【潮騒と迷子の依頼】
白水門の街、セレフィーネ。
まだ少し、ルシアンとガルドの存在は、この街から浮いて見えた。
優雅な佇まいの中性的な男と、赤い眼光の巨躯の戦士。名を囁かれるのは圧倒的にガルドだったが、注目を集めるのはルシアンだった。
無哭の隣にいる男。無哭を従える貴族風。そんな無遠慮な視線が集まるが、ルシアンが湛える笑みで消えていく。
――くそ共が、とガルドも思うものの、……生憎今はそれどころではなかった。
目の前を歩くルシアン。
その街中用の軽装は、旅装のローブとは違い、少し短い腰の丈。ちょっとでも風が吹けば、ひらめく。
吹くな風……そう思う自分と、あの防具をつけているのかを見るには風しかない、と思う自分と。
せめぎ合う思考のせいで、より人相が険しくなり、人波が避けていく。
「依頼の選別はガルドに頼もうかな?」
ギルド正面の大扉に手をかけながら、ふいに振り返ったルシアンが……険しい顔をする護衛を見て、ほんの少し驚いた顔をしていた。
「ど……どうしたんだいガルド、依頼やめておく?」
「……ああ、いや、行く」
低く返し、顔を背けるようにしたガルドの手が、ルシアンを越えてギルドの大扉にかかった。
ギ、と扉が引かれて開け放たれれば、ギルドホールの空気がわずかに変わる。
朝のギルドは、これから依頼へと向かう冒険者たちで活気に満ちている。船旅の護衛を受ける者や、ここから内地に向けて発つ者ものなど、行き先は様々だ。
そんな数多の目が、ちらとふたりに向く。
「ほら、言ったろ無哭だ」
「街に滞在してるって、本当だったのか」
まことしやかに名を囁かれるが、今のガルドには関係ない。聞こえているが、聞こえていない。なぜなら何度も言うが、それどころではない。
(……、着てるに決まってんだろ。何想像してんだ、俺は……)
もうそればかりがガルドの頭を渦巻く。小さく舌打ちし、依頼掲示板へと歩を進める大きな背中。
後ろからは、柔らかな足音。にわかに振り返れば、ルシアンはまた柔和の仮面を浮かべていた。
その"ぶれなさ"に、……わずかにガルドの頭が落ち着く。そうだ、こいつはこうしていつもの通りだ。勝手に動揺して、どうかしていた。
――ふう、と深く息をつき、ガルドが掲示板に目を通した。
美しい景色、不思議な場所。森、虹、遺跡、花、秘境、月、廃墟。まだいまいちわからないものの、ルシアンの琴線にかかりそうなワードを一瞥で探していく。
しかしながら当然、そんな珍妙な依頼など簡単に転がっているものでもない。まぁそうだろうなと片眉を上げて隣を見れば、同じように興味をなくした銀の眼差しがあった。
これは聞き込みをした方が早いか、と思った矢先、ガルドの目が一つの依頼に留まる。
――《港の迷子:星を見上げる子》
【依頼内容】
港湾区域にて、夜間に目撃されていた子どもが所在不明となっています。
直近では星を見ながら港に座っていたとの証言あり、数日前を最後に姿が確認されていません。
周辺の聞き込みと現場確認をお願いします。
【目標】
・港湾区域の巡回および子どもに関する聞き込み
・目撃情報の記録と、当人の発見(または安全確認)
【報酬】
銀貨二十枚(当人発見時)
※情報提供のみの場合は銀貨十枚
【注意事項】
・対象は八~十歳程度、性別不明(帽子と上着のみ特徴)
・夜間のみ出現との報告もあり。昼間の活動では発見困難と推測される
・水際に立ち入る際は安全に留意のこと
【備考】
・"子どもを見た"という証言の多くが「声はかけられなかった」との内容
・ギルドとしては「迷子の保護」扱いとし、緊急性は低と判断
「……またガキか」
「うん?」
