【魔術師の腰装備】
「この通りかい?」
「……、こっちだな」
小さく鼻を鳴らしていたガルドが、目線でルシアンに道を示す。夜の喧騒の中、賑やかな大衆食堂ではなく、灯火の落ち着いた小さな店へ。
店の趣きを眺めて緩く頷いたルシアンの仕草は、まるで「いいね」とでも言いたげだ。……それには何も返さず、ガルドもただ扉を引き開ける。
香ばしい匂いが流れ出し、ふたりの影が店内へと吸い込まれていった。
そうして立ち入った食堂の、壁際のテーブル席。
注文も終え、やはり焼き魚より煮込みのほうが美味そうだとか、鍛冶屋はどこにあるだとか、書庫では何を見てきただとか、そんな何気ない話をしつつ。
――ガルドは気づけば、ずっとルシアン……の腹の辺りを、見てしまっていた。
街を歩くときも、背後から。腰かける時に外套を少し浮かせるときも。
注文を取りにきた店員に、少し身体をひねって応対するときも。
(……まずいな)
表向きはなんでもないように書庫の話なんかをしていたが……一度意識してしまうと、わずかに気を緩めたときにはもう視線を落としてしまう。
あれもこれもそれもどれも、境界線を示すメモを渡されてしまったため。
(ちげぇ、――変態か俺は……)
そんな風にガルドが水のグラスに視線を落とすのを見て、ルシアンもまた、わずかに目を伏せていた。
――ガルドにものすごい見られている。わりとしっかりと。
護衛をしてくれるにあたり、必要と思ったから魔力核の位置などを教えた。
その"弱点"はなにも自分だけというわけではなく、全ての魔術師が押しなべて"そう"だ。
魔術について少し調べればわかる情報。何も特別な情報ではなかったはずだった。
この護衛、よほど今まで魔法や魔術師と縁遠い世界で生きてきたのだろう。
それは何もおかしなことでもないし、戦士でありながら魔術師の身体構造に詳しいほうが……正直どうなんだ、といった具合。
だがしかし、あそこまで意識されると、こちらも気まずくなる。かといって、下手に隠すのもガルドに失礼か。
――両者、沈黙である。
「……チッ……くそ、わりぃ……変なとこ見てるつもりはねぇ」
ぽそりと零れた言葉に、ルシアンの眉がわずかに動いた。
ガルドの指先が、目頭をぐり、と押さえる。
苦しい言い訳と自覚しつつ、それでも言わずにはいられない。そうでもしないと、もうどこを見ていても"そこ"に視線が引っ張られる。
――下腹部奥に魔力核。腰部背面に魔力溜まり。
知識として得た以上、それを護るのが役目だと自分に言い聞かせても、思い出すのは二度も触れた記憶。……事故だ、どっちも。だが触れた。
理屈ではなく、もう、がっつりと記憶に新しい。取扱説明書すらある。忘れようったって無理なのだ。
「……待ってろ、そのうち慣れる……」
「……ええと、……すまないね」
いつの間にか、運ばれてきている料理。
視線をその皿に落とし、煮込み料理を無言で口に運ぶ。味は悪くない。むしろ、魚のダシが身体に沁みる。
向かいで、ルシアンもそっと手を伸ばし、湯気の上がる皿へと匙を入れた。
ひと口食べて、目を細める。やがて、店内の灯りを受けて微笑みを浮かべた。
それだけで、ガルドの肩からわずかに力が抜ける。
何も咎められていない。けれど、銀の瞳はあまりに落ち着いていて、見透かされている気分にさせる。
食事を進める。沈黙は戻るが、もう先ほどのそれとは違う。
温かな食事と、少しの気まずさと、ふたりだけの空間にしかない――静かな余白だった。
ンン、と沈黙の食卓に流れる、ガルドの咳払い。
対面のルシアンは、手元のグラスを傾けていた。水が唇に触れる動きは、穏やかで優雅。
その目元には、外向けの仮面ではなく、ごく柔らかな笑みがある。
