【ついの声】
中継都市セレスを発って、ルシアンとガルドが街道をゆく。
壁画があるという村跡へは、街道を歩いて三日ほどかかった。
ルシアンは、乗合馬車を使わない。
街道を渡る風も、時たま降る雨も、野営でしか見れない星空も、すべてが彼にとっての"美しいもの"だからだ。
そして、こうした気ままな道中にも、隣の護衛は片眉を吊り上げながら付き合ってくれる。
魔獣を狩り、雨を凌ぎ、火を熾し、道の先に立つ。――なんとも頼もしい限りだった。
やがて街道沿いの緩い斜面にぽつぽつと村の跡地らしきが見え始め、ルシアンが歩みを緩めた。
革鞄から取り出した依頼書を、手元でまた開く。
――《村跡旧壁画の保全調査》
【依頼内容】
郊外村跡に残る旧壁画の保存に向け、簡易魔力干渉による反応調査を行う。記録補助と構図把握も担当。
【目標】
・魔力による色素反応の確認
・壁面劣化箇所の記録
・描写内容の特定補助
【報酬】
銀貨五十枚(成果に応じ追加報酬あり)
【注意事項】
・壁面への接触は禁止
・通行人対策として布幕設置予定
「あの村跡かな、ガルド」
「……みてぇだな」
街道から外れて荒れ切ったその土地に踏み入れば、恐らく家が建っていたであろう場所には、石組みの基礎だけが残っていた。
風化して崩れた木柵が、草の生い茂る区画を囲っている。畑だったような場所は、今はただ自然に戻りつつあった。
山の斜面に向かって石垣が段々に登っていく。各段に、家の基礎や納屋の跡がみられる。
人の手を離れて、――恐らく二十年やそこらといったところか。
「壁画、どこだろう」
斜面の中ほどで、ルシアンは少し高い石段に上って周囲を見回していた。後ろをついていたガルドも、ぐるりと軽く視線を巡らせる。
山裾を見渡すように目を走らせていた赤い瞳が――、ふと顎をしゃくった。
「……あそこ、崖んとこ。なんか描いてねぇか」
「うん?」
ガルドにつられて見上げた視線の先、段々畑の一番上――斜面の岩肌がむき出しになった一角に、確かに何かの痕跡が見える。
ふたりが朽ちかけた石の階段を上がって近づけば、それは自然にできた風化の模様ではなく、明らかに意図をもって描かれた線だ。
白い顔料のようなものが、岩面いっぱいに伸びている。
「……壁画、だね」
ところどころで塗料が剥がれ落ちてはいるが、空を見上げる人のような形と、その空と思しき部分には、いくつもの台形のような文様。
上下には線刻のような細かい模様もあり、一定の意味をもつ図像構成であることが見てとれた。
ガルドが、壁画とルシアンを交互に見やりながら、ぽつりと口を開く。
「……まぁ、よくわかんねぇな」
そんな声にルシアンが小さく笑い、さらに一歩壁画へ近づいた。岩に残された描線が、銀の瞳に映り込む。
風が吹き、淡紫の髪を揺らす。
どこか、長い時間の流れを、黙って受け止めるような佇まいだった。
壁画から少し石段を下った場所、かつて家があった基礎に、ガルドは夜のための野営地を張っていた。
――ガルドは、恐らく元来世話焼きだった。
それでもこれまでの冒険者人生において単独行動が多かったのは、単純に他人といるのは居心地が悪かったため。
干渉、詮索、拘束、支配、そのすべてを厭い、人との関わりも最低限。ゆえに評された。"人嫌い"だと。
だがこの雇用主が、なんとも絶妙な距離感を保つ。
黙々と拠点を張るガルドの傍らで、ルシアンが少々不服そうにしゃがみ込んでいる。薪集めはとっくに終わり、現在その身は手持ち無沙汰。
何か手伝おうかと護衛に声をかけたところ、あからさまな渋面を向けられ、黙って待機中である。
教えるのが面倒か、怪我をされるのが面倒、といったあたりか。
……まったく、この護衛がいなければ軽率に野垂れ死にそうだなと、ルシアンは小さく息をつく。
「……今度、君に天幕張りでも教えてもらおうかな」
着々と拠点を張っていくガルドを見ながら、やわい声がひとりごちる。この拠点設営が終わったら、次は壁画の幕張りらしい。
赤い瞳が一度だけちらりとこちらを見て、鼻で笑った。
「そのへんで景色でも見てろ」
――低く短い命令のような声音。ルシアンは笑って、小さく首を傾げた。
ガルドはその様子をちらりと確認こそすれど、荷を解く手は止めなかった。
地面を均し、崩れかけた石垣の内側に布を敷き、枯れ枝と小石で簡易の風除けを設ける。
一見無骨にも見える指先が、慣れた手順で細かな作業を進めていく。
焚き火の位置、風向き、視界の開け方。すべてに無駄がない。
そのひとつひとつが、長年の経験に裏打ちされた生き残るための手際だ。
「……こっちは安くねぇ報酬貰ってんだ」
ぽつりと落とした独り言のような言葉は、特に誰に向けたでもなく。
だがその声音には、ルシアンの申し出を頭ごなしに否定したわけではない、という含みもあった。
手早く薪を組んで火種を仕込むと、ガルドはのそりと腰を上げる。背負っていた荷から取り出した風雨除けの幕は、冒険者ギルドから「壁画の保護に」と渡されたものだ。
「――次は"絵"だ」
「うん」
短く言葉を交わしながら、ふたりが壁画のある段へと足を向ける。
自然と足並みが揃ってしまうのは――いつの間にか染み付いた動きだった。
幕を支える支柱をガルドが打ち立てる音が、空っぽの村跡に響いていた。
人の気配を失った村の残響に、またひとつ、人の音が重ねられていく。
今は、壁画を守るための簡易幕を張る支度をしている。布を風に煽られぬよう、杭を打ち、張りを調整する。
その傍らに静かに立ち、布幕を抱えながら、ルシアンはじっと壁画を見ていた。
白茶けた壁画は風雨で掠れ、ところどころが薄い苔に覆われている。かろうじて見える、人らしきものと、家らしきもの、それと壁画の上の方には何か、台形のような形。
(……なんだろう……)
そう思いつつも、耳はガルドのほうへ向いていた。
「ルシ、幕」
「あ、うん。……え?」
「ああ?」
はた――、と視線が交差する。
ガルドが一瞬固まって、……そろりと差し出された布幕を、バツの悪そうな顔で受け取った。
「いやちげぇ、間違った。悪い」
「…………」
それきり、ガルドは何も言わずに幕を張る作業に戻る。
そうか、間違えたのなら仕方ない、と……ルシアンも壁画に向き直った。
――それは家族によく呼ばれる愛称なのだが、まさかまた彼の口から出てくるとは思わなかった。
(まぁ……呼びやすいものね。"ルシアン"より二文字も短いし……?)
ひとりで頷きながら、ルシアンが壁画を見る。何故か、先ほどよりも壁画の情報は入ってこなかった。
――【ついの声】