ガルドの呟きに気づいたルシアンが、隣から依頼書を覗きこんできた。
黙してそれを読み込んだ後に、隣のガルドを見上げる。
「いいよ、探してあげよう」
「……、……」
美しい景色はない。不思議なこともない。それでもルシアンがそう言ったのは、隣の護衛が"見捨てられない"男だからである。
ルシアンの静かな提案に一拍置いて、……ガルドが無造作に依頼書を引き抜き、受付の男性のもとへ歩いていく。
ごつごつと石床が重そうな音を立てる。受付の男性は、ふたりが近づいたのを見てわずかに背筋を伸ばしていた。
「お、おはようございます」
「おはようございます」
男性の緊張した声色に挨拶を返したのは、ルシアンのほうだった。にこり、と向けられた笑みに、受付男性から少々ほっとした気配が返る。
"無哭"は愛想のひとつも振りまかないまま、カウンターにぺらりと依頼書を置く。それを見て男性は、……目を見開いた。
「っ……港の迷子ですね。ご対応、助かります」
緊急性も高くない。報酬金も雀の涙ほど。そんな迷子などいるのかいないのかもわからない依頼。――当然、受け手もいなかった。
手際よく控えを取りながら、確認事項を読み上げる。
「こちら夜間の依頼です。調査範囲は港湾南から西区の埠頭付近が中心となります。水際への立ち入りは、十分ご注意を」
「……ああ」
低く返ってきた声に、受付男性が一度だけ視線を上げた。
……無哭のガルド。指名だろうがなんだろうが、気に入った依頼しか受けないAランカー。
それが低ランクの魔術師を引き連れ、行動を共にしているという噂は……ここセレフィーネ支部にも届いていた。
ちら、と隣のルシアンにも目を向ける。こちらは、依頼など興味もないかのように、ギルドの中を観察などしている。……ということは、この迷子の依頼は無哭が……?
がちり、と依頼書に判を押し、用紙をその面前に差し出せば、赤い瞳はそこを一瞥だけで確認してかさりと依頼書を手に取った。
「行くぞ」
「うん」
ふたりの間に交わされる言葉は短く、関係性は透けて見えない。歩き出す無哭の後ろを、淡紫が緩やかに追っていくだけ。
受付の後ろで手を止める書記官、視線を向ける職員。冒険者らの目もまだ集う。
けれど、当のふたりはそれに気づかず、または気にせず、大扉を軋ませて出ていった。
「……じゃあ、明るいうちに聞き込みでもしようか」
ギルド前の通りを歩きながら、そう切り出したのはルシアンだった。目線は通りの先、港湾区域に向いている。隣の淡紫を見下ろし、ガルドも同じように視線をそちらへ向ける。
潮の匂いがまたひとつ、濃くなっていた。
午前中から昼にかけて港湾区域で聞き込みをした結果、集まった証言はこうだった。
「噂は聞きますよ。商船の船乗りが良く見てるようで」
「この辺りの子どもじゃねぇなぁ。街では見ない顔だ」
「迷子ってより、ありゃあいたずら小僧ですよ。停泊中の船の上で星を見てる」
「あんな小さい子どもを夜に出歩かせるなんて、親は何考えてんだか」
「時間?日暮れすぐって噂も聞くし、夜半過ぎに見たって奴もいたなぁ。なんか探してんのかね」
「数日前から見なくなったわねぇ」
ルシアンとガルドが、目を合わせる。
いたずら小僧。……どうやら、少年のようではあるが、それ以外の人定事項が何一つ掴めない。
加えて、街では見ない顔――ということは、商船の子どもか、旅行者の子どもか。
不思議なのは、街の衛兵隊や冒険者ギルドに、保護者らしき人物からの行方不明者の届けがされていないことだった。
何にしろ最悪の場合、波にさらわれたか、誘拐されたか。