一拍を置いて――ふふ、と喉の奥で笑う気配が、赤い瞳にだけ届いた。
「……んだよ」
「いや、うん……そこまで警戒しなくとも、私もある程度自衛はしているよ?」
それは、ひどく穏やかな声音だった。
ガルドがそちらを見やると、他の客席からは見えない角度で、ルシアンが街着のシャツを少したくし上げている。
そこから覗くのは、ただのボトムスではなく――みぞおち辺りまである、前面が編み上げた構造になっているハイウェストだった。
「ほら」
「んッ、お、おう……」
――ガードの固そうな男が、自ら服をまくり上げる。
まったく予想外の視覚からくる暴力に、ガルドは思わず数ミリ身を引いた。
「魔術師は基本的に腰を守る装備を着てるんだ。こういった腰全体を覆うような装備があってね、大体の魔術師は着用しているんじゃないかな」
「……っ、そう、か……」
骨盤からみぞおち辺りまでを広く守る装備。
接触時の反応の程度に差はあれど、魔術師であれば自衛は徹底されている。
「さすがに装備越しでもわし掴みにされたら話は変わるけど、この腰装備があるから、多少支える程度なら大丈夫だよ」
「ん……んん」
「……あ、ちなみに一般的に魔術師は、腰に触れようとすると半殺しにされかねないから、他の魔術師には気を付けてね」
その穏やかな微笑には似つかわしくない単語が零れ、直後にふふ、とその口元が笑った。
するん、とシャツの裾が戻される動きは、……ガルドにはちょっと眩暈がする思いだった。
「……なん、だ、じゃあ、俺は特別ってわけか」
苦し紛れのガルドの声は、いつもより少しだけ低い。声の大きさも、視線も伏せ気味に。
煮込み魚の湯気の向こうで、グラスを持つ指先に目を逸らしながら――けれど、はっきりとそう言ってみる。
「……うん?君ならいいと言ったはずだよ」
――はっきりと、そう返ってくる。
喉が詰まる。確かに言われたが、それは確かに言われたが……。
(他の魔術師が"半殺し"にするような場所を、俺はいいって、そりゃあ、……)
……詰まる。
真正面から目を合わせることはしない。いや、できない。
だがそれは、否定ではなく、自覚だった。
魔術師の腰に触れれば……"半殺し"。
けれど今、目の前の男はわざわざ自分で見せてきた。
自衛の工夫を。その構造を。そして――それを許容してくれている事実を。
「まぁ……前に一回、さすってるしな」
「うん、そうだね」
かろうじて、軽口を叩く。しかし、思い出しただけで、こめかみが熱くなる。
あの夜の酒場帰り。柔らかな背と、上衣越しに伝わる震え。
地底の星の中、抱えあげた身体。跳ねるように震えた反応も。
あれらが偶然だったとしても――あれはもう、普通じゃない。
「……他の魔術師に、手ェ出す気はねぇけど、覚えとく」
「ふふ」
短くそう言って、ガルドは煮込みの皿へ視線を戻した。匙を持つ手が、わずかに汗ばんでいた。
けれど、言葉の端にはかすかな硬さと、曖昧に誤魔化せない色が残る。
対面のルシアンは、グラスを置いてそっと微笑んでいた。それっきり会話はない。
けれど、頬をなぞる店の魔法灯とその銀の瞳の揺れが――確かに選んでここにいることだけはわかった。
――が、しかし。
ガルドの中に、一つの興味が湧いてしまう。
とても下品な興味。好奇心。目の前の美麗な男にはとても話せない。
だが、……この男、聞けば答えてくれそうですらある。
(……いや……)
ダメだ。無理だ。やめろ。
呪いのように、頭の中でそれを繰り返す。
煮込みを口に運びながら、――しかし確実に、思考が占拠されていく。
(…………)
――しかしガルドも、好奇心には逆らえない……。
