【明くる夜】
朝食を終えて宿を出る。
街は朝を少し過ぎていて、けれどまだ昼の陽気はなかった。
昨夜とは断絶された、昼の世界。だが確かに、昨日と何も変わらない街だった。
冒険者ギルドへの道を歩く。今日は少し、のんびりと街を歩いてもいいかもしれない。
「報告書をだしたら、市場の露店を見にいっても?」
隣を歩く護衛に許可を取ると、ちらりと横目で見られた。
「……また変な奴に絡まれるぞ」
言外の、”俺も行く”が滲む。ルシアンの表情が、ふわりと微笑んだ。
冒険者ギルドは今日も朝から賑わっていて、生に溢れていた。
大扉を開けてルシアンらが現れると、一瞬だけ静まり、しかしまたすぐに空気が戻る。皆、慣れてきたようだった。
ルシアンは依頼掲示板を覗きに。
ガルドは依頼報告のために、受付担当の男性のもとへいった。
「お、おはようございます、ガルドさん」
「ああ……港の迷子の件だ」
「はっはい」
依頼書を受付に置き、ガルドがそのままカウンターに肘をついた。
受付担当が慌てて調書を取り出し、ペンを手に持つ。
「……生きた奴じゃなかった。現場で鎮静処置、消失確認済み。目撃証言との一致あり」
受付の男性は一瞬だけ眉を動かしたが、すぐに表情を戻す。勤務が長い職員ほど、“そういう事案”があることを知っている。
「あの近辺で、子どもの落水事故は」
「……ありました、三年ほど前に、当時八歳だった少年が……遊んでいて」
「身体はあがってんだな」
こくり、と受付の男性が頷けば、ガルドも納得したように頷いた。……心だけが、あそこに置き去られていたのだろう。
「ならこの件はしまいだ」
「……承知しました。霊的反応の鎮静処置とのこと、……“霊障の懸念なし”と記録いたします」
淡々と、だが敬意を込めて処理を進める手元。
ガルドはそれを黙って見届けた。
「報酬対象外。依頼達成度も、未満でいい。備考欄に記録残しとけ」
「はい。……ご対応、ありがとうございました」
帳簿に書き込まれた文字は、ほんの数行。
だがその背後に、ひとつの夜と、一人の子どもの“帰り道”があった。
ぺこ、と一つだけ会釈を受けて、ガルドは身体を起こし、背後を振り返る。依頼掲示板の前、ルシアンは指先で何かをなぞるように、依頼書の角を押さえている。
その表情は柔らかく、そしてどこか“終わり”の余韻を纏っていた。
(……んな顔してっから、変な奴が寄るんだ)
そう思いながら、ガルドはゆっくりと彼のもとへ戻っていった。
昼の街は、すでに次の営みへと動き出していた。
「あ、ガルド。ほら見て」
戻ってきたガルドに気づいたルシアンが、掲示板から離れながらも、依頼書を一枚見せてきた。
また面倒ごとか、と、ガルドの眉が一瞬だけ寄る。
――《潮待ちの護衛》
【依頼内容】
潮流の関係で出航を見合わせている商船の停泊中護衛を行う。船体は修理中。夜間の船体の安全確保を目的とする。
【目標】
・指定された商船の監視と異常発生時の対応
・部品の盗難防止
【報酬】
銀貨三十枚
【注意事項】
・護衛時間は日没後~日の出前までとする
・船員は夜間、全員陸上にて待機のため、船は完全に無人となる
「これ、あの座礁した人たちの依頼だろうか?」
「……お前の”お気に入り”か」
「あ、ねぇ、ふふ、からかってるでしょう」
依頼書を掲示板に戻しながら、ルシアンが笑う。
その親しげな応酬に、周囲の目が少し集まる。
「ちょっと見つけただけだよ。行こう。市場、着いてきてくれるんだろう?」
歩き出しながらも、する、とその手が、ガルドの外套を揺らした。
ガルドの肩が、わずかに揺れる。振り返ることなく、そのまま隣に並び、低く応じた。
「……ああ。行く」
言葉以上に、その歩幅が物語っていた。手を伸ばせば届く距離、……けれど触れない距離。
しかしその外套の揺れは、確かに“呼ばれた”感触を残していた。
「…………」
通り過ぎざま、ガルドの視線が一瞬だけその依頼書に流れる。
陽気な海の男たち。港の茶屋で、ほんのわずかな時間だったが、ルシアンを楽しませたその喧騒。
あの賑やかさは、……ガルドもまた、嫌いではなかった。
ギルドの外、通りを歩けば、遠くで街の鐘の音が鳴った。朝の終わりを告げるように、ゆっくりと、静かに。
市場の通りは、朝よりも少しだけ賑わいを増している。香草、果実、干した魚、焼いた貝の香り。陽が高くなるにつれて、人の流れも早くなる。
ルシアンは、それをまるで絵のように眺めながら歩く。たまに立ち止まっては、小さな花飾りを見て、また別の屋台で干し果物の試食を勧められる。
黙って一歩後ろから、ガルドもそれを見ている。何を買うでもなく、何に惹かれるでもなく。
けれど確かに“守る”という行為の中にいた。
潮風にふわりと揺れる淡紫の影。笑みを浮かべる銀の瞳。そして、知らない誰かと交わす、優しい声。
(……お前は、どこにいても馴染むな)
……その傍らに立っている自分を、誰も咎めないこの街を……悪くないとも思った。
「……あとで、あの依頼受けるか。今夜も暇だろ」
ガルドの声に、ルシアンが振り返って意外そうに微笑んだ。
「ふふ、君の方こそこの街が気に入ったんじゃないのかい」
「……るせぇ」
舌打ち混じりの悪態に、ルシアンがまた笑った。香草の籠をひとつ指でなぞりながら、何も言わず。
その笑みには、からかわれているような、受け入れられているような、両方の色が混じっている。
「……言っとくが、街の飯が悪くねぇってだけだ」
そう続けながら、ガルドの赤い瞳が人混みの先へ向く。
活気。喧噪。すれ違う商人。行き交う市民。生に満ちた空気。
「うん、そうだね」
ぽつりと柔らかな声が落ちて、ルシアンがくるりと踵を返す。
また何か面白いものでも見つけたのか、遠くの屋台へと歩き出した。
陽光の下、風をはらむ淡紫がまた、揺れる。
ガルドは一歩遅れて歩き出す。そして気づかれぬように、ごくわずか、口元を緩めた。
日が高くなる昼の市場。
ふたりの旅人は、今日も確かに、この街の空気に溶けていた。
——【明くる夜】




