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ルシアンの物見遊山  作者: フジイさんち
無哭の訓練
32/53

【魔術師の腰装備】



「……ん、こっちだな」


ガルドが片手で道を示す。

夜の喧騒の中、賑やかな大衆食堂ではなく、灯火の落ち着いた小さな店へ。

ルシアンの銀の瞳が細くなり、まるで「いいね」とでも言いたげに揺れる。


ガルドは何も返さず、ただ扉を引き開けた。

香ばしい匂いが流れ出し、ふたりの影が店内へと吸い込まれていく。




食堂の、壁際のテーブル席。

ガルドの赤い瞳は、――ずっとルシアンを見ていた。


街を歩くときも、背後から。腰かける時に外套を少し浮かせるときも。

注文を取りにきた店員に、少し体をひねって応対するときも。


(……まずいな)


表向きは、なんでもないように、書庫の話なんかをしていたが。

一度意識してしまうと、何をどうしても、――腰を見てしまう。

あれもこれもそれもどれも、境界線を示すメモを渡されてしまったため。


(――変態か俺は……)


と、――ガルドが水のグラスに視線を落とすのを見て、ルシアンもまた、視線を落としていた。


――ガルドにものすごい見られている。わりとしっかりと。

護衛をしてくれるにあたり、必要と思ったから魔力核の位置などを教えた。


その”腰の弱点”は自分だけ、などではなく、全ての魔術師が押しなべて”そう”だ。

魔術について少し調べればわかる情報。何も特別な情報ではなかったはずだった。

この護衛、よほど今まで、魔法や魔術師と縁遠い世界で生きてきたのだろう。

そこまで意識されると、こちらも気まずくなる。かといって、下手に隠すのもガルドに失礼か。


――両者、沈黙である。




「……はぁ……くそ、わりぃ……変なとこ見てるつもりはねぇ」


ぽそりと零れた言葉に、ルシアンの眉がわずかに動いた。

苦しい言い訳と自覚しつつ、それでも言わずにはいられなかった。そうでもしないと、どこを見ても「そこ」に視線が引っ張られる。


――下腹部奥に魔力核。腰部背面に魔力溜まり。


知識として得た以上、それを護るのが役目だと自分に言い聞かせても、思い出すのは二度も触れた記憶。事故だ、どっちも。だが触れた。

理屈ではなく、もう、がっつりと記憶に新しい。取扱説明書すらある。忘れようったって無理なのだ。


「……待ってろ、そのうち慣れる……」

「……ええと、……すまないね」


いつの間にか、運ばれてきている料理。

視線をその皿に落とし、煮込み料理を無言で口に運ぶ。味は悪くない。むしろ、魚のダシが身体に沁みる。


向かいで、ルシアンもそっと手を伸ばし、湯気の上がる皿へと匙を入れた。

ひと口食べて、目を細める。やがて、店内の灯りを受けて微笑みを浮かべた。


それだけで、ガルドの肩からわずかに力が抜ける。

何も咎められていない。けれど、銀の瞳はあまりに落ち着いていて、見透かされている気分にさせる。


食事を進める。沈黙は戻るが、もう先ほどのそれとは違う。


温かな食事と、少しの気まずさと、ふたりだけの空間にしかない――静かな余白だった。




んん、と、沈黙の食卓に流れる、ガルドの咳払い。

対面のルシアンは、手元のグラスを傾けていた。水が唇に触れる動きは、穏やかで優雅。

その目元には、外向けの仮面ではなく、ごく柔らかな、笑み。

一拍を置いて、――ふふ、と喉の奥で笑う気配が、赤い瞳にだけ届いた。


「……んだよ」

「いや、うん、……そこまで意識しなくとも、私もある程度、自衛はしているよ?」


それは、ひどく穏やかな声音だった。


ガルドがそちらを見やると、他の客席からは見えない角度で、ルシアンが街着のシャツを少したくし上げている。

そこから覗くのは、ただのズボンではなく、――みぞおち辺りまである、前面編み上げのハイウェストだった。


「んっ、お、おう……」


――ガードの固そうな男が、自ら服をまくり上げる。

まったく予想外の視覚からくる暴力に、ガルドは思わず数ミリ身を引いた。


「魔術師は基本的に腰を守る服を着てるんだ。一見すると腰の位置がわからないような、ゆるいローブなんかがその筆頭格だよ」

「……っ、そう、か……」


骨盤からみぞおち辺りまでを広く守る装備。

接触時の反応の程度に差はあれど、魔術や魔法を使うものであれば、自衛は徹底されている。


「さすがに鷲掴みにされたら話は変わるけど、装備があるから、多少支える程度なら大丈夫だよ」

「……お、う」

「……あ、ちなみに一般的に魔術師は、腰に触れようとすると半殺しにされかねないから、他の魔術師には気を付けてね」


ふふ、とその口元が、笑った。

するん、とシャツの裾が戻される動きは、ちょっとめまいがする思いだった。


「……なん、だ、じゃあ、俺は特別ってわけか」


ガルドの声は、いつもより少しだけ低かった。音量も、視線も、伏せ気味に。

湯気の向こうで、グラスを持つ指先に目を逸らしながら――けれど、はっきりとそう言った。


「……うん?君ならいいと言ったはずだよ」


――はっきりと、そう返ってくる。

喉が詰まる。確かに言われたが、それは確かに言われたが……。


(他の魔術師が”半殺し”にするような場所を、俺はいいって、そりゃあ、……)