「……ゲスなこと……聞くけどよ」
「うん?」
「……腰がダメなんだよな」
「そうだね。特に掴まれるとね」
「……魔術師の、女は……」
そこまで言って、最後の理性が働く。……ダメだ、やはり――まずい。
食事の席だし、目の前の男は優雅な貴族然とした男だ。
きょとん、とした顔でこちらを見ている。まるで何もわかっていないような――、
「すごいらしいよ?」
「…………」
――ガルド、沈黙……。
何がとまでは……さすがに聞けない。けれど思考は進んでいく。
すごいのか――それはどっちの視点でだ。
額を押さえる指先が震える。
己の過去の経験を遡ったが、魔術師の女はヒットしない。未知である。
「だって中に入った時点で魔力核に直だもの」
――まさかの、追撃……。
頭を抱えた。抱えざるを得ない。
そりゃそうか。そりゃそうだ。ちょっと考えればわかる。
ということは、される側がすごいという話か。なるほど。――いやなるほどじゃねぇんだわ。
「自分じゃなくなるって」
「ぐっっもういい……!わるかった!」
ガルド、降参――ルシアンの勝利である。
わかっている。目の前の男は下品な話を楽しんでいるわけではない。
あくまでそれを聞いて百面相をする、"護衛の反応"をみて楽しんでおられる。
だがだからといって、こうも、なんというか、お前、そういうやつじゃねぇだろうがと、ガルドが眉間を揉む。
――いや待てよ、この男そういえば学者気質なきらいがある……ということは、学者のモードで喋っていた可能性も――。
「ふふ、他に聞きたいことは?」
「っ……!!」
目の前の笑みは、なんでも答えるよ?というような、いたずらな微笑だった。
――ガルドはそれっきり……両手で顔を覆い、しばらく動けない。
下らない話には耐性がある方ではある。だがそれを語る奴によってここまで威力が変わってくるとは。
食事の席で繰り広げられるには破壊力がありすぎる。煮込みの湯気が、むしろ冷や汗のように背を流れる。
「……お前……タチわりぃ……」
小声で呟きながら、グラスの水を一気に呷る。口の中が火照っていた。いや、口だけではない。
耳の裏まで熱い。視線を向けられない。けれど対面の男は、まるで何事もなかったように笑っていた。
それがまた、腹立たしいほどに"楽しそう"だった。
「チッ……」
鋭く舌打ちをひとつ。顔を伏せたまま皿の縁を拭うようにして、食事を無理やり再開する。
けれど、何を口にしても味がしない。頭の中でずっと、"入った時点で核に直"という言葉が、馬鹿の一つ覚えのように繰り返される。
(……中ってお前……いや、まぁ、そりゃ、……くっそ!)
腹が熱かった。女の話だ。あくまでも。魔術師の女。
じろりと睨むように見やれば、淡紫の魔術師は、煮込みの皿からひと匙をすくい上げ――銀の瞳を細めて、にこりと笑った。
"またひとつ知識を渡してしまったね"……なんていう顔に見えて――、
――その笑顔に、ガルドは皿の中へ顔を突っ込む勢いで項垂れる。
しばらく、そこから上がってくることはなかった。
――【魔術師の腰装備】
——《ちゃんと自衛してるよ(説明型魔獣)》
種別:翻弄型情報過多魔獣(※個体名:ルシアン)
人型に擬態し、微笑と共に“知識”を投下してくる高知性魔獣。
一見無害だが、対象の思考を翻弄し、羞恥と困惑で戦闘不能に追い込む。
主な攻撃手段は、服をまくって自ら“腰装備の実演解説”を行う視覚攻撃。
一度質問すれば最後、終わらぬ学術的口撃が始まり、逃げ場はない。
“入った時点で核に直”という一撃必殺の言語弾を放つ例も確認されている。
対処法(無哭):聞くな。絶対に聞くな。
――作者の手帳より