ガルドの瞳が、停泊する商船や積み荷をじろりと睨んでいく。……が、そんな中で思い出したように、ルシアンを見下ろした。
「……おい」
「うん?」
「あれ、なんだ……感知?だかなんだかは、使えねぇのか」
「感知魔法かい?残念だけど、人が多すぎて特定ができないよ。知ってる人ならまだしも、知らない人を見つけることはできない」
「そうか」
大してあてにもしていなかったのか、ガルドはそれっきり、すんなりと周囲に向き直った。
ルシアンが港の柵に手をつき、視線を遠くの水面へ投げる。昼の海は穏やかで、帆を降ろした商船の影が、ゆらゆらと波間に揺れていた。
「港のどこかに隠れているんだろうか」
「……ガキ一人消えるには、十分すぎる広さだ」
漠然とした気配。多くの人に知られながらも、名は知られずに、夜の空を見上げる子ども。
ガルドは、自分がかつてそうだったわけでもないのに、妙に引っかかるものを覚えていた。
「……まぁ、ごちゃごちゃ考えたって仕方ねぇ。どうする」
「ううん、そうだね……お昼を食べてから、夜まで宿で仮眠を取ろうか」
「……だな。……飯は……」
低く返事をしたガルドが、くるりと周囲を見回した。港の端に小さな浜焼きの店が見える。
煙突からはうっすらと煙が上がり、香ばしい焼き魚の香りが風に混じっていた。
この護衛の嗅覚には、一定の信頼がおける。そちらを顎で示したガルドの視線の先を見て、ルシアンも微笑んで頷いた。
店は落ち着いた雰囲気で、船乗りや人夫たちの憩いの場でもあるようだった。
日焼けをし、髪も淡く、そして豪快に笑う者たち。
街中ではなかなか感じられない新鮮な空気に、ルシアンはガルドを見上げて笑う。
――"気に入った"。そういう顔だった。
席に着けば一瞬だけ視線は集めたものの、みなすぐにそれぞれの話に戻っていく。
「いらっしゃいませ!今日のおすすめはギラガの炭焼きです!今朝獲れたばかりで!」
「いいですね、ではそれを」
店員のすすめに、ルシアンも一言で決める。旅先の料理は、その料理屋が一番知っている。おすすめを注文するのは、一種の楽しみだった。
「ギラガって、川魚だっけ」
ルシアンの視線が、ガルドを向く。他愛のない話……しかしそれすらも楽しむようなこの男。
「……ああ、確かな。海が混じる辺りにも来るらしいから、その辺で獲れたんじゃねぇか」
応じながら、ガルドも壁に掛かった手書きの品札をざっと見渡していく。そこには、港の茶屋らしい簡潔な文字が並んでいた。
ギラガ、ハゼロウ、潮蒸し芋、香草塩焼き、干し貝と野菜の煮込み――どれも土臭さと潮気の混ざった、港の男たちが好みそうなものばかりだ。
手元に水の入った木のカップが置かれれば、ガルドはそれを無造作に手に取り、ひと口飲んで続けた。
「骨は多いが、味は悪くねぇ。食ってりゃ、骨ごと慣れる」
「ふふ、君の"悪くない"は期待できるって知ってるかい?」
「…………」
む、と赤い視線を向けた先で、ルシアンがやわく目を細める。ガルドがそうして料理の話をするのが、なんとなく珍しかったのかもしれない。
……渋面になって、護衛は視線を逸らした。
やがて、香ばしい匂いが一層強くなる。
皿に乗せられた炭焼きの魚と、温かい付け合わせの芋。目の前に置かれると、湯気の合間に魚の皮がぱちぱちと音を立てた。
「……余計なことばっか言いやがる」
ひと息ついて、串を手に取る。くす、と漏れた笑い声に、赤い瞳がちらと正面を盗み見た。
「お前が食ってると、なんでも上品に見えるな」
ため息混じりにそう言いながら、ガルドが焼き魚の背をぐっと噛み千切る。
それだけで、茶屋の喧騒がどこか柔らかく聞こえた気がした。
――【潮騒と迷子の依頼】




