「……ああ。行く」


言葉以上に、その歩幅が物語っていた。手を伸ばせば届く距離、……けれど触れない距離。

しかしその外套の揺れは、確かに“呼ばれた”感触を残していた。


「…………」


通り過ぎざま、ガルドの視線が一瞬だけその依頼書に流れる。

陽気な海の男たち。港の茶屋で、ほんのわずかな時間だったが、ルシアンを楽しませたその喧騒。

あの賑やかさは、……ガルドもまた、嫌いではなかった。


ギルドの外、通りを歩けば、遠くで街の鐘の音が鳴った。朝の終わりを告げるように、ゆっくりと、静かに。

市場の通りは、朝よりも少しだけ賑わいを増している。香草、果実、干した魚、焼いた貝の香り。陽が高くなるにつれて、人の流れも早くなる。


ルシアンは、それをまるで絵のように眺めながら歩く。たまに立ち止まっては、小さな花飾りを見て、また別の屋台で干し果物の試食を勧められる。


黙って一歩後ろから、ガルドもそれを見ている。何を買うでもなく、何に惹かれるでもなく。

けれど確かに“守る”という行為の中にいた。

潮風にふわりと揺れる淡紫の影。笑みを浮かべる銀の瞳。そして、知らない誰かと交わす、優しい声。


(……お前は、どこにいても馴染むな)


……その傍らに立っている自分を、誰も咎めないこの街を……悪くないとも思った。


「……あとで、あの依頼受けるか。今夜も暇だろ」


ガルドの声に、ルシアンが振り返って意外そうに微笑んだ。


「ふふ、君の方こそこの街が気に入ったんじゃないのかい」

「……るせぇ」


舌打ち混じりの悪態に、ルシアンがまた笑った。香草の籠をひとつ指でなぞりながら、何も言わず。

その笑みには、からかわれているような、受け入れられているような、両方の色が混じっている。


「……言っとくが、街の飯が悪くねぇってだけだ」


そう続けながら、ガルドの赤い瞳が人混みの先へ向く。

活気。喧噪。すれ違う商人。行き交う市民。生に満ちた空気。


「うん、そうだね」


ぽつりと柔らかな声が落ちて、ルシアンがくるりと踵を返す。

また何か面白いものでも見つけたのか、遠くの屋台へと歩き出した。

陽光の下、風をはらむ淡紫がまた、揺れる。


ガルドは一歩遅れて歩き出す。そして気づかれぬように、ごくわずか、口元を緩めた。


日が高くなる昼の市場。

ふたりの旅人は、今日も確かに、この街の空気に溶けていた。






——【明くる夜】

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