……詰まる。真正面から目を合わせることはしない。いや、できない。

だがそれは、否定ではなく、自覚だった。


魔術師の、腰に触れれば、”半殺し”。

けれど今、目の前の男は、わざわざ自分で見せてきた。

自衛の工夫を。構造の秘密を。そして――それを許容してくれている事実を。


「まぁ……前に一回、さすってるしな」

「うん、そうだね」


かろうじて、軽口を叩く。しかし、思い出しただけで、こめかみが熱くなる。

あの夜の宿。酒場帰り。柔らかな背と、ローブ越しに伝わる震え。

地底の星の中、抱えあげた身体。跳ねるように震えた反応も。


あれらが偶然だったとしても――あれはもう、普通じゃない。


「……他の魔術師に、手ェ出す気はねぇけど、覚えとく。気を付ける」


短くそう言って、ガルドは煮込みの皿へ視線を戻した。匙を持つ手が、わずかに汗ばんでいた。

けれど、言葉の端にはかすかな硬さと、曖昧に誤魔化せない色が残る。


対面のルシアンは、グラスを置いて、そっと微笑んでいた。一言も返さない。

けれど、頬をなぞる店の魔法灯と、その銀の瞳の揺れが――“ちゃんと聞いていた”ことだけは、確かに伝えていた。




――が、しかし。


ガルドの中に、一つの興味が――湧いてしまった。

とてもゲスな興味。好奇心。目の前の美麗な男にはとても話せない。

だが、……この男、聞けば答えてくれそうですらある。


ダメだ。無理だ。やめろ。呪いのように、それを繰り返す。

煮込みを口に運びながら、――しかし確実に、思考が占拠されていく。


――ダメだった。好奇心には耐えられない。


「……ゲスなこと……聞くけどよ」

「うん?」

「……腰がダメなんだよな」

「そうだね。特に掴まれるとね」

「……魔術師の、女は……」


そこまで言って、最後の理性が働く。……ダメだ、やはり――下品だ。

食事の席だし、目の前の男は優雅な貴族然とした男だ。

きょとん、とした顔でこちらを見ている。まるで何もわかっていないような――


「すごいらしいよ?」

「…………」


――ガルド――沈黙……。


何が、とまでは……さすがに聞けなかった。

けれど思考は進んでいく。すごいのか――それはどっちの視点でだ。

額を押さえる。指先が震える。

己の過去の経験を遡ったが、魔術師の女はヒットしなかった。

未知である。


「だって中に入った時点で魔力核に直だもの」


――まさかの、追撃……。


頭を抱えた。抱えざるを得ない。

そりゃそうか。そりゃそうだ。ちょっと考えればわかる。

ということは、される側がすごいという話か。なるほど。――いやなるほどじゃねぇんだわ。


「自分じゃなくなるって」

「ぐっっもういい……!わるかった!」


ガルド、ギブアップ――、ルシアンの勝利である。


わかっている。目の前の男は下品な話を楽しんでいるわけではない。

あくまでそれを聞いて百面相をする、”護衛の反応”をみて楽しんでおられる。


だがだからといって、こうも、なんというか、お前、そういうやつじゃねぇだろうがと、ガルドが眉間を揉む。

――いや、待てよ、この男、そういえば学者気質なきらいがある……ということは、学者のモードで喋っていた可能性も――


「ふふ、他に聞きたいことは?」

「っ……!!」


目の前の笑みは、なんでも答えるよ?というような、悪魔的な微笑だった。


――ガルドは、……両手で顔を覆い、しばらく動けなかった。

食事の席で繰り広げられるには破壊力がありすぎた。

煮込みの湯気が、むしろ冷や汗のように背を流れる。


「……お前……たちわりぃ……」


小声で呟きながら、グラスの水を一気に煽る。口の中が火照っていた。いや、口だけではない。

耳の裏まで熱い。視線を向けられない。けれど対面の男は、まるで何事もなかったように笑っていた。

それがまた、腹立たしいほどに“楽しそう”だった。


「他に……じゃねぇよ……もういい……聞かねぇ……!」


そう言いながら、顔を伏せたまま皿の縁を拭うようにして、食事を無理やり再開する。

けれど、何を口にしても味がしない。頭の中でずっと、“入った時点で核に直”というワードがリフレインしていた。


(……中ってお前……いや、まぁ、そりゃ、……くそ!)


腹が熱かった。女の話だ。あくまでも。魔術師の女。


じろりと睨むように見やれば、淡紫の魔術師は、ひと匙をすくい上げ――銀の瞳を細めて、にこりと笑った。

まるで、“またひとつ知識を渡してしまったね”とでも言いたげに。


その笑顔に、ガルドは皿の中へ顔を突っ込む勢いで俯いた。

しばらく、そこから上がってくることはなかった。






――【魔術師の腰装備】

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